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平坂のカフェ 第4部 冬は雪(4)

 私に戸籍はなかった。
 戸籍どころか私を産んだ病院も私のいた形跡も私が生きていた証すら何も存在しなかった。

 ある日、突然現れた子ども。

 それが私だった。

 両親と思われる存在の痕跡はあった。
 彼らはとても普通の夫婦だったらしいの。
 身綺麗な格好をし、裕福そうで安いアパート暮らしをするようにはとても見えなかった。近所付き合いも良く、何年経っても仲むずまじくて新婚のようだったらしいの。

 だから誰も私の存在に気づかなかった。

 私がそのアパートで生きているなんて誰も思わなかったのだ。

「両親はどこに行ったんだ?」
 スミの質問にカナは、首を横に振る。
「分からない。失踪したまま死んでるのかどうかも分からない。もし生きていたとしても私は顔を覚えてないし、あっちもきっと分からない」
「・・・そうか」
 スミは、短く答え、目を閉じる。
 カナは、話しを続けた。

 私は、病院で精密検査をし、長い時間を掛けて治療された。
 身体だけでなく、心の治療も受けた。
 スーツを着たお姉さん・・・児童相談所の職員が行政と掛け合い、戸籍を取り、あらゆるサポートが受けれるよう尽力し、私の存在を現実にしてくれたの。
 陽炎のような存在だった私が肉の身を持ったの。

 そして私に"カナ"っていう名前が与えられた。

 病院から退院する3日前、私を引き取ってくれる人が現れた。
 私のお母さんの妹さんと言う人・・・。
 その人は私を見るなりに涙を流して抱きしめてくれた。

 ごめんなさい、ごめんなさい、気付からなくてごめんなさい!

 何度も何度も謝られた。

 正直、何で謝られているのか分からなかった。

 私が思ったのは最近、温かいことが多いな、それだけだった。

 その人は私をとても大切に育ててくれた。
 その人の旦那さんもいい人で優しかった。
 優しいことに慣れてない私はどう反応していいか分からなかった。
 ただ、痛くないのとご飯が美味しいのと優しいのが嬉しかったのは覚えてる。
 でも、それをどう感情に出していいのかが分からなかった。

 感情の出し方なんて病院でも習わなかった。

 私は、スーツを着たお姉さんが案内してくれた発達支援センターで言葉と勉強、そして基礎体力を上げる練習をした。
 言い忘れたけどその時の私、言葉も満足に話せなかったの。
 私は、先生たちの言われるがままに勉強した。
 先生たちは私が教えたことが直ぐに出来るようになるのでとても驚いてたわ。
 まあ、今まで何も学んで来なかったから吸収が早かったんでしょうね。
 言葉も直ぐ覚えたし、年齢相応の知能と知識、運動能力も身につけた。
 特に絵を描く勉強は好きだった。
 白いスケッチブックに色鉛筆を使ってその日の空の絵を描くのが楽しかった。
 その頃の私は頻繁に黒を使って書いていた。
 その絵を見るたびに先生たちは泣いた。

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