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【再掲】冷たい男 第5話 親友悪友

"冷たい男"と彼は町の人達から呼ばれていた。

 親しみを込めて。

 彼は、生まれ落ちた時から身体が冷たかった。

 触れた相手を凍えこごえさせてしまうほどに。

 その手に触れられると骨の芯まで身体が震え、長く触れると皮膚が凍てついてしまう。

 食べ物を口の中に入れるとその途端に冷凍し固まってしまう。

 生まれてすぐに助産師を凍えさせてしまった彼を当然、病院は精密検査したが体温が異常に冷たい以外の異常はなく、検査の結果、"正常"と判断された。

 彼は、体温が凍えるほどに低いだけのただの人間であると医学が証明した。

 体温が異常に低いだけの普通の男の子として普通の生活を送っていった。

 普通の小学校に通い、友達と遊び、町内会のお祭りや運動会と言ったイベントに参加し、順風満帆とは言えないまでも平穏な生活を送っていた。

 今日の少女は、終始ニコニコだった。
 暦としては立冬を超えたが近年の暖冬でダウンやセーターはまだいらない。秋を感じさせるような暖色系かシックな暗めの上下を合わせるだけで十分にお洒落を感じさせる季節だ。
 少女は、ドット柄のキャミソールワンピースの上に少し大きめの黒のニットを重ね、薄紫の丈の短いアウターを着ている。
 少女の愛らしさを十分に引き立てる可憐な装いだ。
 冷たい男も赤茶色の登山風スニーカーにグレーのスラックス、三日月に乗って釣りをする兎の描かれた紫のTシャツ鮮やかな糸が波のように縫い込まれた白いパーカーを羽織っている。
 普段、仕事で暗めのスーツばかり着ているからか随分と明るい印象を与えている。
 両手に嵌めた白い手袋だけがいつも通りだ。

 お洒落な格好をした2人から見て取れるように今日はデートだ。

 それも久しぶりの。

 冷たい男は、葬儀会社で夜勤も含めて忙しく働き、少女も日中は大学に通い、夜は週に3回ほど塾の講師のバイトをしていた。

 それでも同じ町に住み、少女の父親が経営する会社で働いているので週のほとんどは顔を合わせているから寂しさはないのだがお互いに忙しく中々にデートに漕ぎ着けることが出来なかった。
 しかもついこの間まで冷たい男は大怪我を負って入院していた・・・。

 つまり今日は待ちに待ったデートだったのだ。

 少女が気合入っているのは言うまでもない。

 綿密に綿密なまでのデートプランを雑誌と睨めっこしながら相談し、冷たい男の運転する車で街に繰り出した。
 午前中は、公開前からずっと見たかった映画を観に行った。
"魔女の手紙"と言う日本が誇る児童文学書の実写映画だ。
 学校の図書室や学童の本棚にも置いてあって少女も冷たい男も愛読しており、実写映画のニュースが流れた時は必ず見に行こうといの1番に約束した。
 つい先日、原作者が行方不明になると言う事件が起きたが映画は無事にクランクインすることになった。
 映画の出来は言うまでもなく最高だった。
 特に主人公の女の子役の女優さんがまさに主人公そのままで感情移入し過ぎて終わった後には大号泣していた。ただ、冷たい男が少し悲しそうな表情をして映画館の天井を眺めた。多少なりとも事情を知っているだけに少し気になったが、その後はいつもの穏やかな笑顔に戻った。
 その後は、また車を走らせて街から少し離れたところにあるカフェに行った。
 県でも有名な桜の名所として知られる公園の近くにある古い家屋を改装した清廉した雰囲気の漂う古民家カフェで最近では旅行雑誌なんかにも度々掲載されている。縁側を改造したテラスからは春なら桜が、今の季節なら心を穏やかにするような温かな紅葉が見られる。木造のお寺を連想させるような店内にコーヒーの香りが漂う。
 そしてなんといってもお店の名物が卵とミルクたっぷりのフレンチトーストだ。
 少女は、席に着くやフレンチトーストを二人前注文する。その内の1つを焼き上がってからさらに電子レンジで10分以上、加熱して下さいと店員にお願いすると首を傾げられた。
 いつもの事なので気にもしなかった。
 フレンチトーストを運んできたのは190はあろうかという背の高い男性で胸のプレートに店長と書かれていた。整った鼻梁に厚めの唇、そして綺麗な二重の目、どこをどう転んでも間違えのない美男子だ。
 店長は、鍋つかみを右手に嵌めて熱々で湯気が勢いよく立ち昇るフレンチトーストを冷たい男の前に置く。
「こちらでよろしかったのでしょうか?」
 店長が形の良い眉を顰めて聞いてくる。
 恐らく滅多にない、いや恐らく初めての注文方法だったので間違いがあった時の為に出てきたのだろう。
 冷たい男は、にっこりと微笑んで「間違いないです」と答える。
 すると、周りから小さなため息が幾つも漏れるのが聞こえる。見渡すと客たち、主に女性客が冷たい男と店長のやり取りに見惚れていた。
 確かにこれでもかと言うほどの美男子の店長と微笑の似合う愛嬌のある顔立ちをした冷たい男のやり取りは絵になる・・絵になるが。
「早く食べよう!」
 症状は、ぶっと頬を膨らませて冷たい男を促す。
 店長は、何か察したのか「ごゆっくり」と言って奥に戻っていく。
 冷たい男は、少女の態度の意味が分からず眉を顰めるが何も聞かずにフレンチトーストを口に運んだ。
 雲を口に入れたような柔らかな食感とひたすらな甘さが口を包み込む。
 絶品と呼ぶに差し支えない。
 少女の顔に笑顔が戻る。
 2人は、無言で、しかし、楽しみながらフレンチトーストを食べた。
 店の奥を見ると店長が小さくて猫のような愛嬌のある顔立ちの女性と話していた。
 会話は聞こえなくてもその仲睦まじさから夫婦である事が伺えた。そして女性の両手にはその証とも言うべき小さな命が抱かれていた。
 その静かで美しい光景に少女はしばし目を奪われていた。

 いつか・・・・。

 少女は、頭に浮かんだ妄想に頬を林檎のように赤らめ、忘れようとフレンチトーストを口に詰め込んだ。
 冷たい男は、そんな少女の表情の変化を面白そうに見ていた。

 カフェを出るとデートの締めくくりとして選んでいた屋内動物園に向かおうと公園内にある駐車場に向かっていた。

「よっご両人」

 2人の足元から声が聞こえた。
 2人は、同時に足元を見る。
 そこにいたのは1匹の茶トラ猫だった。
 小山のように尖った耳、銀杏のように艶のある輝いた金がかった茶色の毛、大きな丸い目、そして首に付けた燃え上がる炎のような輝きを放つ鈴を付けたアクアマリン色の首輪。
 その茶トラ猫を見て冷たい男は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「火車さん」
 冷たい男がそう呼ぶと茶トラは嫌そうに丸い目を細めて「火車言うにゃ!」と言う。
「あんたこんなところで何してんの?」
 少女も輝くような笑みを浮かべて身を屈めると茶トラの喉元を優しく撫でる。
 茶トラは、目を細めて気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「相変わらず撫で方がプロフェッショナルにゃ」
 茶トラは、リラックスしすぎてそのまま腹ばいに寝転がる。
 そのお腹を少女は、細い指先を使って擽る。
「あんたどうやってここまで来たの?」
「2人の気配を辿って"抜け穴"を使ってきたにゃ。一度来たとこにいてくれて良かったにゃ」
"抜け穴"と言うのは良く分からないが恐らく火車の秘奥か何かなのだろうと思い冷たい男は納得する。少女は、良く分からないままであったが可愛いから良しと思い、そのまま肉球をマッサージしだす。
 茶トラは、気持ち良すぎてそのまま眠りに落ちかける。
 それに気づいた冷たい男は、慌てて声を掛ける。
「火車さん!」
「火車言うにゃ!」
 茶トラは、目を大きく覚醒させて怒鳴る。
 あまりの態度の変化に冷たい男は、苦笑するも話を戻す。
「何か用事があって来たんじゃないんですか?」
 冷たい男に言われて火車は、はっとカギ尻尾で地面を叩く。人間で言うところの握った手で手のひらを叩く仕草と言ったところだろう。
「そうそう忘れるところだったにゃ」
 茶トラは、身体を起こして少女の揉んでくれた肉球を舐める。
 少女は、至福の時間が終わって残念そうに眉を顰める。
「ミーのペットが帰ってきたにゃ」
 ペットと言う言葉に冷たい男は、ぷっと吹き出し、少女は、ふうっとため息を吐いて肩を竦める。
「ハンターが?」
「あいつもう帰ってきたの?」
 茶トラは、頷く変わりにカギ尻尾を振る。
「会いたいから来てほしいそうにゃ」

 車に乗るのは嫌にゃ!と駄々を捏ねて抵抗する茶トラを無理矢理後部座席に乗せて2人は指定されたコンビニへと向かう。
 目的の人物は直ぐに見つかった。
 いや、見つけられない訳がなかった。
 その人物、男は、コンビニの窓ガラスに背を預け、地べたに尻を落として季節外れのチョコバニラアイスを食べていた。
 ツーブロックに切り揃えた髪をショッキングピンクに染め上げ、丸い縁のサングラスをかけている。色白で顎は細く、青い襟付きのシャツと黒いジャケットにスラックスを履いた体付きは背は高いものの少女と同じくらい細い。そして先の尖った革の靴を履いているものだから売れないバンドマンかホスト、もしくはその筋の人のようにも見え、人の出入りが多いコンビニなのに誰もその一角には近寄らず、むしろヒソヒソと陰口すら叩かれている始末だ。
 かく言う少女も姿を見つけた瞬間に露骨に嫌そうな顔をして車から出るのを躊躇った。
 しかし、そんな少女の心境も知らずに冷たい男と茶トラは車から下りてその人物に近寄っていく。
「ハンター」
 冷たい男が手を振るとハンターと呼ばれた男も気が付いて残ったアイスを口に放り込み。薄い唇に笑みを浮かべて立ち上がる。スラックスのベルト通しに青とも水色とも取れる、強いて言うなら海色とでも呼ぶような大きな鈴がぶら下がっているがハンターが動いても音一つ鳴らない。
「おーようきたな!親友!心の友よ!」
 子どもの頃に幾度となく聞いたアニメキャラの台詞を恥ずかしげもなく口に出して大きく両手を広げる。
 そして冷たい男に思い切り抱きついた。
 その途端にハンターの唇が青くなっていく。
「おいっ凍るぞ」
「構わへんて」
 ハンターの手のひらに薄く霜が張っていくことにも構わず、そのまま唇を尖らせてキスをしようとする、と突然に手に熱い痛みが走る。
「ぎゃあ!」
 ハンターは、思わず冷たい男から両手を剥がして万歳する。
 手のひらから霜が朽ちた壁紙のように剥がれ、宙を舞う。
 ハンターの手の甲には綺麗な4本の赤い線が付いていた。
 そして少女とその両手に抱えられた茶トラは冷たい男の肌よりも冷たい視線をハンターに送っていた。
「・・誰の許可を得て抱きついてキスしようとしてんのよ」
 少女から発せられたとは思えないような冷たい声の中に切れるような熱が込められている。
「ボーイズラブの否定はしないけど推奨もしてないにゃ」
 茶トラは、鋭い4本爪をハンターに向ける。
「誰がボーイズラブや!」
 引っ掻かれた手の甲を摩りながらハンターは犬のように唸る。
「再会のハグとキスは常識やろが!」
「どこの欧米よ!」
 形の良い眉を吊り上げ食い気味に怒鳴る。
「それにどこをどう見ても日本人でしょうがあんた!髪と一緒に頭までショッキングになったの⁉︎」
「なんや!観客に大ウケやどこの髪!「まあ素敵ねって」皆んなクスクス笑ってくれてるわ!」
「馬鹿にされてんのよ!憐れまれてんのよ!引かれまくってんのよ!」
 普段の少女からは考えられない言葉の弾幕に冷たい男は、引き気味に笑い、少女に抱き抱えられた茶トラは居心地悪そうに下を向く。
「大体、生粋の関東人の癖してエセ関西弁使ってんじゃないわよ!ってか、ついこの間会った時は普通に標準語だったじゃない!」
「いや、これはキャラ付けと言うやつで・・・」
 段々とハンターの語尾も弱くなってきている。
「キャラ付けしないと受けないなら芸人なんてやめちゃいなさい!」
「まあまあそれくらいに」
 流石にと思い冷たい男が割って入る。
「このままじゃハンターが一生治らない傷を負っちゃうよ」
 事実、サングラスの裏のハンターの目は涙で潤んでいた。
「そ・・、そこまで言わんでええやん。オレも頑張ってるんやで」
 ここまで言葉で殴られても関西弁を辞めないのは賞賛に値する。
「・・・うちのペットが大変申し訳ないにゃ」
 少女の腕に抱かれた茶トラが小さく謝る。
「誰がペットや!いつもおマンマ上げとるやろう!」
「ご飯くれてるのはとーちゃんととママさんにゃ。そういうのは自分で稼げるようになってからいうにゃ。この穀潰し」
 愛猫からの冷酷な言葉にハンターは打ちのめされ、地面に膝を付く。
 女子2人(?)からの冷徹な言葉の剣をなんとか納めようと冷たい男は話題を変える。
「ところで何かオレらに用があったんじゃないのか?」
 冷たい男が言うと「そやそや」と何事もなかったかのようにケロッとした顔で立ち上がる。
 打たれ弱い割に回復も早いのだ。
「昨日、巡業から帰ってきてな。お土産や」
 そう言ってジャケットのポケットから小さな袋を取り出して冷たい男と少女に渡す。
 袋を見て少女は露骨に顔を顰める。
「何、このホタテの貝柱って」
「巡業先の名物でな。美味いねん」
 そう言って笑う。
 いや、美味しいかもしれないけど同じ値段でもう少し違うものもあっただろうと思うが流石に好意なのでこれ以上は言わなかった。
 横を見ると冷たい男も微妙な顔をしている。
「用件はこれだけか?」
「んな訳あるかい」
 ハンターは、手の甲で冷たい男の胸を叩く。
「お前ら今デート中やろ?夜まで忙しいか?」
 その言葉に2人の頬が一斉に赤くなる。
 少女に至ってはあの強気な突っ込みもどこへやら指をモジモジさせる。
 2人の初々しい様子に茶トラは微笑ましく目を細める。
「いや、流石に夜には家に送り届けるけど」
 その言葉に少女が少しがっかりしたのに気づいたのは茶トラだけだった。
 草食系だにゃと誰にも聞こえないように小さく呟く。
「そうか。それなら夜時間空けてくれるか?」
 ハンターは、ニッと笑う。
「パパ活せえへん?」
 ハンターの頬に地響きのような破裂音が響き渡った。

「んで、お前らもうヤったんか?」
 ドリンクバーで取ってきた山葡萄スカッシュを啜りながら発せられた言葉に冷たい男は口の中に含んだコーヒーを思わず吹き出した。
 コーヒーが黒い粉雪となって宙を舞う。
「何だよ唐突に」
 冷たい男は、咽せ込みながら抗議する。
「なんや。やっぱまだかい」
 揚げたてのフライドポテトにケチャップをベッチャリと付けて口に放り込む。
 4人席の同じ列に座る冷たい男の目には少女に猛烈ビンタをされて赤く腫れ上がるハンターの頬が目に入る。
「まあ、ヤッとったら大事なデートの日の夜にオレに会おうなんてせんわな」
「お前が誘ったんだろ」
 冷たい男は、半眼にして睨む。
 少女を自宅まで送ってから冷たい男は、ハンターと待ち合わせした街のファミレスへと向かった。
 どこにでもあるイタリア料理系のチェーンのファミレス。夕暮れを過ぎたこの時間は家族連れや学生カップルが多くて賑やかしく、男2人連れがいてもそんなに目立たないが4人掛けのテーブルに2人で同じ列に座ってるとどこかしらからヒソヒソと声が聞こえる。やはりアッチ系と勘違いされるのだろう。
「お陰様であれからずっとむすっとしたままで話しかけるのも怖かったよ」
 楽しみにしていた屋内動物園に行っても無言で苛立ち、フラミンゴや生まれたてのマウスなどピンクを連想させるものを見ようものなら無言の怒気、いや殺意に近いものが飛び交い、動物たちが威嚇と悲鳴の声を上げ、子どもたちが半べそをかいていた。
 家に送った時も「せいぜい楽しんできたら」と思い切り車のドアを閉めて家の中に入っていった。
「オレも「もっと言い方あったろにゃ!」と言って散々脛を齧られたよ。どう言えってんだよ。なあ」
 ハンターは、冷たい男に同意を求めるも冷たい男は何も答えない。冷たくなって氷の膜の浮かぶコーヒーを見つめた。
 その表面に見るのは自分の顔でなくあの少女の顔なのだろうと思い、ハンターは肩を竦める。
「てか何であいつってオレのこと目の仇にするんやろな?」
「出会いが最悪だったからな。特に俺たちの」
「若かりし高校時代のことやろが」
 冷たい男、少女、ハンターは同じ高校の同級生だった。
 冷たい男と少女は、言うまでもなく小学校からの同級生、ハンターは高校から知り合い、そして・・とても険悪だった。
 それこそ顔を合わせれば睨み合い、愚痴と文句を言い垂れるくらいに。
「まあ、一方的にお前からだったけどな」
「お前は相手してくれな過ぎて逆に苛立たせてくれたけどな」
「お前があんまりしつこく絡んでくるもんだからあいつブチギレてお前のとこ乗り込んで行ったもんな」
「別クラスの女子が突然入ってきて怒ってきたからホンマに驚いたで。まっ」
 ハンターは、ぽんっと冷たい男の肩を叩く。
「今はもう親友やから関係ないけどな」
 そう言ってにっと笑う。
「あいつに言わせりゃ悪友だけどな」
 冷たい男は、コーヒーのカップを置き、新しいのを取りに行く。ハンターは、少し冷めたポテトを齧りながら氷の膜の張ったコーヒーを見る。
 覚えている限り10分前には熱々だったコーヒーを。
 新しいコーヒーを持って冷たい男は、席に座り、美味しそうに啜る。
「やあ、変なこと聞いてええか?」
「いつも変なことばかりだろ」
 そう言って冷たい男は穏やかに笑う。
 ハンターも苦笑いを浮かべる。
「・・・普通の身体になりたいって思わへんか?」
 冷たい男は、眉根を寄せて首を傾げる。
「普通って?」
「だって難儀やろ?食べたい物を普通に食べれへんし、その手袋しないと物も触れん。第一、あいつと最後まで出来ひんのも・・・」
 しかし、ハンターは最後まで口にすることが出来なかった。
 冷たい男が人差し指をハンターの唇に近づけ、しーっと怒り口調で言ったからだ。
「さっきから声が大きい。あいつじゃなくてもいい加減怒るぞ」
「・・・すまん」
 ハンターは、小さい声で謝る。
 冷たい男は、指先を戻し、コーヒーを啜る。
「別にそんな風になりたいって思ったことはないよ」
 冷たい男の返答にハンターは、驚く。
「でも、お前・・・」
「だってオレってただ冷たいだけじゃん」
 今度は、ハンターが意味わからず首を傾げる。
「確かに不便な時はあるけどそれだけだ。オレはちゃんと喋れるし、動ける。冷たい以外は健康だ。この体質を生かして職にも就けてるし、親も周りも理解してくれてる。そして親友も大切な人もいる」
 冷たい男は、飲み終えたカップを置き、ハンターに顔を向ける。
「それ以上に望むことってあるかい?」
 その発せられた言葉に少しの感情の揺れもなかった。
 穏やかで優しい笑み。いつもと変わらない、優しいけどどこか・・・。
(諦めかけたような・・・)
 ハンターは、口を半開きにして何かを言いかけ、そして止めた。
 丸い縁のサングラスをくいっと持ち上げ、天井を見上げる。
「・・・すまんかったな」
 そう一言呟いた。
 冷たい男もそれ以上言わずに前を向いた。
「お待たせしました」
 甲高い可愛らしい声が2人の耳に届く。
 冷たい男は、声の方を向くとロングとショートの2人の女の子が立っていた。
 年齢は17歳くらいか?この街でも有名な私立の女子高校の制服を清楚に身に纏っている。どちらも華奢でらどちらも冷たい男とハンターの胸の辺りまでしか身長がない。
 そして一寸のブレもない同じ作りの浮世離れした美しい顔立ち。
 そしてどちらも浮世離れしたように美しい顔立ちをしている。洋画に描かれた妖精がそのまま抜け出てきたかのように。
(双子か・・・)
 冷たい男は、眉根を寄せる。
 ハンターの腰にぶら下がった海色の鈴が小さく、清らかな音を立てる。
 ハンターは、顔を下して、にっと笑った。
「待ってへんで」

「へえ、お兄さんお笑い芸人なんですかー!」
 ロングヘアの女子高生は、興味津々に目を大きく開ける。
「私、芸能人なんて初めて会いましたよ」
「いや、そんな大層なもんやない。駆け出しやで」
 そう言ってハンターは照れくさそうに笑いながらも満更でもなさそうだった。
「昨日も巡業でガッポガッポ笑いを取ってきたでえ」
「すごーい!」
 ロングの子は、胸元で両手を合わせて女子高生らしくキャッキャッと騒ぐ。
 ガッポガッポは、表現が違うだろうと冷たい男は、隣ではしゃぐ親友を横目で睨み、目の前に座るショートヘアの女子高生に目をやる。
 ロングの子とは対照的に全く話さず、目を合わそうともしない。とっ言うか関心すら持っていない。スマホの画面に指を走らせ、その動きに合わせて指を動かしているだけだ。
 それに気づいたロングの子が「ちょっと!何、ゲームばっかしてんのよ!」と肩を掴んで窘めるがショートの子は意に返した様子も見せず「んっお腹空いた」と画面に目を向けたまま言う。
「ははっ」
 ハンターは、苦笑いして冷めた唐揚げの皿をショートの子の側に寄せる。
「これ食べるか?」
「いらなーい」
 そう言ってゲームがいいところまで行ったのかスマホをガッチリ構えて前傾姿勢になる。
 ロングの子が小さくため息を吐いて小さな額に手を当てる。
 この様子からロングの子が姉でショートの子が妹なのだろうと推測する。
「ところでお兄さんたち、どうやって私たちの連絡先を知ることが出来たのお?」
 ロングの子が愛らしい形の唇に人差し指を当てて聞いてくる。
「何いうとんねん。これやこれ」
 そう言ってハンターは、自分のスマホを取り出すとキャラからは想像も出来ないくらいに器用に指先を動かし、サイトを開く。
 そこには半裸に近い艶かしいポーズを決めた双子の写真が載っており、「私たちと一緒に食事しませんか?」というキャッチフレーズが書かれており、その下にどちらのものかは分からないがメールアドレスが書かれていた。
「こんなもん見せられたら誘わん訳にはいかんやろ」
 いやらしさ全開に鼻の下を伸ばしてハンターは言う。
「いやだ、スケベー!」
 ロングの子は、キャッキャッキャと笑いながらハンターの肩に手を伸ばして思い切り叩く。
 その様子を冷たい男は、あだ名通りに冷たい目で見て、ショートの子は関心すら示さず、ゲームに勤しむ。
「でも、君らの制服、この辺でも有名な女子高のもんやろ?こんなことしてええの?」
 ハンターが聞くとロングの子は、今までの日照りのような明るさから一転、雨雲に覆われたように表情が暗くなる。
「実は・・・私たちの両親、去年事故で亡くなったんです」
 ロングの子は、ガラス玉のように大きな目に指を当てて泣く仕草をする。
 冷たい男は、思わず咽せ混みそうになる。
 小説でもテレビでも定番のような手の話しに思わず目を疑う。
「だから私たちは自分たちで生活費と学費を稼がないといけなくて・・・」
 そう言ってショートの子の肩に顔を乗せて泣きじゃくる。
 ショートの子は、うざそうにロングの頭を退けようとし、「ねえ、お腹空いた」とむすっとした表情で言う。
 それだけでこの話しが大嘘であることは明らかだ、ていうか、こんな手に引っかかるやつなんて今時いるわけが・・・。
「なんて健気なんや!」
 ハンターは、テーブルに突っ伏して大泣きする。
「いるんかい・・・」
 冷たい男は、思わず関西弁で小さく呟く。
 ハンターは、両腕を伸ばし、ロングの子の手を握る。
 ロングの子は、露骨に嫌そうな顔をするが、ハンターは、それに気づいてないのか、サングラス越しにロングの子の顔を見て、力強く手を握る。
「オレらがいっぱいご飯食べさせたるから遠慮なく頼みや!」
「あっ・・・ありがとうございます」
 ロングの子は、少しこめかみを引き攣りながらもお礼を言う。
「とっ、いっても金出すんはこいつやけどな」
 てへっとオチをつけるように言う。
「お前な・・・」
 冷たい男は、呆れて何も言えなくなる。
 そう言えば冷たい男が来るまで水だけしか飲んでなかったのを今更ながらに思い出す。
 ロングの子は、冷たい男に目を向ける。
「ところでお兄さんは何のお仕事してるんですか?」
 突然に話しを振られて冷たい男は、驚いて目を開く。
「オレ?」
 思わず自分を指差す。
 ロングの子は、にっこりと微笑んで頷く。
 冷たい男は、困ったように人差し指で頬を掻く。
「・・・葬儀会社の社員だよ」
 その言葉にロングの子は、大きな目をさらに大きく目を開き、全てにおいて無関心であったショートの子もスマホから目を離して冷たい男を見る、
 突然に2人の視線が集まって冷たい男は戸惑う。
「葬儀会社ってあの葬儀会社?死んだ人が来る?」
 ロングの子は、身を乗り出して何度と確認する。
「うんっそれ以外に葬儀会社ってあるのかな?」
「若い人も来る?」
 ショートの子が目を輝かせて聞いてくる。
「まあ、そりゃご遺族の方には若い人はいるけど・・」
 ショートの子は、苛立った表情を浮かべて首を横に振る。
「違う。若い死体は来るのかと聞いている」
「若い死体?」
 冷たい男は、眉を顰める。
「そりゃお亡くなりになればいらっしゃるけどそれが?」
 しかし、ショートの子は冷たい男の質問には答えない。
 ただ、この場に来て初めて満面の笑み表情を浮かべただけだ。
 ショートの子は、ロングの子の肩を叩くと、スマホに指を走らせる。
 ロングの子のスマホのバイブが震える。
 ロングの子は、スマホの画面を見て小さく笑う。
 ショートの子もニヤリと小さく笑う。
 冷たい男は、2人のやりとりを訝しげに見る。
 ロングの子は、スマホをカバンに仕舞うと立ち上がり、そしてハンターの隣に触る。
「お兄さん、そろそろどお?」
 耳元で蕩けるような声で話しかける。
 濃厚な甘い香りが漂い、大きな目が蠱惑的に光る。
 ハンターは、ニャーっと鼻の下を伸ばして笑い、「オーケー」と彼女耳に吐息とともに答える、
 ロングの子は、小さく笑う。
「お会計頼むで」
 ハンターは、そう言ってロングの子の腰に手を回して立ち上がるとそのまま2人は店のドアに向かって歩いて行く。
「おい、こら」
 冷たい男は、呼び止めようとするも完全に無視して歩いていく。
 外に出る前にロングの子がショートの子に向かって小さく手を振る。
 ショートの子もにこやかに手を振った。
「まったく」
 冷たい男は、小さくため息を吐く。
 ショートの子がじっとこちらを見てくる。
 改めてとても綺麗な子だ、と思う。
 大きな目に白い肌、愛らしい唇。
 とても高校生には見えない妖艶さがエキスとなって滲みてまでいるかのようだ。
 ショートの子が手を伸ばして手袋に包まれた冷たい男の手を触り、その冷たさに驚く。
「なに・・?」
「冷え性だから冷たいでしょ?」
 冷たい男は、小さく笑う。
 ショートの子は、訝しみながらも笑みを浮かべて冷たい男を見る。
「私たちも行きましょう」
 ショートの子の目がほんの一瞬だが血のように赤く揺らめいたように見えた。

 ファミレスを出てからショートの少女はずっと冷たい男の手を握っていた。

 まるで逃がさないかのように強く、強く。

 外見からは想像もできない力に痛みはないが不快に感じ、冷たい男は、小さく眉を顰める。
「冷たくないかい?」
 何とか離させようと冷たい男は言うが、ショートの子は朗らかに笑って首を横に振る。
「慣れちゃえば平気」
 そう言って小学生のように握った手を大きく振ってスキップする。
 その様子を道ゆく通行人達がチラチラと見る。
 側から見ると凄いバカップルなのだろうな、と冷たい男は、頬を赤くする。
 2人がやってきたのは大きな公園だった。
 公園といってもあのフレンチトーストのカフェの近くにあるような自然溢れた広大で温かな印象の公園ではない。
申し訳程度に最低限の古めかしい遊具の置かれた猫の額のような小さな公園だ。

 しかし、暗い。

 街灯も弱々しく灯るものが一本しかなく、植林された木々が壁のように公園を覆っているため、外の街灯や家々の灯りも入り込まない。
 だから人もいない。
 まだ8時も回らないこの時間なら思春期の少年や家を持たない人たちがいそうなものだがその人たちすらいない。
 人が入ってこないことが分かっているからか、モスキート音すら聞こえない。
 ただただ、寒々とした恐怖が闇とマーブルしている。
 普段、葬儀会社で死と間近に触れ合っている冷たい男ですら足を踏み入れるのを躊躇ちゅうちょしそうなのにショートの子は、ニコニコ笑いながら平然と入っていく。
 あれだけ無関心だった子とはとても思えない。
 ショートの子は、ブランコを見つけると目を輝かせて駆け寄り、2つぶら下がっているうちの1つの鎖を掴むとそのまま飛び乗って立ち漕ぎをし出す。
 暗闇で足元すら見るのが困難な中、彼女は、思い切り漕いで天まで昇り、落下する。
 高校の化学の授業の映像で見たガウス加速機に弾かれる鉄球のようだな、と冷たい男は思った。
「貴方も乗りなさいよ」
 ショートの子は、花一匁はないちもんめの「お入りなさい」とでも言うように隣のブランコに誘う。
 冷たい男は、小さく鼻息を鳴らし、隣のブランコに乗って小さく漕ぐ。
「ねえ、貴方の会社ってさあ、月にどんだけの人が死んでくるの?」
 まるで「何人遊びに来るの?」とでも聞くように楽しげに尋ねてくる。
 冷たい男は、露骨に嫌そうに顔を顰めるも、質問に答える。
「さあ、その月に寄って違うから何とも言えませんね」
「ふうんっでも多いんでしょ?」
「まあ、それなりに。町で一軒しかありませんから」
「若い死体は入ってくる?」
「だから何とも言えませんって」

 グワッチャン!

 割れ崩れるような音を立ち上げ、ブランコの椅子が落ちてくる。鎖が靱帯が伸び切るように張り、その場で揺れる。
 そこにショートの子の姿はなかった。
 冷たい男は、思わず天を見上げるがそこにあるのは弱々しく光る星々のみ。
 大腿部に重みを感じる。
 首に柔らかく、艶めかしい感触が這う。
 ショートの子は、目の前にいた。
 冷たい男の大腿部に小さな腰を下ろし、細い手を冷たい男の首に回し、そして鋭利な刃物で切られたような縦長の赤い瞳で冷たい男の顔を映した。
「・・・驚かないのね?」
 ショートの子は、縦長の瞳を携えた目を蠱惑的に細める。小さな唇から甘く熟して腐ったような匂いがする。
 何度でも嗅ぎたくなるような腐った甘い匂いが。
「・・・何となく人間ではないと思ってたので」
 冷たい男は、表情を変えないよう努めて口を開く。
「そう。感がいいのね。今の人間では貴重よ。誇りなさい」
 そう言って、細い指先で冷たい男の頬をなぞる。
「本当に冷たいのね。凍えそう」
 そう言いながらもショートの子は楽しそうに喉を鳴らす。
「貴方こそ・・・本当に人間?」
「・・・生物学上は・・・」
「ふうん」
 自分で聞いておきながらつまらなそうに言う。
「貴方にお願いがあるの」
 そう言いながら指先に張った霜を擦り落とす。
「お願い?」
「そう。貴方の会社に来る死体をたまにでいいから分けて欲しいの。特に死にたての若い死体を」
「ご遺体を?」
 冷たい男は、不愉快げに顔を顰める。
「何のために?」
「言わなくても分かる癖に」
 冷たい男の前髪を弄りながら笑う。
「そうしてくれたら貴方は助けてあげる。あのバカピンクはダメだけど」
 喉の奥でコロコロと笑う。
「ねえ、悪い話しじゃないでしょ?それで命が助かるの・・」
「断る!」
 冷たい男は、はっきりと力強い意思を持って答える。
「うちでお預かりしたご遺体と魂を迷うことなく天に届けるのがオレの役目だ。お前たちに渡す道理はない」
 ショートの子から笑みが消える。
 それに変わり浮かんだのは怒り。
 自分より下と思っていた者に逆らわれた時に見せる下卑た怒りだ。
 ショートの子は、冷たい男の首に回した両腕なら力を込めて締める。
「そう・・ならしょうがない」
 見かけからは想像も出来ない力に冷たい男は、苦鳴を漏らす。
「貴方の血はアイスのように甘いのかしら?それともシャーベット?」
 ショートの子は小さな唇を割れるように大きく開く。
 刃のような二つの牙が街灯の光に鈍く光る。
「いただきます」
 ショートの子の牙が冷たい男の首に喰らいつく。
 濃厚な血の匂いが闇の中に広がった。

 目が痛くなる青々とした濃い光の中を小さなクラゲが泳ぐ。小さな水槽はランタンの代わりとなり、照明の消えた室内を六等星の光のように弱々しく映す。

 見えるのは無脊椎動物のように裸で絡み合う男女の姿。

 聞こえるのは錆びた固いベッドのスプリングと耳の奥に絡みつくような嬌声。

 ハンターは、ロングの子の首筋に顔を埋め、乳房を触り、互いを濡らす。
 ロングの子は、喘ぎ声を上げながらハンターの髪を掻き上げ、骨ばった背中に爪を立てる。
 ヤスリのように尖った爪の先がハンターの背中を傷つけ、薄く赤い線を引く。
 しかし、ハンターは気づかずに行為に及び続ける。
 ロングの子は、汗に濡れる唇をに血のついた爪を当てる。

 ロングの子は、恍惚とした表情を浮かべる、
 それは行為にではない。
 口に含んだ甘く濃い味に。

 ロングの子の瞳が縦長に赤く染まる。

 亀裂のように割れた唇から性欲とは異なる欲が唾液となって溢れ出る。

 その欲の名は・・・食欲。

 縦長の赤い瞳が己が首筋に顔を埋めるハンターの首筋を見る。嫌、正確には首筋に浮かぶ青い筋の中を流れるこの世で最も濃く赤いものを。

 腹が鳴る。

 身体中を絞り込むような激しい音が恥ずかしげもなく惨めに鳴り響く。

 ハンターの耳にもその音は届いたことだろう。
 貪り動かしていた口と手の動きを止める。

 しかし、遅い。

 ロングの子は細い両腕でハンターの身体を抱きしめる。

 強く、骨が軋むほどに強く。

 ハンターの口から苦鳴が漏れる。

 両腕が殺虫剤を浴びた虫のように暴れ出す。

 しかし、逃がさない。

 ロングの子は、亀裂のように開いた口を大きく開き、その中から覗く大きな2本の牙をハンターの首筋へと突き立てた。

「・・・さすがにそのプレイにゃ興味ないわ」

 ロングの子の美しい顔が醜く歪む。
 暴れ回っていたハンターの右腕が蛇のようにロングの子の細い首を取られ、締め上げる。
 ロングの子の口から風船が萎むような呻き声が漏れる。
 ロングの子は、白い足でハンターの腹を蹴り上げる。
 ハンターの手がロングの子の首から離れる。
 その反動でロングの子の身体ばベッドから落ちる。
 ハンターは、蹴られた腹を抑え、口から唾液を吐く。
「・・・しんど」
 ハンターの口から溢れた唾液には薄く血が混じっていた。
「アバラ折れたわ」
 ロングの子は、身体を起こし、縦長の赤い瞳をハンターに向ける。
 ハンターは、蒼く変色した腹を摩りながら笑う。
「フィニッシュまでいきたかったんやけどな」
 そう言って固いベッドの上に立つ。
「貴様は・・・」
 ロングの子は、鋭い牙を剥き出し、剣のように尖った五指の爪をハンターに向ける。
 ハンターは、指を鳴らす。
 ハンターの左側の闇が巻物のように捲れ上がり、ぽっかりと穴が開く。
 そこから顔を出したのは1匹の茶トラだった。
「待たせすぎにゃ」
「悪かったな」
 ハンターは、茶トラに向かってにっと微笑むと穴の中に手を突っ込む。
 ロングの子が身構える。
 縦長の赤い瞳が震える。
 それは強者に向かって威嚇する獣のようであり、未知の恐怖に怯える子どものようであった。
「お前は、直ぐあいつのとこに向かってくれるか?」
「大丈夫にゃ?」
「蚊トンボ1匹わけあらへんわ」
 そう言って穴から手を出してゆっくりと引き抜く。
 穴から抜き出たその手には細く、長い海色の棒状の物が握られていた。
 それはゆっくりゆっくり引き抜かれる。
 海色の長い棒の先は、円状に広がり、網が縫い付けられていた。
 その形状はまさに・・・。
「虫網?」
 ロングの子は、思わず呟く。
「ビンゴ」
 ハンターは、笑う。
 捲れ上がった穴は消え去り、元の闇に戻る。
「蚊トンボ捕まれるのにピッタリやろ」
 そう言って虫網を左肩に乗せる。
「貴様・・・狩人ハンターか⁉︎」
「そや」
 ロングの子は、唇を噛み締め、歯軋りする。
「私を退治ハントしに来たのか・・⁉︎」
 しかし、ハンターは、右手の人差し指を立てて横に振る。
退治ハントやないで」
 虫網を持ち上げ、水平に構える。
捕獲ハントや」
 虫網が音を上げて空を切り裂く。

  時刻は、ハンターが少女に怒りのビンタを放たれた時まで遡る。

「連続失血事件?」
 冷たい男は、眉根を顰める。
「せやせや」
 真っ赤を通り越してどす黒く腫れ上がった頬をコンビニで買ってきたモナカアイスで冷やしながらハンターは、頷く。
 冷たい男の手で冷やしてもらった方が良く冷えるのではと思われそうだが効果が出過ぎて凍りついてしまう。
 怒り狂った少女は、コンビニの端っこで茶トラが宥めていた。こんな時は女同士の方が和むかと思ったが、猫に説得は難しいのかいつもはピンッと立っているカギ尻尾が弱々しく地面の埃を掃いていた。
「ここ最近な、街の繁華街で失血死寸前まで血が抜かれる事件が多発してんねん。それも決まって被害者は若い男で、しかも2人・・」
「男で・・・2人」
 何となくハンターがこれから紡ぐ展開が読めてきた。
 ハンターは、赤黒く腫れ上がった頬をにっと吊り上げる。
 コンビニの端から茶トラの小さな悲鳴が聞こえる。
 ちらりと見ると少女の怒りポイントか何かに触れてしまったのか、少女が茶トラの三角の耳をピンピンッと引っ張っていた。
「目撃者の話しによるとな、その男たちは発見された場所は違うねんけど、ファミレスやファストフードで一緒におるのが見られてんねん。しかも・・・」
ハンターは、頬を冷やしていたモナカアイスが溶け始めてるのに気づくと封を開けて一口食べる。
 頬の内側が切れてるのか、痛みに顔を顰める。
「超絶美人な女子高生の双子と一緒やったらしい」
 点と線が繋がる。
「ちなみにその女子高生どもの制服は毎回違うそうやけど超絶美人ってとこは一緒や」
 冷たい男は、小さく息を吐く。
「つまりその女子高生2人を捕まえるのに協力しろってことか」
 ハンターのサングラスの奥の目が鋭くなる。
 それはまさに獲物を追う時に見せる犬種のようだ。
「ちなみに・・・人間じゃないんだろうな?」
「当たり前やん。人間やったら警察に任せるわ」
 そう言って指で電話をかける真似をする。
 表現が古いと思わず突っ込みたくなるが、冷たい男もそれ以上の表現が浮かばなかった。
「犯行の手口から言って恐らく蚊トンボやな」
「蚊トンボ?吸血鬼じゃなくって?」
 失血と聞いて1番最初に思いついたのが吸血鬼だった。しかし、ハンターは、肩を竦めて両手を大袈裟に動かす。
「吸血鬼なんて高尚なバケモンがこんな汚い食い散らかし方せえへんわ。これはもっと下等ななり損ないの仕業や」
「なり損ない?」
 冷たい男は、首を傾げる。
「簡単に言えばバケモンになれなかった奴らや。バケモンとのハーフやったり、先祖返りやったり、突然変異やったりと色々やけど純血やないから当然弱い」
 冷たい男は、"なるほど"と腕を組む。
 コンビニの端で茶トラが悶える鳴き声を上げる。
 ちらりっと見ると少女が茶トラのお腹に顔を寄せてスリスリしていた。
「そんじゃオレは雪男イエティのなり損ないってとこかな?」
 そう言って冗談めかしに笑う。
 しかし、ハンターの目は笑ってない。
「・・,お前はそんなチャチなもんちゃうわ」
 冷たい男に聞き取れないくらいの声で呟く。
 冷たい男は「えっ?」と聞き返すがハンターは、触れずに話しを続ける。
「まあ、それでもこの食べ汚さは異様やけどな。普通は失血死寸前まで飲んだりせえへんし、こんな頻繁なんて有り得へん。自分で始末してください言うてるようなもんや」
「・・・何かあるかもしれないってことか?」
「そうかもしれへんがオレには関係あらへん」
 溶けかけてヒダヒダになったモナカアイスを口に突っ込み、咀嚼もせずに飲み込むとゆっくりと立ち上がる。
「オレは、オレの仕事をするだけや」
狩人ハンターとして・・・か?」
 ハンターは、にっと笑う。
「そう。捕獲ハントや」

「ぐげがっは!」
 ショートの子が声にならない絶叫上げて地面をのたうち回る。苦痛に歪んだ美しい顔の半分が凍りつき、口と鼻を塞ぎ、白い煙を吹き上げる。
 冷たい男の首筋から血が滴り落ち、衣服を、地面を白く染める。
 冷たい男は、痛みに顔を顰め、ポケットからタオル地のハンカチを取り出すと出血の続く首筋に当てる。
 タオル地のハンカチは、赤く染まり、そのまま凍りついて肌に張り付き、そのまま傷口を止血する。
 ショートの子は、必死に喉を掻きむしる。白い顔が青ざめ、縦長の赤い瞳が剥き出さんばかりに広がる。
 苦しみ悶えるショートの子の右耳から何か黒く、暗いものが見え隠れしているのに気付く。よく見ようとするが直ぐにそれは見えなくなった。
 もがき苦しみながら地面に落ちている石を拾い、凍りついた顔面に何度も何度も叩きつける。
 分厚い氷が割れ、ガラスの破片のように飛び散る。ヒュホーと縦笛のような音を立てた呼吸が回復する。ショートの子は石で殴りつけた時に出来た傷から流れる血と共に溜まった呼吸を吐き出し、新鮮な空気を貪った。
 涎と血を垂れ流しながら縦長の赤い瞳で冷たい男を睨みつける。
「・・・化け物が」
 ショートの子は怨嗟の言葉を冷たい男にぶつける。
「・・・お互い様でしょ」
 冷たい男は、引かずに言葉を返すものの後退りする。脹脛がブランコの椅子に当たり、鎖が音を立てる。
 本能的に分かっているのだ。
 目の前の自分の半分しか背の満たない少女の姿をしたものに自分は勝てない、と。
 ショートの子もそれが分かっていて、苦しげに呼吸しながらも嘲笑する。
「凍らせるしか能のないクソ虫が・・・」
 美しい顔に似合わない醜い言葉を吐き出しながら少女は立ち上がると両手を帳のように大きく広げる。
「あんたの血を飲むのはやめるわ」
 大きく広げた両手を胸の前に掲げる。
 闇とは違う黒い何かが集まりだす。
 それは細かい虫のようにモザモザと蠢きながら球体を形成していく。
「死にはしないから安心なさい」
 ショートの子は、黒い球体を撫で回すように両手を滑らかに動かす。
「ただし、2度と正気には戻れないけどね」
 ショートの子は、笑い黒い球体を差し出すように腕を前に伸ばす。
闇の精霊シェード!」
 黒い球体がショートの子の手を離れる。
 球体が崩れ、大きく長い10本の指のように変化し、冷たい男に襲い掛かる。
 速い!
 とても逃げ切ることが出来ない。
 冷たい男は、自分の身を守るように両腕で自分の顔を持ってくる。

 儚い防御。

 ショートの子は、嘲笑する。

 闇の精霊シェードの10本の指が冷たい男の身体を獲られようとした。

「ヒメ」

 冷たい男の前に巨大な青い炎の目が出現する。

 闇の精霊シェードは、止まることが出来ず、巨大な目の表面に触れる。
 焼けるような音と共に悲鳴のような音が公園に響き渡る。
 炎の目を形成する無数の青白い火の玉が黒い指に飛びかかり、害虫を食らうてんとう虫のように黒い指を削り、消していく。
 そして闇の精霊シェードは、完全に消失した。
 ショートの子は、呆然と縦長の目を震わせる。
「なり損ないにしては精霊の操作が上手いにゃ」
 いつの間にか冷たい男の足元に小さな茶トラがいた。その場にお尻を落として前足を舐めている。
「まあ、ミーにはどうやっても敵わないけどにゃ」
 茶トラの姿を見た瞬間、ショートの子の顔に恐怖が走る。
「火車!」
「火車言うにゃ!」
 茶トラが甲高い声で怒鳴る。
 その声だけでショートの子は、子どものように身を震わせ、後ずさる。
「なぜ・・・なぜ真の名を継ぐ者がここに・・・⁉︎」
「可愛いペットに親友を守れと頼まれたからにゃ。まあ運がなかったと思うにゃ」
 茶トラは、後ろ足で耳の裏を掻いて欠伸をする。
「・・・火車さんって凄かったんですね!」
「だから火車言うにゃ!・・・って今頃、ミーの凄さがわかったにゃ?」
 そう言いながらも小さな胸を張る。
 2人が会話をしている隙を付き、ショートの子は逃げ出そうと踵を返す、が・・・。
「どこ行こうとしてるんや?」
 闇の中でも目立つショッキングピンクの髪の男、ハンターが現れる。ファミレスを離れる時には持っていなかった身長程ある海色の虫網の柄で肩をポンポンッと叩き、腰に深い海色の鈴と同色の小さな籠をぶら下げ、ショートの子を見下ろす。
「お前は⁉︎」
 ショートの子は、驚愕の顔を浮かべる。
「なんや?そんなに驚いて・・・このイケメン顔はさっき見たやろが」
 そう言って嘲笑を浮かべる。
「自分でイケメンいうたにゃ」
 茶トラは、呆れたように目を細めて嘆息する。
「そこうるさいで」
 ハンターは、間を開けずに人差し指を向けて突っ込むとショートの子に向き直る。
「姉さんは・・・」
「あん?」
「姉さんはどうしたのよ!」
 ショートの子は、叫ぶ。
 ハンターは、一瞬、顔を顰めてから腰にぶら下げた小さな籠を外して、ショートの子に見せる。
「ここにおるで」
「えっ?」
 ショートの子は、呆けた顔をして籠を見る。
 鈴と同じ海色の籠の中、格子の向こうに何かが見える。
「えっ?」
 裸の髪の長い少女が格子を何度も何度も叩いて何かを叫んでいる。
 必死に、喉が擦り切れんばかりに届かない声を外に向けて叫んでいる。
 それはあのロングの子であった。
 ショートの子の縦長の赤い目が怒りに震える。
 小さな手に力を込め、鋭い爪を構える。
「姉さんになにをしたあ!」
「言わんでも分かるやろ。ガキやあるまいし」
 ショートの子は、ハンターに向かって飛びかかる。
 冷たい男の目には一瞬のうちに消えたようにしか見えない。
 しかし、茶トラとハンターは、それを緩慢な動きとして捉えていた。
 ハンターは、虫網の柄の先を突き出す。
 その速さは正に刹那の如く、ショートの子の腹を捉えていた。
 ショートの子は、地面に倒れ伏し虫網の柄に突かれた腹を押さえて嗚咽し、蹲る。
「なり損ないが狩人ハンターに勝てる思うなよ」
 ハンターは、虫網をバトンのように回転させ、地面に先を突く。
「ハ・・・狩人ハンター?」
 ショートの子は、身を起こして怯えた目を向ける。
「私たちを狙ってたの⁉︎」
「そりゃそうやろ。あんな派手に食い散らかして何で狙われへん思うねん」
 ハンターは、呆れたように言う。
「幾ら育ち盛りでも食いすぎやで」
 ハンターは、足を一歩踏み出す。
 ショートの子は、怯え、這うように逃げようとする。が、その前に茶トラが立ち塞がる。
「諦めるにゃ」
「ちょっと血をもらうくらいやったら許容範囲やったんやけどな。自分の食欲を恨みや」
 ハンターは、両手で虫網を構える。
「安心せい。オレは、捕獲専門や。そこの茶トラやったら即死やったで」
「猫聞きの悪いこと言うにゃ」
 茶トラは、目を細めて突っ込む。
「それにただ捕まえるだけじゃないだろにゃ」
 茶トラの言葉にハンターは、小さく笑うだけだった。
「・・・ないじゃない」
 ショートの子は、砂を掴む。
 ハンターと茶トラ、そして冷たい男は眉を顰める。
「お腹が空くんだから仕方ないじゃない!」
 ショートの子は、小さな手を地面に叩きつける。
「私達だって食べたくて食べてるんじゃないわよ!今までは月に1度、少量の血を貰うだけで良かったのよ!それなのに最近、ずっとお腹が空いて空いて堪らないのよ!幾ら飲んでも足りないのよ!」
 ショートの子は、縦長の赤い目から涙を流し、子犬の遠吠えのように泣き叫ぶ。
 冷たい男は、あまりの悲痛な声に顔を顰める。
 ショートの子を憐れに思ってではない。
 彼女の発した言葉を頭の中で反芻し、眉を顰めた。

 急に食欲が湧く?

 昼間にハンターが言ってたことを思い出す。

『普通は失血死寸前まで飲んだりせえへん』

 つまりこれは普通ではない。

 そして彼女達自身もそれを自覚している・・・。

 つまりこれは・・・。

 冷たい男は、目を細めてショートの子を注意深く観察する。

 泣き叫び、子どものように怯えた目でハンターと茶トラを見るショートの子。

 冷たい男は、彼女の右の耳を見た。

 先程、違和感を感じながらも見逃した場所。

 彼女の小さな小さな耳の穴の側で何かが蠢いていた。

 ハンターは、天高く虫網を掲げる。
 月と虫網の円が重なる。
「姉妹仲良くな」
 ハンターは、小さく笑うがその目は笑っていない。
 ただただ獲物を獲らえる狩人ハンターの目だった。
 ハンターは、虫網を振り落とす。

 ショートの子は、恐怖に目を閉じる。

 しかし、虫網はいつまで経っても振り下ろされない。

「・・・なんのつもりや?」
 怒気のこもったハンターの震える声が耳に入る。
 ショートの子が目を開けると彼女の前に冷たい男が両手を広げて立っていた。

 彼女を守るように。

 ハンターは、唇を噛み締める。
「何でそいつ守るんや?お前も殺されかけたやろが」
 ハンターは、苛立ちを隠せずにいた。
 獲物を狩るのを妨害されて切れない狩人ハンターはいない。
 しかし、冷たい男は、目を反らすことなくハンターを見る。
「・・・オレに任せてくれないか?」
「ああん⁉︎」
 しかし、冷たい男は、それ以上ハンターに何も言わずにショートの子の方を向き、しゃがんで視線を同じ高さにする。
 ショートの子は、びくりっと身体を震わせる。
 そんなショートの子に対し、冷たい男は・・・優しく微笑んだ。
 ショートの子は、驚き目を見開く。
「オレに任せて」
 冷たい男は、手袋を外す。
 周囲の温度が下がる。
 茶トラは、思わず身震いする。
 冷たい男は、ショートの子の右頬に触れそうなくらいに手を近づける。
 寒いのに、冷たいのに、ショートの子の頬は赤くなる。
「少し冷たいよ」
 そう言うと冷たい男は、ショートの子の右耳の穴に小指を突っ込んだ。

 悲鳴が上がる。

 夜を劈くような醜い悲鳴。

 しかし、それはショートの子が上げたものではなかった。

 ショートの子の耳から黒く、長いモノが渦を巻きながら飛び出す。

 ハンターの腰の鈴が激しく鳴り響く。

 それはショートの子の耳から抜けると地面に落下する。

 ショートの子は虚な目をしてフラフラと倒れそうになるが、冷たい男が手袋をした手で受け止める。

 ショートの子の耳から飛び出したもの、それは裕に3メートルはありそうな長く、細く、腐った血よりも赤黒い身体をし、無数の節足を生やした百足であった。
 百足は、醜いうめくやつな声を上げてその場から逃げようとする。

 刹那。

 空を裂く音が響く。

 ハンターの虫網が百足の身体を獲られる。

 百足は、ハンターの虫網の中に吸い込まれるように消える。
 ハンターは、手首を返して網の口を塞ぐ。
 網の中で百足が暴れる。
 しかし、網はほつれもしない。
 ハンターは、百足の入った網をじっと見る。
 ショートの子の焦点が定まる。
「大丈夫?」
 冷たい男が声を掛けるとショートの子は燃え上がりそうなくらいに頬を赤らめて飛び起きる。
 その様を見て冷たい男は、笑う。
 その反応は、ついさっきまでの冷酷な化け物のイメージからは程遠い見かけ通りの少女のモノだった。
 匂いも甘く熟れた腐ったものから花の様な優しく、気持ちを擽る様な気持ちの良い香りに変わっている。
 これが本来のショートの子の匂いなのだろう。
「あ・・・あの・・」
「お腹は?」
「えっ?」
「お腹はまだ空いてる?」
 ショートの子は、少しも無駄な肉の付いてないぺったんこな自分のお腹を触る。
「・・・空いてない」
 むしろお腹一杯だ。
 あまりにも懐かしい満たされた感覚。
 ショートの子の目から先ほどとは違う感情の涙が一筋流れる。

 それは・・・喜び。

「良かった」
 冷たい男は、優しく微笑む。
「良かったちゃうわ」
 ハンターは、不機嫌そうに言う。
「こりゃどういうこっちゃ?」
「・・・オレも良く分からないけど・・」
 冷たい男は、手袋をした手で頬を掻く。
「何から話しを聞いてるうちに思ったんだ。この子たち病気なんじゃないか、て」
「病気やと」
 冷たい男は、頷く。
「多分、その百足に栄養を食われてたんじょないかな?それでいくら食べても満たされないから人を襲っちゃった。そんなところじゃないかな?」
 ハンターは、網を見る。
 百足は、今だ網の中から逃れようと暴れる。それに無性に腹が立ち、殴りつけると動かなくなる。
 ハンターは、腰にぶら下げた籠を取ると蓋を開けてひっくり返す。
 籠の中から小さな人形が落ちてきたと思うと瞬時に大きくなり、一糸纏わぬロングの子となる。
「お姉ちゃん!」
 ショートの子は、慌てて駆けつける。
 ロングの子は、少し頭がぼうっとしてるのか反応がない。
 そしてハンターを鬼のように睨みつける。
「最後まではやってへんよ」
 ハンターは、自分の着ていたジャケットを脱いでロングの子に掛ける。
「そいつもコレに取り憑かれてるはずや」
 ハンターが籠にに虫網を近づけると、網から膨らみが消える。
「追い出したってや」
 冷たい男は、ロングの子の耳に小指を入れる。
 赤黒い百足が渦を巻いて飛び出す。
 ハンターは、虫網を一閃し、捕まえる。
 ハンターは、網の中で蠢く百足に目をやり、そして双子に視線を移す。
 それに気づいたショートの子はロングの子を守るように抱きしめる。
「・・・この子達は、病気だったんだ。だからもう大丈夫のはずだよ」
 冷たい男が諭すように言う。
 ハンターは、何も言わずに百足を籠の中に入れる。
 そして空になった虫網の先端を肩に乗せる。
「オレの用件はもう終わりや」
 ハンターは、3人に背を向ける。
「後は頼むで」
 そう言って振り返りもせず手だけを振ってハンターは去っていった。
 そんな後ろ姿に茶トラは嘆息する。
「そう言う態度だから誤解されるにゃ」
「本当だね」
 冷たい男も小さく笑って手袋を嵌める。
「さあ、君たちこれから・・・」
 しかし、冷たい男は、これ以上先の言葉を続けられなかった。
 ショートと目が完全に覚めたロングの双子がこちらを見ている。
 先ほどまでの冷酷と空腹に飢えた化け物の目ではない。
 頬を赤らめ、目を潤ませ、輝かせた憧れと愛しさの込められた目・・・。
 冷たい男は思わずたじろぐ。
 双子は、声を揃えて言う。

「「ありがとうございます。おにい様」」

 香り屋の女主人は、店じまいの準備を始めていた。
 香り屋の営業時間は、基本不定期だ。
 開店時間もまばらなら閉店時間もまばらだ。
 女主人曰く、お客さんが来る日と時間は大概分かるからそれに合わせて店を開けば良いとのことだ。
 そのことをアポイントの電話をしてきた冷たい男に言うと電話越しに何とも言えない表情を浮かべているのを想像し、苦笑したものだ。
 そして今日、これから最後の客が訪れる。
 その為に遅くまで実習を頑張っている一人娘のご飯は作り置いておいた。どんな料理を作っても基本はチーズをたっぷり乗せてレンチンすれば喜んで食べてくれるので大助かりで安上がりだ。
(まあ、結婚したら旦那さんが大変そうだけど)
 などと見果てぬ娘の幸せを妄想していると店の扉の鈴が鳴る。
「こんばんは〜」
 間の抜けたイントネーションの挨拶をしながらその客は入ってきた。
 ツーブロックに切り揃えたショッキングピンクに染めた髪、ホストのような黒いジャケットにスラックス、軽薄に見える丸縁のサングラス、腰には海色の鈴と籠を、その手には同じ海色の長い虫網を持っている。痩せ気味な体に細い顎、多少格好は変わったが根本的な特徴は変わってない。高校生の時のまんまだと女主人は小さく笑う。
「いらっしゃい」
 ショッキングピンクの男、ハンターは、女主人の座るカウンターまでゆっくりと歩み寄る。そしてにっと笑うと腰に下げた籠をカウンターの上に置いた。
「今日の収穫や」
 女主人は、籠を手に取り、顔の前に寄せる。
 切長の青色の目がぼんやりと金色に光る。
「・・・これはまた変わったものね」
 切長の目が元の青色に戻る。
「今日のターゲットって確か吸血する女の子でなかったかしら?」
 ハンターは、肩で小さく息を吐き、経緯を説明する。
 女主人は、静かにそれを聞く。
「そう。それは彼のお手柄だったわね」
 後で報酬を渡さないとね、と小さく笑みを浮かべて言う。
「まったく、スパッと捕まえれば楽やのにとんだ手間やったで」
「でも、それだと貴方の望むものは手に入らなかったわよ。こんな風に」
 女主人は、手に待つ籠をハンターの腰の鈴に近づける。
 海色の鈴は、リーンと軽やかな音を立てる。
「これは材料になりそうなんか?」
「ええっその鈴が鳴ると言うことは貴方の望むものと言うことよ」
「あと、どんだけ集めればいい?」
「20は集まったからあと88ね」
「煩悩は中々減らへんな」
 そう小さくため息を吐く。
「そんなに焦らなくても平気よ。まだ時間はあるわ」
「でも、それもいつまでとも限らんやろ。どんなものにも絶対はないんや」
 女主人は、何も言わない。
 肯定も否定もしない。
「オレは、材料を集める。あいつを燃え尽きさせてたまるか」
 そう言って踵を返し、歩き出す。
「もう行くの?」
「ああっ用事はもう済んだからな。本職のネタも考えんといかんし」
「あの娘ももうすぐ帰ってくるから一緒にご飯でも食べてったら」
 その言葉にハンターの足が止まる。
 逡巡し、自分の服装と身体をまじまじと見る。
「今日は、汚いし臭いさかい止めとくわ。それにアバラが折れとるねん」
 そう言って歩みを再開し、手だけを振って店を出ようとする。と、その扉が勝手に開く。
 切長の目をした背の高い、大和撫子を連想させる女性が立っていた。
「あ・・・」
 女性・・・チーズ先輩が切長の目を丸くして驚く。
「先生?」
 彼女の足元にいる子狸がテーズ先輩の反応に首を傾げる。
 ハンターは、ショッキングピンクの髪を掻く。
「こんばんは会長」
 そう言って真摯な表情を浮かべて挨拶する。
「こ・・・こんばんは」
 テーズ先輩は、少し頬を好調させ、震える声で挨拶を返す。
「実習ですか?」
「はいっ」
「楽しんではります?」
「え・・・ええまあ」
「そうですかあ」
 そう言ってハンターは、優しい笑みを浮かべる。
 チーズ先輩は、視線を落とし、指をモジモジ交差させる。
 子狸は、そんな2人のやり取りを交互に見て、にんまりと笑う。
 その奥のカウンターで女主人も声を押し殺して笑っている。
「ほなお休み」
「・・・お休みなさい」
 そう言ってハンターは、店から出て、闇の中を歩いていった。
 チーズ先輩は、見えなくなった彼の後ろ姿を見送る。
「ご飯出来てるよ」
 女主人が声を掛ける。
 しかし、チーズ先輩は、振り返らずに彼の去った後を見続ける。
 子狸が目をキラキラさせてチーズ先輩を見る。
 チーズ先輩は呟く。
「なんで関西弁?」

 少女は、怒り、苛立っていた。
 ハンターは、呆れたような表情でアイスを乗せたスプーンを口でブラブラ動かしていた。
 冷たい男は、困ったような照れたような恥ずかしいような表情をし、見たこともないくらいに身を小さく縮めていた。
 そんな3人の様相など気にもせず冷たい男の両隣に座る2人は嬉しそうに声を上げる。
「おにい様、これ召し上がります?」
 ロングの子が目を輝かせてフォークに刺したチーズケーキを冷たい男の口元に持ってくる。
「こら何言ってるの!おにい様は熱くなくちゃ食べれないのよ!これはいかがですか?」
 そう言ってショートの子はほっぺたを林檎のように赤らめてコーンスープを掬ったスプーンを冷たい男の口元に運ぶ。
「い・・いや大丈夫だから。1人で食べれるし」
 冷たい男は、やんわりと断ると、その途端に双子は涙目になる。
「そんな・・・私たちのこと嫌いになったの?」
「私たちは、おにい様をお慕いしてるだけなのに、それが
ご迷惑なのですか?」
 2人は、おいおいと泣く。
「いやいやそう言うわけじゃないから!」
 冷たい男は、慌てて泣く2人を宥めようとする。
 ハンターは、冷めた目で3人のやり取りを見ながら溶けかけたアイスを口に運ぶ。
「・・・あんたこれどう責任取るつもりよ」
 ハンターの耳に少女の声が入る。
 胃の底が捻られるような痛みのある声が。
 ハンターの頬に汗が流れる。
「い・・・いやオレもこんななるとは思えへんかったんで・・・」
 ハンターは、震える声で言い訳する。
 しかし、少女の目の黒い炎は消えない。
「・・・とかしなさい」
「はいっ?」
「何とかしなさい・・・!」
 ハンターは、彼女の目の奥に三途の川を見た。
 ハンターは、3人の、いや双子を向かい合う。
「おいっお前らええ加減に」
 しかし、ハンターは二の句を告げることが出来なかった。
 ロングとショートの双子が縦長の赤い目を向ける。
 昨晩と同じ、いやそれ以上の侮蔑と嫌悪を込めてをハンターに向ける。
「話しかけんな。穢らわしい」
「このゴミにも劣るゴミが。口を開くだけで大気汚染だ」
 美しい顔からは、想像も出来ないような汚らしい言葉にハンターは、身を引く。
「お・・・お前ら態度違いすぎやろ」
 しかし、少女たちは世界で1番汚らしいものを見るようにハンターを見下す。
「呼吸をするな!汚らしい」
「こちらを見るな!世界が汚染される!」
「音を聞くな!風にカスが紛れ込む」
「臭いを嗅ぐな!この世の花が枯れる!」
「「ピンクに謝れ!」」
 可憐な少女達のの口から溢れる悪口雑言にハンターは、涙を流してアイスの器の横に顔を伏せる。
「なんやろ・・・オレ・・生きててええんかな?」
 絶望と失望の混じった声を漏らす。
 そんなハンターを見て少女は額に手を当ててため息を吐く。
 そして双子が縦長の赤い目でこちらをじっと見ていることに気付く。
 2人は、初めて少女の存在に気づいたかのように瞬きせずに見ていた。
 ハンターへの口撃を見ていただけに少女は身を引く。
「な・・・なに?」
 しかし、少女の質問には答えず双子は、縦長の赤い目を冷たい男に向ける。
「おにい様」
「この女は一体・・」
「「なに?」」
 双子の声がソプラノになってハモる。
「えっ?」
 冷たい男は、思わず間の抜けた声を上げて少女を見る。
 少女も青ざめた顔で「えっ」っと呟く。
 双子は、交互に冷たい男と少女を見る。
 ここで2人が変なことを言ったらどうなるのか?
 2人の間で空気が張り詰め、頬に汗が一筋流れる。
 しかし、その空気は直ぐに針で刺される。
「そいつのコレやで」
 ハンターが左手を上げ、小指を立てる。
 張り詰めた空気が弾ける。

 このバカ!

 冷たい男と少女が心の中で怒声を飛ばす。
 双子の少女は、目を見開き、冷たい男と少女を交互に見る。
 そして少女で止まるとじっと見つめる。
 少女の顔に怯えが走り、椅子から転げ落ちそうになる。
 双子は、半身以上乗り出して少女に顔を近づける。
 まずい!
 冷たい男は、少女を守ろうと手袋に手を掛ける。
「・・・様」
 ショートの子の口からぽそっと声が漏れる。
 ロングの子が手を伸ばして少女の手を取る。
 とても柔らかくて温かい感触に少女は戸惑う。
 縦長の赤い目が消え、潤んだ羨望の眼差しが4つ、少女を見る。

「「奥様!」」

 2人は、蕩ける様な声を発して少女に詰め寄る。
「おにい様にこんな素敵な奥様がいただなんて!」
 ショートの子は、少女の隣に座るとぎゅっと少女を抱きしめる。
「い・・・いや私達まだ結婚は・・・」
「私達、一生付いていきます!」
 うつ伏せてるハンターを引っ張って床に倒し、ロングの子もまた少女に抱きつく。
 花の様な良い香りに少女の頬は思わず赤くなる。
 2人は、赤らめた顔で少女を見上げる。
「「ずっとお側にいさせてください」」
 少女は、頬を赤らめて困った顔をして冷たい男に助けを求める。
 冷たい男は、脱ぎかけた手袋そのままに頬を引き攣らせて笑う。
 ハンターは、だらしなく力が抜けたまま床に伏せる。
 冬の始まりの喧騒はゆっくりと流れていった。

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