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This sky

韓国の作家황정은 ファン・ジョンウンがジルベール・アシュカル Gilbert Achcar著「Israel's War on Gaza «이스라엘의 가자 학살»(イスラエルのガザ虐殺)」の翻訳出版に寄せ「파주에서 パジュで」を公開した。

<파주에서> via Luciole/Playtime

坡州(パジュ)の空の先にガザの空があり、現在も止められない虐殺、ジェノサイドと私たちも無関係ではない...と強く伝わってくる作家の切実さ。
自分もパレスチナについても10年以上発信してきているので、深く共感した。

「パジュで」は手紙形式で書かれている。作家は呼びかける。
「先生、今日ガザでは
イスラエル軍部の封鎖(直訳では統制)と攻撃により、食料や支援物資を受け取ることができず人々が死んでいっています。子どもたちは爆撃だけでなく、飢餓によっても死んでいっています。パレスチナの状況を伝えるSNSには今日殺された子どもの顔がずっと掲載されています。
今イスラエルとパレスチナ間で中立を嘯く人たちは、イスラエルのユダヤ民族主義者たちがパレスチナで犯している虐殺を、まるで同等の軍事力と政治力、資金を持ったふたつの勢力間の争いであるかのように言っています。
そんなことは、言っている自分たちも信じていないでしょうに。

そして私は、今日ガザの空について考えます。
今日私が見上げた空のどこかがガザの空でもあるのだ、と。(拙訳)」

「パジュで」の最後にはこう書かれている。
<파주에서> via Luciole/Playtime

「ある人がある場所で孤立しているなら
私たちは、連帯であれ不在であれ、いつもその孤立の場にもう行って存在しているということです。私はその人(筆者注:煙突に登って労働闘争をしていた人)と同じ光景を今日のガザに見ます。
そこに誰がいるのですか。どんな顔をして集まっているでしょうか。
銃や爆弾だけでなく、飢餓が武器として使用されている場所、
同じ人間なのに人間ではない存在として殺されているという自覚と絶望が武器として使用されている場所、支援物資を届けようとして死の危険を冒す人の顔で、人々を助けるため地区の中に入っていく医療従事者の顔で
そこにいます。
死んだ子どもを包んだ、か細い埋葬布を見て泣く顔で、ハマスが何なのかと聞く顔で、最初に始めたのはどちらなのかと聞く顔で、そこがとても遠く、私たちの力はとても小さく、私たちができることは何もないと言う顔で、
遠すぎて違いすぎて、私たちとは関係ないという顔で
そこにいます。
殺された人たちの名前の中に愛する人の名前を聞いて悲鳴をあげ引きとめられる顔で、あまりに苦痛で目をそむける顔で、知りませんと答える顔で、
そこにいます。
このジェノサイドを止めろ、と言う顔で、何気なく通り過ぎる顔で、
私たちはそこに集まっています。

後世の歴史で「イスラエルのガザ虐殺」として間違いなく呼ばれることになるこの時間を、私たちは一緒に過ごしていたし
今もその歴史の時間の中にいるということを私は決して忘れないでしょう。

先生、私は爆撃も、目に見える飢餓も道端に臨時に作った墓地もないパジュでこれを書いています。これが私とガザの間の距離なのです。
飢えと爆撃がもたらす、すぐ目の前の恐怖もなくこうやって座って書くことができるくらいの遠いところにいますが、そこが孤立しているゆえに私はその場所に行っているのだと感じます。
他のすべての人たちと同様に、ということです。
私たちそれぞれが望もうと望むまいと、ガザの孤立に私たちはもうすでに到達して行っているのです。
では、私たちはその孤立を前にどんな顔を選択するのか。それはひとえに私の選択ゆえ、私はこの虐殺と無関係でいることはできません。(拙訳)」

実は作家は昨年にもガザで続くジェノサイドに反対を表明していた。
プリーモ・レーヴィ Primo Leviの「周期律」を読むオンラインブックトーク、2023年11月17日分のポッドキャスト後半でこう話していた。

「イギリスはじめ、ヨーロッパ社会はイスラエルのシオニスト極右勢力によるパレスチナに対する迫害については長い間沈黙し続けて来たでしょう。
だから私は、ヨーロッパ社会はまずは'we cannot judge them'という言葉にまた対句をつけなければならないと考えています。*
いろいろ言って話すこともできるとは思うけれど、本質的には、ヨーロッパの地で起こったホロコーストの代償(直訳では対価)をパレスチナの地で、
ムスリムたちが払わされているのだと思います(拙訳)」
367-2 다시 이런 기록이 도착할 것입니다 [황정은의 야심한책]
책읽아웃
より

*作家が昨年のポッドキャストで話していたが、アウシュビッツ訪問時、施設ガイドになぜこのような経験をしながらパレスチナには同じ酷いことをするのか、と尋ねたそう。するとそのユダヤ系のガイドは'we cannot judge them'ときっぱりと断固とした口調で答えていた、と。その時作家は、この答えは主語と目的語が入れ替わったものだ、と考えたそう。
'we cannot judge them'ではなく、
'they cannot judge us'だと。
このような内容の、昨年のポッドキャストでの話をふまえて、ここでも('they cannot judge us'という)対句をつけなければ、と書いているものと理解した。実際、イスラエルの蛮行、国際法違反への批判は反ユダヤ主義とレッテルを貼って黙らせ封じ込める異常なフレームで、どれだけ虐殺をしてもイスラエルへの批判は許さない、許されない(特に欧米で)。'they cannot judge us'のアンタッチャブルがまかり通る、二重基準の問題等があらためて提起されている、と観取。

作家はポッドキャストで話していた。
「今回『周期律』を読み、本を閉じながら考えたこと、2023年の自分に残った読後感はこれひとつだけ。
パレスチナからもこんな、『周期律』のような記録がすぐに出てくるはず、ということ。
……(中略)
どんな所であれ、理由は何であっても、このジェノサイドを擁護する人たちはこれから何が起こるかを震え恐れなければ、と私は思います。
ジェノサイドに荷担した人たちの長いリスト、そのリストに自分たちの名前がこれから載るってことを(拙訳)」
367-2 다시 이런 기록이 도착할 것입니다 [황정은의 야심한책]
책읽아웃
より

「パジュで」を読んで、作家の「かろうじて、人間」を想起した。セウォル号惨事(セウォル号事故)を記憶するために韓国の作家や評論家らが書いた文を集め、2014年に出版された「눈먼 자들의 국가 目の眩んだ者たちの国家」。その中のファン・ジョンウンの文を。

「……どれだけ簡単なことなのかわからない、希望がない、と言うことは。
世界は元々そんなものだから、もう期待すらしない、ということが。……
4月16日以降、世界が全くおかしくなって、壊れてしまった、と私はずうっと言い続けてきた。無力感と諦めですべてのことが嫌になった。……
(拙訳)」
ファン・ジョンウン「かろうじて、人間」황정은 <가까스로 인간>より

今ガザにいる人、パレスチナにいる人たち(ガザだけではない、西岸でもずっと前から日々パレスチナ人が殺されている)は同じだろう。希望がない。
世界は虐殺を目の当たりにしながら半年と、75年もイスラエルを止めないのだから。世界は元々そんなものなのだろうか。作家が言う通り、私も無力感と絶望でいっぱいで何もかもがいやになってしまった。しかし、それでもガザのニュースから目を逸らそうとは思わない。昨年10月以前から、ずっとパレスチナに連帯する思いで泣いたり怒ったり発信している。

封鎖されているガザの人々は、イスラエルにより作られた飢餓、人為的飢餓によっても日々攻撃され、虐殺されている。空から支援物資がガザに向けて投げ落とされるようになって落下物に直撃され命を落とした人も多い。大人も子どもも。海に落ちた食料を取りに行こうと溺れ死んだ人もいた。

それでも子どもたちは空を見上げる。
見上げざるを得ない。落ちてくるのは爆弾なのか食料なのか。本当は、子どもたちが今日の天気や太陽に雲、星や鳥や月や蝶や虹を見るために見上げるのが空なのに。爆弾がまた落ちてくるかも、でも、おなかが空いているし
食べ物が落ちて来ないだろうか、という思いで空を見上げさせてはならないのに。

No child
should look to the sky
and wonder
if what's falling is death or dinner.


パジュの空からガザの空。
空の境界線はどこなのだろう。

そして윤동주 ユン・ドンジュ詩人も想起する。「서시(序詩)」で
一点の恥辱なきことを...
<죽는 날까지 하늘을 우러러 한 점 부끄럼이 없기를...>...と書いていた詩人は最後の詩「쉽게 씌어진 시」で人生はこんなにも生き難いのに詩がたやすく書けてしまうことを恥じてもいた。
<...인생은 살기 어렵다는데
시가 이렇게 쉽게 씌어지는 것은
부끄러운 일이다...>
ユン・ドンジュの詩も思い出し、空を見上げてしまうたやすさ、自分の気楽さが苦しくなってくる。

爆弾が落ちてくるかどうか、それを知るために子どもたちが毎日空を見上げなければならない習慣を世界は押し付けてしまったから。
東京の空からガザの空。
つながっている空、たやすく見上げることができない空。
ガザでの、パレスチナでの虐殺を75年以上放置した私たちは天井のないゲットーにつながっているこの空をもうたやすく見上げることはできない。
今ほど恥を感じることなしに空を見上げることはできない。

国際法違反である占領、入植等は民族浄化(ジェノサイド)であると同時に
パレスチナの人々の故郷(ホーム)の風景までも破壊し変貌させ「ホーム」の記憶をも抹殺、破壊するメモリサイドでもある。見上げる空の記憶さえ、変えてしまうメモリサイドだろう。

ジルベール・アシュカル Gilbert Achcar による、昨年10月に発表されていた
「ハマースの10月反攻に関する最初のコメント」あらためて的確。

Two Kids a Day

I don't, we don't stop talking about Gaza.
I don't, we don't stop talking about Palestine.

#CeaseFireNOW
#StopGenocideinGaza
#StopGenocideinRafah
#FreePalestine

初出、2024年3月

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