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一升瓶から学ぶ、同じ物に向き合い続けることで見えてくる楽しさ。

突然ですが、私は一升瓶が好きだ。
その形、歴史、佇まい、雰囲気、機能性、コスパ……。
どれをとってもちょうどいいし、むしろいい。
かさばるし、デカいし、重いし、途中で飽きるけど、
そんな不便さも愛おしい。

そう思えるのは私が一升瓶から大切なことを学んだから。
今日はその学びのほんのひと粒を記します。

その学びとは、


多面的に物事を見て、楽しみ方を探す気持ちを持ちなさい。
というもの。

気づいたきっかけ


一升瓶は、1800mlの液体が入る瓶だ。よくお酒や醤油、味醂を入れる際に使われる。今回は私が愛してやまない、お酒の一升瓶の話として聞いてほしい。
約2リットル、水やジュースならまだしもお酒となると飲み切るのに結構な時間がかかる。
当然途中で味も変わるし、飽きてくる。なんで買ったんだろうか?と自分を責めたこともある。

週二の飲酒では一向に減らない一升瓶のお酒たち


そう思うようになったときに、
ある考えにたどり着いた。

味が変わるということは、劣化ではなく楽しみ方の変化。
飽きてきたということは、一旦他のお酒を飲む時期。
人と同じで歳を重ねるごとに変化するものがお酒なのだから、それも楽しめる気持ちを持とう。

出典:いつかの自分

今の世の中は鮮度にこだわりすぎている。
やれ生酒だの、やれ急速冷凍だのと近代技術に頼って美味しいものを知りすぎた。

その弊害は何か?
素材を楽しむという、楽しみ方が流布したことだ。
鮮度を活かすとなるとたいてい「そのまま」を味わうことになる。
それは江戸前鮨で例えると仕事の手間はなく、ただ産地が近い東京湾の魚たちを楽しむだけの寿司のようなものだ。
それはそれでいいのだが…漬けや酢じめ、火入れの技術があってこその職人芸、伝統食だと私は考えている。

つまり、まとめると

鮮度の良さを優先し、出来立ての美味しさや揚げたての味を楽しむことを重視した結果、
現代において一升瓶のような、長くチビチビ楽しむものが廃れてしまっていると言いたい。

変わることは悪いこと ではない


開けてからの熟成による変化を楽しむ。
開けたてのときに合う料理と、一週間後、一ヶ月後、飲み切る間近のときに合う料理は違ってくる。
家庭料理は同じメニューを何日も続けることは少ないだろう。
だからこそ、その日その日の料理とお酒を合わせていく、そういった日々の楽しみが一升瓶のある生活では手軽にできる。
飲み切ることに追われず、残したっていい安心感があって
どうしても飲めなかったら少しずつ料理に使えばよい。
一本の一升瓶にはたくさんの可能性が秘められている。
それを引き出すために色んな角度で向き合っていくこと、料理や器や温度を変えることは、工夫を凝らして美味しく飲もうとする、
酒飲みの真骨頂とも言える遊びに繋がるのだ。

楽しみ方の一例

熟成を重ねた魚たちに、何の変哲もないレギュラー酒を合わせる。


時にはベストな割材を探すために模索することもある。


そしてたどり着くのは温めること。

これは、
同じ酒を飲み続けることに楽しみと快感を覚えた
お兄さんの雑記。
何を買えばいいのか迷ったときは、お兄さんにメッセージを送ってね。
相談乗ります。

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