やさしくなれたと思っているのは自分だけなんじゃないの症候群
これまでの記事で何度か「僕は昔とてもわがままで周りの人を傷つけてきたけれど、最近はとても丸くなったと自分で思います」なんて書いたものの、実際はちっともそんなことないのかもしれません。
昔は感情の赴くままに、相手の気持ちや立場を考えずに強い言葉を投げかけてしまうことが少なくなかったのですが、最近はそういうことも減って………きたつもりだったのに、よ~~~く考えたら昔とあまり変わってないんじゃないかという気がしてきました。
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友達との約束が、相手の都合で変更になったとき。昔なら全力で「約束してたのに!!!」と不満を口に出す人間でした。
でもそのような対応によってたくさんの人に嫌われてきたので、「相手には相手の都合があるんだから…」と考えるように努めた結果、今では約束がダメになっても腹を立てることもなく(たぶん)(ガッカリはするけど)(ってかそれで腹を立てることがすでに異常)(昔「そんなに約束を守るのが当然と思われても困る」って言われたし)(そういうものなのだろう)。
怒りもせず不機嫌でもない、普通のテンションの返事を送ったつもりだったにもかかわらず、それでも何となく相手の様子がおかしかったりして、「あれ?」と思うことがあります。
なぜ僕は普通にしているのに、相手の態度に違和感があるのか?
①相手がこっちに対して罪悪感があるから、その引け目から不自然な振る舞いになっている
②過去に僕がキレた経験があるから、相手に「きっと怒っているんだろう」と緊張されている
③僕の返事が、文面では普通を装っていても、受け手には憎悪を読み取れるものになっている
このどれかかな…?と考え始めると、僕の性格上すぐに「きっと③だ」という結論にたどりつきます。何事も相手より自分が悪いと思う・思い過ぎるのが常なので。
無意識のうちに自分の中のマイナスな感情が相手に伝わるような仕掛けを入れてしまっているのでしょうか。
けれど後から自分のメールを読み返してみても、どこにそんな要素があるのかがわからない。
ということは日頃から、意図していないのに相手に不快感を与える文章を送っているのでは、と負のスパイラルに入り込んでいくのです。
でもきっと、ここまで考えること自体が異常で。
そういう性質が、周りとのコミュニケーションの中で節々に顔を出し、「難しい人だなぁ」「めんどくさいなぁ」と思われる要因になっているのではないかな、と考えるわけです。
「大人になってから仕事以外で関わる人なんて、楽な人が一番いいに決まっている」
それはわかっているのに、周りにとって「楽な人」に全然なれていない自分へのもどかしさ、そして周りへの申し訳なさにのたうち回るのです。
誰にも知られることなく、書いたメールの文面にネガティブな要素が何%含有されているかを第三者視点で測ってくれるツールがあればいいのに(鬼レベルに他力本願)。
あと、相手がやさしい人だと、この「相手に不快感を与えないメールを送ろう」の取り組み基準がクソ甘くなってしまうこともよくあり、おかしなメールを送ってしまうことがいまだに少なくありません。
その都度「あっ」と思うものの、脊髄反射で送信完了してしまっていることがあるので、本当に死ぬまで反省し改善できるよう努力を続けなければなりません。
昨日は許してくれた人が、今日も許してくれるとは限らない。
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「僕は昔とてもわがままで周りの人を傷つけてきたけれど、最近はとても丸くなったと自分で思います」
そんなものは驕り高ぶり、今でも昔と変わらず圧倒的コミュニケーション弱者であることをもっと粛々と自覚して、周りの人たちに迷惑をかけないよう精進していかねば。
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