「引きこもり」を自称する人たちへの疑問

これは引きこもりに限らず自分がいじめによるPTSDに苦しんで不登校が始まった頃からある、ヤングケアラーでもある
困ってるカテゴライズで目立つ人と目立てない人の違い

一般人で現役で生きていけた常識にある当たり前の視点
そこから見た困ってる人間へのわかり易さに合わせられる当事者の存在にとても違和感がある
「努力してなったんだ」
エセ支援者の常套句
根拠がほしい

もちろん努力してなれた人はいるはずなのに
その努力ができた人というのはできないで苦しんできた記憶がなくなってしまうのかと思うほど軒並み必ず苦しむことについて語られない
エセ支援者たちの「実績」では特にこれが顕著でそんなものが一般社会からしたら賞賛されてしまうのを見るたび絶望感がのしかかっていく

自分は何も支援が受けられていない
家族以外の他人との接点がネットを使えるようにしても誰1人とも作れていない

ゲームみたいな表現でいうならステータスでいう属性
自分は社会的に孤立した引きこもりであると同時に
在宅介護を行政に相談しても支援受けられないまま経験した介護者の属性
精神障害者2名を診断名も教えてもらえないまま相手しなければならなかった複数型ヤングケアラーの属性
成人してしまって10代が終わって元でも自分の時間を最終的に自己犠牲に全振りしてしまったので経験が極端に乏しく精神年齢はアダルトチルドレン化している属性

介護者が亡くなり、精神障害者が1人別居するようになったが、表面上の広報活動で支援実績を書き連ねられる一方で何も支援がなく過ごさなきゃならなかったこの年までの無職で他人への恐怖やフラッシュバックから塞ぎ込む毎日
外出は買い出しから自力で頑張ってきたが反動に苦しむ

他の属性のこと想像できない人は結構そちらへ差別的な発言をする
自身が属する属性では俺は私はかわいそうだろ?権利侵害だろと声を大きくする癖に
そういう行動が理解できないというか本当に経験してない可能性も感じる

孤立してる子どもがやっと助けを求める時に、経験を積んでるはずの大人が「大人の方がお前の何十倍も大変なんだ助けて欲しかったら先に気遣え」と言われるのと似ている
大人は何十倍も大変か知らないがレベル1桁HP10の子どもとレベル50くらいHP100000くらいの大人では1ダメージ喰らう重みが違うだろう
よく部屋にこもる無職状態をそういう環境下に恵まれてうらやましいなど侮蔑されるが、まずその立場まで経験値貯めてレベル上げできる環境下にいることは恵まれてないのだろうか

不登校の延長線で外出に困難、他人と接点作ることに困難になるひきこもりのことを成人してからひきこもりになる人間に対応してないという話で比較級にあげられることが多々ある

ひきこもりの状態のまま就業できるネット求人が整ってるとも言われる

それこそ成人してからひきこもりになったような、ある程度既に社会人として成熟した人間だからできるんじゃないか
ネット環境で他人と接点持つには1人の一般人として自認と蓄積ができてなきゃ到底できないことだと思うが違うんだろうか

自分は生活困窮者の話がある程度社会人として成熟した状態の人間の話で一般社会人との間で語られて進められることにとても脅威を感じる

生活困窮の当事者がアニメやドラマや小説のように噛み砕いてわかり易く人を惹きつける文才に優れた小説家や記者が書くような文体でいつも同じトーンで当事者とは何かを主張できる訳がない
何かしら相手の反響のある会話経験を積まなければわかり易い文章は書けない
本来なら当事者インタビューして話せた部分をつなげて精査して本人に確認して記事にする本物の記者がいなければ当事者の声なんて日の目見ない

口ばかりで「何度も通って心を開いてくれたんですよ」と言ったそばから数回程度で都合が悪くなれば「移動」が発生して逃げるような者を専門家として取り上げてつけあがらせた
ひきこもり特集を報じてきたNHKには特に重大な責任があると思う

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