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現代長歌

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「現代長歌」
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2022年2月の記事一覧

塚本邦雄の第一歌集を読んで。

 塚本邦雄の第一歌集を読み終えた。
 日本にいて日本に在らずという気概がかなり色濃い。
 私たちの短歌は、万国に誇るべき歌なのだと主張する。
 若き塚本邦雄がいる気がする。

 また、キリスト教への付かず離れずがある。
 あくまでも西洋芸術が、当然にキリスト教なしには語りえないように
 世界文学には、キリスト教なしでは語れないことを知っている。
 日本キリスト教の萌芽を牧師や信徒に求めるのは当然だ

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今日は早かったからもう眠い。
明日はCコース延長版Dコースの開拓を目論む。
心拍数や呼吸は抑えめがお好みらしい。高低差あると辛い。
現代長歌も明日封筒買って送る。
長歌連作だから数ヶ月まとめて。
落ちるやつもしこしこ作りながら歌集で拾うと思い作り溜め。
現代短歌への挑戦もする!

現代長歌、ワーズワースのマイケルを二つの訳で読んでいたら、やはり岩波文庫って読みやすいなぁと思いながら、これやればいいじゃん。という事で帰ってから書き始め、全く違う現代長歌ができた。現代短歌からの現代長歌でもない。やはり、インプットから始まりアウトプットする内に内容は変わってゆく

それは生存表明のようなものであり、歌人として一行で寒中見舞いを送ってくるようなものなのだ。
つまり、写実だとか象徴だとか、あるいは、ロマン主義などという芸術的な立場など関係なく。

二週間前に対面で会った両親に
乾パンでは腹が満たないのです

と書き送るようなものが現代短歌なのだ

自動書記的なものは
「時代遅れ」だが、下句の飛躍は、一種の自動書記的なものだ。
その距離が遠いのか近いのかの違い。
しかし、分からないのが現代短歌は、素朴な詩情を淡々と歌うのだ。それが、写実だとか象徴だとかはどうでもいいのだ。
芸術的な立場なんかより私の歌良くない?という感じ

短歌において、未だに「写実」が貴ばれるが、いつ完成するんだ。🤔
ずっと正岡子規先生の理想を追い求める。
戦後の人たちは、その時代の超克に敢えて「写実」を唱える。😒
正直な者はそこで「象徴」を主張することになる。
私はロマン主義と言われるから芸術の立場とはどう定義されるのか?

自由の刑

――神は、人を殺す。
「明日が晴れであろうと僕にとって何も関係がない」
自由の刑、自由の茨、自由の嘘。――神は、人を殺す。
「幾人もの希望を奪い、幾人もの幸せを奪う。神なんて僕にはいない」
「明日が雨であろうと僕にとって何も関係がない」
――君が、君を殺す。神は、殺しもすれば生かしもする。
神は、君が思うような知られる神ではない。(ヨハネ4章24節)
  反歌
知らぬ人と明日の天気を語り合う命は

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