CYOG (Customize Your Own Gear)

CYOG (Customize Your Own Gear)

最近の記事

元祖コミックバンド (Weintraubs Syncopators) 唄えば天国ジャズソング外伝

戦前のジャーマン・スウィング ハット・ボンボンズに影響を与えたとされるドイツのバンド、コミカル演奏で有名なワイントラウブス・シンコペーターズ[Weintraubs Syncopators]について。 (読みカナは"ワイントラウブス・シンコペーターズ"また"ワイントラブス・シンコペーターズ"が公的にも混在のようだ) 断っておくと、元祖(仮)としたのは、近現代以降で、サイトギャグを織り交ぜた演奏をステージ芸(エンターテインメント)にまで昇華させたた点に於いて初ではないかと。

    • ハット・ボンボンズ (コミックバンド) 色川武大のジャズ

      すばらしき音楽(音楽漫才) "あきれたぼういず"のライバルと云われたのがコミカル演奏での"ハットボンボンズ"な由(「喜劇人回り舞台(旗一兵)」では"ギャグ演奏"としての紹介が)。フロリダ・ダンスホール(この箱については瀬川昌久の著作に詳しい)にてデビューしたバンドだそうで(当初バンド名は"ハトポッポ")、その奇抜な演奏が新興キネマ(演芸部)の是唯健彦(=履歴不明、唯是の誤記?)の目に止まり、それで"あきれたぼういず"の伴奏楽団としてスカウトされた説が=旗一兵史観。 (当時

      • あきれたぼういず (コミックバンド) 色川武大のジャズ

        スウィング浪曲 第5章では"あきれたぼういず"がフィーチャーされている。いわゆるボーイズものとされる一種の歌謡漫談で、スウィング浪曲をベースにバーバルギャグ連発なステージは、軽妙にスピーディー&洒脱にしてモダン、そして"ハモる"のが当時としては画期的だった由。だが、際立つのはカオス=浪曲調に川田義雄がリードを取るとしても、そこにオペラにシャンソン、また石川啄木までサンプリングというジャンルを問わない"ごった煮"は他に類を見ないそうだ。 (例えば、なんらかのジャンルに特化=

        • 橘薫と三浦時子 (エッチン・タッチン) 色川武大のジャズ

          宝塚歌劇初のJAZZ 前回「唄えば天国ジャズソング」の第4章まで、今回はスピンアウト。まずは「ディガ・ディガ・ドゥ(Diga Diga Doo)」、SP盤("A815")と蓄音機で。 (オリジナルは1930年の"26007"盤で、この"A815"は1950年の再販盤) ジャジーなポーカルはエッチン&タッチン=橘薫と三浦時子、そう、宝塚少女歌劇団。1930年(昭和5年7月)初演のレヴュー「パリゼット」劇中歌でプロデューサは白井鐵造。この曲(唄)に関しては「銀座百点」の連載

        元祖コミックバンド (Weintraubs Syncopators) 唄えば天国ジャズソング外伝

          桜井潔とコンチネンタル・タンゴ

          長崎物語 第4章の補足。戦時下、桜井潔とその楽団(サクライ・イ・ス・オルケスタ)のステージを色川武大は幾度か見ている。その桜井潔といえば"タンゴ"だ、十八番は「ラ・クンパルシータ(La Cumparsita)」に「ジプシーの夢(Lamento gitano & Sierra madre)」、また「奥さまお手をどうぞ(I Kiss Your Hand,Madame)」など、が、代表曲&最大のヒットは「長崎物語」になるだろう。 ではその「長崎物語」、SP盤と蓄音機で。ルーツは

          桜井潔とコンチネンタル・タンゴ

          ディスカバージャパンと日本のうた(色川武大のジャズ)

          藤山一郎のジャズ 第4章の標題曲「フウ?(Who?)」、これには幾つかの日本語バージョンが。その一つが藤山一郎の「誰ゆえに?」で、この"Who?"="誰ゆえに?"というトランスレート(邦題)は秀逸であると色川御大は評されている(訳詞は西条八十)。では公式音源で。ルーツは昭和9年(1934年)の録音だと思う(いわゆるビクター在籍時代の後期)。 藤山版の他では、訳詞&アレンジは微妙に異なれど、作間毅版「フー」、徳山璉版「フウ」なども知られている(いずれも瀬川昌久監修の復刻シリ

          ディスカバージャパンと日本のうた(色川武大のジャズ)

          Who? 色川武大「唄えば天国ジャズソング」"フウ?"を聴く

          "Stole My Heart Away" 第4章の標題曲は「フウ?」。これはスタンダード、なるほど、聴き覚えのある曲では? 1925年のミュージカル「サニー(Sunny)」劇中歌で(プロデュースはオスカー・ハマースタイン2世[Oscar Hammerstein II])、元祖ボーカルではジャック・フルトン[Jack Fulton]だろうか。そのジャック・フルトンで「who?」、公式音源(音源ルーツは、おそらく1925年の録音)。 後の30年代、ジャック・レオナード[Ja

          Who? 色川武大「唄えば天国ジャズソング」"フウ?"を聴く

          テル・ミー (Tell Me) 色川武大のジャズ

          天野喜久代&湯山光三郎 第3章でのメインは二村定一、それにまつわり「テル・ミー(Tell Me)」という曲の紹介が。マックス・コートランダー[Max Kortlander]作曲、ウィル・キャラハン[J.Will Callahan]作詞による1919年の作品。ボーカル版の元祖はアル・ジョルソン[Al Jolson]のバージョンで、これでマックス・コートランダーはブレイクした由。当時、他にも、アーサー・フィールズ[Arthur Fields]のボーカル版、かのオリジナル・ディキ

          テル・ミー (Tell Me) 色川武大のジャズ

          二村定一と色川武大のジャズ

          日本初のジャズのレコード 色川武大著「唄えば天国ジャズソング」の第3章は「アラビアの唄」。この章では国内ジャズ・レコード歌手の元祖とみなされる存在でもある、ボードビルの二村定一がフィーチャーされている。幼少の色川武大と晩年の二村定一には親交が、詳しくは「怪しい来客簿」を参照されたし(他の随筆でも、折にふれて二村定一の逸話が紹介されている)。ボードビリアンとしての二村定一論では色川武大による考察を超えるものはないだろう(音楽的に体系的な解説では、瀬川昌久著「舶来音楽芸能史」な

          二村定一と色川武大のジャズ

          戦時下の笠置シヅ子(色川武大のジャズ)

          アイレ可愛や 「唄えば天国ジャズソング」からスピンアウト。例えば「戦後史グラフィティ」など色川武大の他の著作での推奨が、戦前-戦中の笠置シヅ子。特に戦時下でのイチ推しが「アイレ可愛や」なのだ(当時のステージではジャズ=敵性音楽、南方民謡的な、この曲がギリギリ可だったそうだ)。 では「アイレ可愛や」、レコード番号"A196"で当時のSP盤&蓄音機は250。 この"A196"のSP盤そのものは戦後のプロダクトだが(1947年発売)、曲は、昭和10年代から唄われていた笠置シヅ

          戦時下の笠置シヅ子(色川武大のジャズ)

          岸井明(色川武大のジャズ)

          ダイナと月光価千金 第2章の終わりでは、岸井明にもふれており、唄では「ダイナ(Dinah)」と「月光価千金=月に告ぐ(Get Out And Get Under The Moon)」が紹介されている。まずは岸井明で「ダイナ」。1935年の録音、当時のSP盤(Victor 53606)と蓄音機で。 ヴァイナル盤では10枚組LP「日本のジャズ・ポピュラー史」の戦前編("Victor SJ-8003-1-10")にも収録が、このLP盤は色川武大御大も所有していた。 そもそもは

          岸井明(色川武大のジャズ)

          ジーグフェルド・フォリーズ(レヴューとミュージカルの違い)

          ア・プリティガール・イズ・ライク・ア・メロディ エディ・カンター[Eddie Cantor]にルース・エッティング[Ruth Etting]では、ジーグフェルド・フォリーズ(Ziegfeld Follies)にもふれた。その、いわゆる"フォリーズ"については、MGM(Arthur Freed)さえも伝わるか怪しいこの御時世では、見ていただくのが早い。幸い36年の「巨星ジーグフェルド(The Great Ziegfeld)」がDVD化されている、興味があればぜひ(サブスクにも

          ジーグフェルド・フォリーズ(レヴューとミュージカルの違い)

          「唄えば天国ジャズソング」第2章の続き(ルース・エッティングとヘレン隅田)

          Love Me or Leave Me 前回、ウォルター・ドナルドソン[Walter Donaldson]とガス・カーン[Gus Kahn]による、「イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー(Yes Sir,That's My Baby)」と「メイキン・ウーピー(Makin' Whoopee)」を紹介。戦前に活躍した作曲&作詞家で、数多のポピュラー曲と映画音楽を手掛けたが(共作は100曲以上とされる)、色川御大によると、エディ・カンター[Eddie Cantor]のミュージカル

          「唄えば天国ジャズソング」第2章の続き(ルース・エッティングとヘレン隅田)

          色川武大「唄えば天国ジャズソング」の第2章は"イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー"

          Yes Sir,That's My Baby! 標題曲は「イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー」だが、冒頭、「ティペラリーの歌=遥かなティペラリー(It's a Long Way to Tipperary)」にふれており、ポピュラーヒットな由。それはまあ色川御大など戦前派に於いてで(ポピュラーとはいえ、100年以上も昔の曲)、このデジタル渡世な御時世では知らない方も多いのではあるまいか? ジョン・マコーマック[John Mccormack]のバージョンで1914年の録音(

          色川武大「唄えば天国ジャズソング」の第2章は"イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー"

          色川武大のジャズ「唄えば天国ジャズソング第1章」からフレッド・アステア

          「トップ・ハット(Top Hat)」のフレッド・アステア 色川武大著「唄えば天国ジャズソング」の第1章の標題曲が「イズント・ジス・ア・ラヴリー・デイ(Isn't This a Lovely Day?)」。この章でのおすすめは、その「イズント・ジス・ア・ラヴリー・デイ」に「チーク・トゥ・チーク(Cheek to Cheek)」、そして「トップ・ハット」。いずれも1935年の映画「トップ・ハット」の劇中歌で、いずれも唄うはフレッド・アステア[Fred Astaire]。そのアス

          色川武大のジャズ「唄えば天国ジャズソング第1章」からフレッド・アステア

          榎本健一「エノケンの浮かれ音楽」をSP盤と蓄音機で聴く

          東京喜劇。 高度経済成長期の頃、エノケンとあると(様々な媒体に)、必ずといってよいほど「喜劇の王様...云々。が、そのキャプションの意図するところがなんとも? せいぜい"渡辺のジュースの素"のCMソングの人という印象のみ。当時、TV時代(TV全盛期の末期、ちなみにまだ白黒テレビ)、喜劇=笑いでは、すぐに思い浮かぶのは藤山寛美にコント55号だろうか? 80年代初頭(偶然手にした)、小林信彦著「日本の喜劇人」でようやく見えてきたというお粗末さ。そう、戦前が最盛期(特に体技派で

          榎本健一「エノケンの浮かれ音楽」をSP盤と蓄音機で聴く