あきれたぼういず (コミックバンド) 色川武大のジャズ
スウィング浪曲
第5章では"あきれたぼういず"がフィーチャーされている。いわゆるボーイズものとされる一種の歌謡漫談で、スウィング浪曲をベースにバーバルギャグ連発なステージは、軽妙にスピーディー&洒脱にしてモダン、そして"ハモる"のが当時としては画期的だった由。だが、際立つのはカオス=浪曲調に川田義雄がリードを取るとしても、そこにオペラにシャンソン、また石川啄木までサンプリングというジャンルを問わない"ごった煮"は他に類を見ないそうだ。
(例えば、なんらかのジャンルに特化=その枠内でのパロディ演奏を得意とするバンドでは、当時、1920-30年代にはワイントラウブス・シンコペーターズ[Weintraubs Syncopators]のような先例もある)
これも見る唄、ライブ至上。色川御大曰く「その魅力はレコード(ソフト)では三割ほどしか伝わらない...云々(御尤でございますが、もう見れないわけで...)。目指したのは、コミカル面(サイトギャグ&キャラクター的にも?)ではマルクス・ブラザーズ(小林信彦史観)、歌唱ではミルス・ブラザーズ[Mills Brothers]、後にはスパイク・ジョーンズ[Spike Jones & the City Slickers]の影響も。
まずミルス・ブラザーズで「ディガ・ディガ・ドゥ(Diga Diga Doo)」、公式音源。1932年の録音のはず(そのリマスターだと思う)。
次もミルス・ブラザーズで「シャイン(Shine)」、フィーチャリング・ボーカルはビング・クロスビー[Bing Crosby]、公式音源。これも1932年の録音のはず(これもリマスターかと)。
(収録LP盤では「ディガ・ディガ・ドゥ」は"AJA 5032"に、「シャイン」は"FPL-87341-43"に。ちなみにこの御時世では、初期ミルス・ブラザーズで現在も入手可能なヴァイナル盤は希少)
この2曲が、お手本であると坊屋三郎が述べている。楽器の他に、楽器の口マネ(音真似)=にもかかわらず、ある意味、楽器以上なハーモニーである点にも感化されたそうだ。これは(ミルス・ブラザーズは)偶然、楽器を忘れてステージに、それを誤魔化すのに楽器の音声模写をしたところ=大ウケ、それがキッカケで。
(益田喜頓はミルス・ブラザーズの「スイート・スー[Sweet Sue,Just You]」に感化されたそうで、その演奏を映画で見た由=映画タイトル不明。その当時=戦前、まだ国内にはミルス・ブラザーズのレコードは入っていなかったそうだ。すると坊屋三郎もフィルムで見たのだろうか?)
今度はスパイク・ジョーンズで「ローラ(Laura)」。元ネタは映画「ローラ殺人事件(1944年)」のテーマ曲でスタンダード、そのパロディ版(後年の作だがわかりやすいはず)。これも公式音源。
ルーツは、おそらく1960年頃の録音、ヴァイナル盤では「Thank You,Music Lovers(NL 89057)」にも収録が。
演奏には雑貨も活用で(鍋&フライパンなど)、それを坊屋三郎は真似た。それがあの、ラッパ(旧式"Ahooga"の一種=アナログなエアーホーン)とシンバルの付いた洗濯板なのだけれど...見ないと、わかんないかと。昔、確か小林信彦氏の解説で、わかったような、わからないような(私が鈍いのだ)、それで後年、映像を見て「ああ、こうゆうものかと妙に納得。
("Ahooga"そのものは、例えばかのジェリー・ロール・モートン[Jelly Roll Morton]が1926年の「サイドウォーク・ブルース(SIDEWALK BLUES)」ですでに取り入れている、スパイク・ジョーンズが初ではない)
では「唄えば天国ジャズソング」から"あきれたぼういず"で「珍カルメン」、1939年のSP盤(J-54506)と蓄音機で。
色川御大によると、この曲と「四人の突撃兵」の2曲が、特に当時のヒットだそうだ。その「四人の突撃兵」も紹介したいのだが(坊屋三郎の突っ込みが秀逸)、当時盤も所有しているのだけれど特にこのグループは権利関係が不明でUPは控えた(これ謎で、台帳では如何に?)。紹介の"J-54506"は国会図書館のデータでは権利消滅とされているのでUP可能であろうと。
それで"あきれたぼういず"には初期の第1期と分裂後の第2期とが。初期第1期は、川田義雄(晴久)、坊屋三郎、芝利英、そして益田喜頓。その"初期"が色川武大に於いての"あきれたぼういず"だ(紹介したのも、その初期メンバー音源)。特に川田義雄と、坊屋三郎の、互いの個性がぶつかることにより成立したかのようなユニットだそうで、分裂でそれが消滅した。
後述するが(次回に続く)、そこで=川田義雄が抜けたパワーダウンを補うためにも、松竹系の新興キネマ(演芸部)としては"ハットボンボンズ"に白羽の矢がという経緯だろうか?
You Can Call It Swing(付記)
30年代半ばの「You Can Call It Swing(ユーキャン・コール・イット・スウィング)」という曲、このメロディにインスパイア(?)が"あきれたぼういず"のテーマ曲=旗一兵著「喜劇人回り舞台」で紹介されている。ソウル・チャップリン[Saul Chaplin]作曲、サミー・カーン[Sammy Cahn]作詞で、そのカーン&チャップリンOrch.によるインスト版がオリジナルだと思うが、かのコニー・ボズウェル[Connee Boswell](=ボズウェル・シスターズ[Boswell Sisters])のボーカル版で知られている。
が、「喜劇人回り舞台」では"イッツ・コール・ア・スウィング"との表記が。しかしボーイズ登場期のポピュラーで"Call"に"Swing"では、この曲しかないはず。ヒアリングミスによる誤記と思われるが、もしかすると当時当初の国内盤では"そう"なっていたのだろうか?
ではその「You Can Call It Swing」で公式音源。
あと通説、昭和14年5月、坊屋三郎がロッパ一座の加川久=山茶花究を引き抜く。これはロッパの日記に書簡の記録が残されている。それはロッパ&坊屋三郎の視点として、ところが、すでに山茶花究はミルクブラザース(=川田義雄)にいて、そこから、あきれたぼういずに引き抜かれた説もある。これには藤浦敦(映画監督)の証言があるのだが、詳細不明(業界特有のややこしい事情だろうか?)。
コミックバンド総体では、レコード・コレクターズ増刊「コミック・バンド全員集合!」がおすすめ。やや古い本だけれど現在もバックナンバーで入手可能。
謎(追記)
戦前、1940年頃、結成当初のUSシティスリッカーズを現地にて吉本の林広高は見ている、そして帰国=ここで谷口又士のコミカルバンドが始動(吉本傘下)。日本で初めてスパイク・ジョーンズの影響を受けたのが谷口又士のバンドとして、その影響(流れ?)は戦後のクレージーキャッツにまで至るとする。戦前では林広高がキーマンだと思うのだけれど、開戦直前の帝都に如何にその情報が伝えられ、また戦後では、どのタイミングで如何にその影響が広まったのかもわかない。国内に於けるUSシティスリッカーズの影響に関しては体系的にも整った資料がない(だと思う、探せなかった)。回想&評伝など断片的なものはあれど、時系列的にも曖昧なものが多い印象を受けた。
(紹介の公式動画はYouTubeの共有機能を利用しています。SP盤動画に関しては隣接権が消滅であろうと思われる、また権利が消滅もしくはJASRACまたはNexTone管理下に置かれている曲です)
第12回[橘薫と三浦時子 (エッチン・タッチン) 色川武大のジャズ]
第14回[ハット・ボンボンズ (コミックバンド) 色川武大のジャズ]