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橘薫と三浦時子 (エッチン・タッチン) 色川武大のジャズ

宝塚歌劇初のJAZZ

前回「唄えば天国ジャズソング」の第4章まで、今回はスピンアウト。まずは「ディガ・ディガ・ドゥ(Diga Diga Doo)」、SP盤("A815")と蓄音機で。

(オリジナルは1930年の"26007"盤で、この"A815"は1950年の再販盤)

ジャジーなポーカルはエッチン&タッチン=橘薫と三浦時子、そう、宝塚少女歌劇団。1930年(昭和5年7月)初演のレヴュー「パリゼット」劇中歌でプロデューサは白井鐵造。この曲(唄)に関しては「銀座百点」の連載で色川武大が絶賛=国内ジャズ黎明期の一曲として。当時、白井鐵造は洋行時にローリング・トゥエンティーズのジャズを現地で体感していた。早速、取り入れる=試してみたい、は、想像に容易いかと。で、帰国第1作の「パリゼット」では、このようなジャズ作品も手掛けたのではあるまいか。

(レヴューの本場パリで研究に勤しむ白井鐵造だが、米国フォリーズも[Ziegfeld Follies]も視察している。舞台でのスペキュタキュラーな構成に於いて学ぶところが大きかったようだ、あの"大階段"もその模倣であるし)

宝塚歌劇に於ける歴史的な作品だそうで(本格的という意味では、宝塚初のジャズ作品が「ディガ・ディガ・ドゥ」)、それまでの少女趣味的な宝塚が、これで(「パリゼット」総体)大人の宝塚へと変貌を遂げた由。白井鐵造の尽力によるものだが、様々なファクターも。例えば師事した岸田辰彌の存在、それまでのタカラジェンヌとは異質な唄姫と云われるエッチン&タッチン(この二人には舞踏家の岩村和雄の影響が大きいとされる)、そしてモダニズム志向な時代背景(昭和初頭は大正デモクラシーの継承である点に留意)など。なんにせよ白井鐵造が(特に洗練&モダンという意味で)宝塚の基盤を築いたといっても過言ではないはず。

(最も大きな要因は異文化体験にあると考えていて、要は、欧米での暮らしを経て、自ずと、おそらく無自覚にも、白井自身がソフィスティケートされた=その結晶が「パリゼット」以来の宝塚ではないかと)

モダニズムの宝塚歌劇

モダニズムの演劇史を考えるに宝塚は特出しており云々(益田太郎冠者また松旭斎天勝などなどパイオニアの存在もあれど)、否、詳しくはない=どちらかというと宝塚苦手なのだけれど、調べるほどに、その影響ってすげえなぁ...と。ローシー[G.V.Rosi]に端を発する浅草オペラと合わせて戦前の宝塚の歴史も学ばないことには、戦前レヴューから戦後ミュージカルに至る経緯が見えてこないと思う。

エノケン&ロッパに例えても、エノケン作家として著名な菊谷栄も「パリゼット」には衝撃を受けた一人、そもそもロッパは宝塚歌劇出身(初舞台は宝塚初にして唯一の男子参加劇)。またトップ歌手の一人である(大正期末の男性歌手では一番人気)二村定一も宝塚ファンとして知られていたそうだ。その一種独特な宝塚様式というのだろうか、これはこれとして(狂言などの古典と比較すれば歴史は浅いけれど)、ある意味、すでに伝統芸能の域ではないだろうか。

ところで色川御大、宝塚からもう一人の唄姫をフィーチャーしている。それが草笛美子、戦前のプリマドンナでは突出した存在として御大の絶賛。今度は草笛美子で「セニョリータ(1931年)」劇中歌「美しきギターナ」、1931年のSP盤"U-2201"で。

「セニョリータ」は、前年「パリゼット」続編、様式はレヴュー。この公演で草笛美子(唄)の人気がブレイクしたそうだ(ダンサーでは住野さへ子にスポットが)。この"ギターナ"は、現代的にポピュラーなカナ表記は"ヒターナ"="La Gitana"だと思う。意味はジプシー女性、それで定冠詞の"La"が付く(ニュアンスは"La Bohémienne"で、つまりカルメン?)。

エトセトラ&エトセトラ(付記)

エッチン=橘薫、タッチン=三浦時子。稀に、古い文献では逆に表記(誤記)されているが、もちろんエッチン=橘薫とタッチン=三浦時子であります。しかしこれは、その舞台を見たかった(フィルムでもよい!)。橘薫では、彼女の存在なくして今に云うタカラジェンヌは現れなかったであろうとされている。歌唱力では三浦時子とされ、後年(後期)、シャンソンに於いて突出した才能をみせたそうだ。ところが...びっくりは、現在、殿堂100名のリストが公開されているが、なんとこの二人が入ってない!!! 白井鐵造が知ったら嘆くのではあるまいか?

あと、ローシーと浅草オペラにふれた、森話社の「浅草オペラ・舞台芸術と娯楽の近代(杉山千鶴&中野正昭編)」はおすすめ。ローシーの人物像が謎で(私の理解が浅いのだ)、特にその晩年は如何に? その謎&誤解も解けた。もしも興味があれば、詳しくは読んでいただきたいが、通説、志半ばに挫折かのようなイメージは、ではなくて、その総体では(後々の影響に鑑み)成し遂げたのではないだろうか。例えばバレエ(クラシック)での"メソッド"という概念を日本に伝えたという功績一つを捉えても(それまでの見様見真似の洋舞にはそんな概念はなかったわけで)大きな足跡を残したと思う。

(紹介のSP盤動画に関しては隣接権が消滅であろうと思われる、また権利が消滅もしくはJASRACまたはNexTone管理下に置かれている曲です)

第11回[桜井潔とコンチネンタル・タンゴ]
第13回[あきれたぼういず (コミックバンド) 色川武大のジャズ]