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ハット・ボンボンズ (コミックバンド) 色川武大のジャズ

すばらしき音楽(音楽漫才)

"あきれたぼういず"のライバルと云われたのがコミカル演奏での"ハットボンボンズ"な由(「喜劇人回り舞台(旗一兵)」では"ギャグ演奏"としての紹介が)。フロリダ・ダンスホール(この箱については瀬川昌久の著作に詳しい)にてデビューしたバンドだそうで(当初バンド名は"ハトポッポ")、その奇抜な演奏が新興キネマ(演芸部)の是唯健彦(=履歴不明、唯是の誤記?)の目に止まり、それで"あきれたぼういず"の伴奏楽団としてスカウトされた説が=旗一兵史観。

(当時"あきれたぼういず"は吉本から新興に移籍後の第2期で、川田義雄が抜けたことで低調期にかかろうかと。それと松竹の子会社が新興キネマ、この新興キネマについては山路ふみ子文化財団「新興キネマ・戦前娯楽映画の王国(共著)」はおすすめ、数多の希少な図版が掲載されている)

伴奏楽団説は、移籍条件として坊屋三郎曰く「一流のバンドをつけること... 云々と「坊屋三郎の浅草笑劇場(博美館出版)」にある、それでかもしれない。ライバル説は、益田喜頓も自伝の中で述べているように、ボーイズで音楽畑出身(歌手)は坊屋三郎のみ、他のメンバーは役者畑出身(舞台劇)。つまり例えば、仮に"あきれたぼういず"を歌手&役者による歌謡漫談(演芸系)として、対して"ハットボンボンズ"は演奏者(ミュージシャン)とすれば=そもそも異種、比較対象として???

でもジャズのリズムで進行する寄席芸としては(であるならば)同じ枠ではある(ただ、あきれたぼういずをバーバルギャグの"ボーカル"芸とすれば、ハットボンボンズはいわば"インスト"芸)、それか興行成果を競い合うという意味でのライバルか? 実際のステージを見ていないからには、よくわからないのだけれど(特にサイトギャグに関して)、とにかく、フタを開けてみると(新興のプログラム総体で)概して他の芸人はその奇抜な演奏芸に喰われたようだ。

(「他の芸人は喰われた...云々は、だとしても、実質、新興の屋台骨を支えていたのは初代ミスワカナ&一郎とボーイズであった。ミスワカナ&一郎は夫婦漫才ではパイオニア的存在、このコンビ、戦時下に於いてもジャジー&モダンな漫才を披露し続けていたそうだ=矢野誠一史観。ジャジーな漫才とは如何に? と思われるかもだが、そもそも萬歲=漫才は音楽でも=歌謡の一つの原点)

そのステージ、なんでも、ミニチュアの楽器での演奏(これには色川武大と谷啓がふれている、谷啓は後のクレージーキャッツの)、楽器&演奏による空中戦? そして二人羽織で演奏と=つまり、やはり見る唄(音楽)に。要は、サイトギャグとジャズのクロスオーバーで(だと思う)、演出(寄席芸)では伴淳三郎がサポートしたそうだ(微苦笑...否、伴淳はフィクサー的で、業界内での政治的にも不可思議な動向の逸話が伝えられている)。留意は、この時点では生活雑貨も活用なコミカル演奏で知られるUSシティ・スリッカーズ[Spike Jones & the City Slickers]はまだ結成されていない。

(生活雑貨の活用、そもそもは、坊屋三郎はUSニュース映像で見た路上でのジャムセッションの様子に触発されて=例えばドラム缶を叩くなど雑貨も活用でリズムを取るという。ハットボンボンズは、例えば茶碗を箸で叩きリズムを取るような座敷芸に触発されたそうだ=瀬川昌久史観)

さて、文献に記録はあれど、肝心の演奏映像&音源は皆無に等しいのでは。特に「うら町の勧進帳」と「壺坂霊験記」の2曲(ともにジャズ版と思われる)がヒットとして伝わっているが...でもまあそれも幻であります。が、現在、超希少なSP盤音源をUPされている方が、権利関係はクリアと思われるので紹介させていただく。

ではハット・ボンボンズで「すばらしき音楽(音楽漫才)」、日本コロムビア"30432(1206171)"、1939年の録音。

アチャコ青春手帳(めでたく結婚の巻)

映画出演では、古くは「金毘羅船(新興1939年)」と「開化の弥次喜多(松竹1941年)」があるそうで、いずれも本領発揮なコミカル演奏とされる(これも、フィルムは現存するのか? この作品に限らず、戦前-戦時下の邦画は状態の良いフィルムが残されているほうが稀)。詳しくはレコード・コレクターズ増刊「コミック・バンド全員集合!」に瀬川昌久による解説が(現在もバックナンバーで入手可能)。

おそらく唯一ビデオ化では「アチャコ青春手帳・めでたく結婚の巻(新東宝1953年)」劇中に"ハットボンボンズ"による演奏が。4シーンに登場=4曲(だと思う)。トニー谷の伴奏(これ短い、トニー谷は算盤芸)、榎本美佐江「舞妓はんブギ」伴奏(1コーラス)、新倉美子「男心は秋の空」伴奏(わりとじっくり聴かせる)、そして最後にダンスナンバー(曲名は...?)。バリエーションなスコアだが、いずれもオーソドックスな演奏、コミカル云々の実態は不明。また、1953年5月5日クランクインで6月3日公開であり、初期オリジナルのメンバーではない。しかし末期ハットボンボンズとしては(公式にクレジットされたものでは)最後かもしれない。

それと前述、新興演芸部云々、演芸場にミュージシャンは違和感を抱かれるかもしれないが、あえてごった煮なコンテンツを組むという、それが当時の新興の方針(つまりバラエティショー)。というか、ごった煮な演芸の中でも、特に音楽的コンテンツに特化したものが、それこそがボードビルに。ちなみにコーラス芸(楽器の音真似)のミルス・ブラザース[Mills Brothers]に例えても、当初はボードビルとして。ついでに、端的には、エロ度が顕著なほどバーレスク[Burlesque]になる。

(もしも寄席に出ている音楽家を軽視するのであればナンセンス! 音曲の西川たつ=岸沢式多津のような超一流プレーヤーの存在もあるではないか)

かの国では、古くはミンストレルス(minstrels)の派生とされており(青木啓史観)、ミンストレルスは唄&寸劇などによる原始的な放浪芸の形態=日本に置き換えると門付&辻芸に近い(ある種の職能民文化)。それが小屋芸となり、欧米の影響はふまえ、近代以降にはステージショーとしてソフィスティケートされたのが現代的なボードビルでもあるのだと思う。

ところで...謎は、1930年代末から50年代初頭=およそ10年間の実績が、にもかかわらず、大戦期を挟むとしても(出征もあれど)、喝采を博するバンドとしてはレコーディング数が極端に少ない、そこがわからない。あと、戦前のコミカルな演奏では谷口又士(パイオニア期からのジャズマンの一人)のバンドも活動していたそうだが、本書(「唄えば天国ジャズソング」)では谷口又士のコミカル面にはふれられていないため割愛させていただく。"あきれたぼういず"と"ハット・ボンボンズ"の各メンバーの履歴などは、「喜劇人回り舞台」&「日本の喜劇人(小林信彦)」、また「コミック・バンド全員集合!」にてあらましは把握できるはず。

第13回[あきれたぼういず (コミックバンド) 色川武大のジャズ]
第15回[元祖コミックバンド (Weintraubs Syncopators) 唄えば天国ジャズソング外伝]