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スリム・ゲイラードとジョー・スタッフォードの"For You"...&パティ・ペイジのジャズ

ジャズ・スタンダード

「唄えば天国ジャズソング」第7章では「フォー・ユウ(For You)」にスポットが。他にも数多の曲名が列記は、この章も、具体的に特定が難しい=曲名は明かでも歌手&バージョンなどの詳細は=「確か...はず? というような。そもそも購入ガイド本ではない、色川御大曰く「出たとこ勝負...に記憶を辿る試みは、曖昧に「できますものは(by金馬)...むにゃむにゃむにゃ(by志ん生)、も、一興。

それで却って推敲&妄想の余地が残されているという特徴が=ある意味、正解は読み手次第なのだが、本書を掘り下げる過程で、自ずと、戦前ジャズを学ぶことにもなる。ちなみに色川本総体としては200曲余りが紹介されているが、音楽のエキスパートではないと予防線を張っている御大、そこは例えば瀬川昌久の著作などにも学び欠けているピース埋めることで、戦前-復興期の帝都音楽シーンがより立体的に見えてくるはず。

(当時の軽演劇&レビューでは「戦争育ちの放埓病」に所収の「戦時下の浅草」も参照されたし)

さて、標題曲の「フォー・ユウ」は1930年の作品(ジョー・バーク[Joe Burke]作曲、アル・ダブリン[Al Dubin]作詞)、ボーカル版の元祖はビング・クロスビー[Bing Crosby]だと思う(1932年の映画「Billboard Girl」劇中歌)。スタンダードに数多のバージョンが、まずはジョー・スタッフォード[Jo Stafford]。これは盤の記述がある、60年のアルバム「Jo+Jazz」だ。公式で。

この音源ルーツは、おそらく60年のLA録音。

そのLAでの編成は、レイ・ナンス[Ray Nance]&ドン・ファガーキスト[Don Fagerquist]&コンテ・カンドリ[Conte Candoli]トランペット、ローレンス・ブラウン[Lawrence Brown]トロンボーン、ジョニー・ホッジス[Johnny Hodges]アルトSax、ベン・ウェブスター[Ben Webster]テナーSax、ハリー・カーネイ[Harry Howell Carney]バリトンSax、ラス・フリーマン[Russ Freeman]チェレスタ、ジミー・ロウルズ[Jimmy Rowles]ピアノ、ボブ・ギボンズ[Bob Gibbons]ギター、ジョー・モンドラゴン[Joe Mondragon]ベース、メル・ルイス[Mel Lewis]ドラム、そしてコンダクターはジョニー・マンデル[Johnny Mandel]。

次、パティ・ペイジ[Patti Page]で「フォー・ユウ」。カントリー&ワルツ歌手のイメージが固定なパティ・ペイジなのだけれど、これは59年のジャズアルバム「Indiscretion」もしくは「Tenderly(60年頃のジャズアルバムで日本限定盤?)」の一曲? とにかく彼女のレコードを片っ端からチェック、それで出逢えた、なので、あまり自信が…これしか探せなくて、他にもバージョンがあるかも。公式で。

手元にあるのは「Tenderly(SM-7057)」で、これは「Indiscretion」と収録曲がほぼ半分被る。今となってはレア盤だが、これ録音年代などのデータがライナーノーツにも未記載、リリース時期からも、おそらく「Indiscretion」と同音源? ちなみにこの方、戦後、磁気テープでのオーバーダブでは元祖的な歌手(例えば"テネシーワルツ"での一人四重唱)。

最後は放浪のジャズメン、スリム・ゲイラード[Slim Gaillard] で「フォー・ユウ」。56年のアルバム「Smorgasbord...Help Your Self」の一曲、公式で。

この章の掲載は83年、先の82年には「Smorgasbord...Help Your Self」の復刻国内盤がリリース=Verveの"23MJ 3196"で、タイミング的にも執筆時、この"23MJ 3196"盤を色川御大は聴いていたのではあるまいか(ただ、御大の贔屓であるから、オリジナルの古い盤も所有していたのでは?)。

オリジナルの編成、ギターはスリム・ゲイラード、ベースはクライド・ロンバルディ[Clyde Lombardi]、ドラムはチャーリー・スミス[Charlie Smith]、ピアノはメイシオ・ウィリアムズ[Maceo Williams]、テナーSaxはバディ・テイト[Buddy Tate]、そしてベニー・グリーン[Bennie Green]のトロンボーン。

スリム・ゲイラードは「レコード・コレクターズ」の86年1月号が特集号でロングインタビューも掲載、稀有な内容は、これもおすすめなのですが、すでに品切れ(国会図書館にはある)。それと逸話では、別書「花のさかりは地下道で」も参照されたし(興味があればです!)。御大の知人の娘さん(Ms.YoYo?)がスリム・ゲイラードまたキャブ・キャロウェイ[Cab Calloway]と、老境を迎えたジャズメンとの親交があり、そのエピソードが綴られている。

そしてスリム・ゲイラードといえば「セメント・ミキサー(Cement Mixer)」も御大一推し、公式で。

このルーツ、おそらく45年末のLA録音。LA編成、ピアノはスリム・ゲイラード、ベースはバム・ブラウン[Tiny "Bam" Brown]、そしてドラムはズッティ・シングルトン[Zutty Singleton]。

ところで本書には、しばし、「誰々と誰々は誰々のバンドに居たので、誰々&誰々の二人ともにこの曲を唄っている...という記述にでくわす。これは説明が必要かも。例えばこの「フォー・ユウ」はトミー・ドーシー[Tommy Dorsey Orch.]のナンバー、であるから、先のジョー・スタッフォード、またフランク・シナトラ[Frank" Sinatra]も当然唄って...云々(当時、共にトミー・ドーシー下、専属歌手)。そこが昨今の音楽シーンとは異なる点、要は、いわゆる"バンド歌手"の時代だった(主に1930年代ダンスシーン、青木啓史観)。

バンドに所属することがスターへの近道であり、つまり簡単にはバンドのレパートリーを唄う(歌手個人としての持ち歌云々でなく)。それで御大の記述にあるような、歌手=所属バンドに依存な楽曲の紹介にもなる。現在的な歌手デビュー(単独)のポピュラー化はシナトラのソロデビュー(1942-43年)の成功が大きな要因の一つとなるそうだ。

唄と歌のエトセトラ

本題と離れる、色川武大作品での「唄」という漢字表記について。これが謎、本書でも、実際、すべて"唄"で通しており、"歌"という漢字は一切使われていない。最初、古典的にも舞台(ステージ)で歌う=動詞=それが「唄」表記かと思っていた(意図的に)。でも、そうでもないようで、とにかく「唄」で統一されている。

でも歌詞また歌手の"歌"は例外、もう一つ例外が、そう、サブタイトルの「命から二番目に大事な歌」の「歌」で、音(ウタ)として"歌"が使われている唯一のケース。これは当時、80年代に刊行されたもの(芸能関連の本)としては珍しい。おそらく他にない(少なくとも私は知らない、古典的な芸にまつわる文献でさえも、大抵は"歌"だ)。それでここでは御大の流儀に倣い"唄"で通しているのだけれど、何か理由(こだわり?)があるのだろうが...不明、謎、わかんない。

&酷暑お見舞い申し上げます。94年の「Have a Little Faith」から"Summer in the City"、ジョー・コッカー[Joe Cocker]公式PV(これ当時ミュートマでも流れていましたね)。

「昼間はやってらんない、その代わりにナイトライフをエンジョイ! という酷暑を嘆く=冒頭、夏の否定表現に始まる、夏の唄としては異色作。

第17回[古川ロッパ昭和日記 (唄えば天国ジャズソング)]
第19回[ブラック・ボトムに皆殺しのトランペット]