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ディスカバージャパンと日本のうた(色川武大のジャズ)

藤山一郎のジャズ

第4章の標題曲「フウ?(Who?)」、これには幾つかの日本語バージョンが。その一つが藤山一郎の「誰ゆえに?」で、この"Who?"="誰ゆえに?"というトランスレート(邦題)は秀逸であると色川御大は評されている(訳詞は西条八十)。では公式音源で。ルーツは昭和9年(1934年)の録音だと思う(いわゆるビクター在籍時代の後期)。

藤山版の他では、訳詞&アレンジは微妙に異なれど、作間毅版「フー」、徳山璉版「フウ」なども知られている(いずれも瀬川昌久監修の復刻シリーズに収録が)。

さて、この方、非の打ち所がない。正統派クルーナーで国民栄誉賞の国民的歌手(テレビCMでもお馴染み)、代表曲も「青い山脈」と、まるで青春謳歌を体現。御大が肩入れする二村定一(ある種の破滅型?)また土屋伍一(アナーキーに滅茶滅茶な逸話で知られる演者)とは正反対のタイプ。一つ気になったのは、森繁による藤山評(舞台で共演)を小林信彦氏が紹介してたのだけれど、森繁曰く「他人に心を開かない...云々。

実は表と裏の差が激しかったのではあるまいか? ただし、そのような二面性があってこそ人としての深みが出るのであり、裏表があるのはわるいとは限らない。それで、その、そんな、何を考えているのかわからないという一面には古川ロッパも日記でふれており=楽曲にまつわりトラブルが、詳しくはロッパ日記を参照されたし。他に、意外にもUGな逸話では(?)、小沢昭一著「小沢昭一的流行歌・昭和のこころ」にもエピソードが紹介されている、興味があればぜひ(ただ、少し調べてみたのだが、そのエビデンスがよくわからなかった)。

ところで、藤山一郎で思い出深いのは、1936年(昭和11年)の「東京ラプソディ」だろうか。否、私の年齢的にも辻褄が合わないが、70年代にFM東京で「日本のうた」という懐メロ番組が、実は、それでキッカケで戦前の曲を聴くように。FM放送では民放は一局のみな時代、それもあってよく聴いていた(放送時間帯が、丁度、昼休み頃)。それで「東京ラプソディ」だけれど、あの「ニコライの鐘...云々が気になり、自転車漕いでニコライ堂見物に=その時の印象が強いのだ。

ディスカバージャパン

さらに話は逸れる。その頃、いわゆる列島改造(田中角榮)に舵を切っており、その反動だろうか、モードはレトロ(ノスタルジー)に向かっていた。そこでブレイクが"ディスカバージャパン"という懐古ごっこ。若年層を中心とした大衆は(象徴的はアン・ノン)、それがフェイク(イメージとしての日本)であることを承知の上で、そのなんちゃって企画に乗った。

留意は、ディスカバージャパンに乗った世代は、復興(特需にも留意)から1964年オリンピックに重ねて列島改造による乱開発、おまけに公害の深刻化(例えば工業地帯では「空までが錆びている...と揶揄されたほど大気汚染が問題視されていた)などなどの様相を目の当たりに。それによりディスカバーすべき日本などはすでに存在しないことに薄々気づいていたのだ。

(ちなみに「消費は美徳」の所得倍増計画は61-71年にかけて。それと「もっと使わせろ」「捨てさせろ」「無駄使いさせろ」などなどの愚民化を掲げた電通の社則が70年頃)

簡単には、美しいものが欠損しているからこそ、その埋め合わせに美を求めるのであり、しかし美しいものが実在し得ないのであれば、バランスを保つには美しいイメージが(投影対象が)必要になる。そこに於いて美の実在以上に、イメージとしての美にこそリアリティが派生するというか、実在に疑念を抱く以上(であるならば)、イメージ(フェイク)に確実性を見出す。

(そこが、古くは探勝=山水、また震災以後の文学散歩などとは異なる。ディスカバージャパンの元祖に値する探勝は、リアリズムでの新&再発見の旅であって)

本末転倒的なのだけれど、いわゆる"無い物ねだり"に本物が欲しいのではない。本物の"イメージ"が欲しい=なぜならば、イメージは裏切らない&確実だからである。端的&おおまかには、それがレトロ&ノスタルジーブームの正体だった(極論は形而上=絵空事のパッケージ)。これは私なんぞの持論ではなく、80年代を迎えるに際し、70年代という時代が総括されていた。そこではレトロにディスカバージャパンなどのブームはなんであったのかという提起がなされていたのだ。

補足すると、前述「すでに存在しない...云々もイメージ的で(乱開発により生み出された)、80年代にかけてもディスカバーすべき日本は残されていたはず。ただ、そこは観光地化の洗礼を受けていない=わかりづらい土地というか、アプローチも限られる(陸の孤島かのような)、まして宿&商店などない。さらには排外的なエリアも=旅行者を歓迎しない、来てほしくない。それではディスカバーすべき景観が保たれていてもメディアが取り上げることもない。

(ある意味、ブームに取り残されたエリアにこそ、ディスカバーすべき日本の姿が温存されていたと思うのだが、いかがだろうか?)

エトセトラ&エトセトラ

"フウ?"云々は、前章末に前置きがあり、それが本章に継がれるのだが、本章では1/3程が割かれている。章の中盤-後半にかかり往年の名プレーヤーの紹介が続く、例えばタンゴで名高いバイオリニストの桜井潔、ジャズでは南里文雄、渡辺弘、そしてレイモンド・コンデなどなど。特に戦時下のジャズにまつわり、田中和男等の松竹軽音楽団と"ハット・ボンボンズ"がフィーチャーされている。ただ、具体的な曲紹介ではなく、戦中-戦後のジャズ史として綴られており、ここはぜひ本書にて読んでいただければと思う。

あと、最後に1943年(昭和18年3月)の白井鐵造による歌劇「桃太郎」にふれている。色川御大、超駄作とバッサリ切り捨てる(でも御大は、白井鐵造は高評価)。これは東宝国民劇では最後の作品だが(初は「エノケン竜宮へ行く」)、この"東宝国民劇"という試みが日本に於けるミュージカルの元祖になる。桜井潔は次回に続く。ハット・ボンボンズについては改めて説明したい。

(紹介の公式動画はYouTubeの共有機能を利用しています)

第9回[Who? 色川武大「唄えば天国ジャズソング」"フウ?"を聴く]
第11回[桜井潔とコンチネンタル・タンゴ]