すばらしき、ちむどんどんの世界

要旨
・ちむどんどんの魅力について
・文学や映画などで繰り返される普遍の課題
・戦前から戦後の沖縄人の考えや生き方を描いている
・雑音を難なく通過し、自分の意見を押し通す力
・優れた作品は、賞賛と同じくらいの反発を呼ぶ



ちむどんどんの魅力について
私が感じる「ちむどんどん」の魅力は、例えば、ニーニー、賢秀に感じる、「あ、昔はこんな人いたな」、という懐かしさと、暢子に感じる、「自分の意見がどんなに周囲に唐突で意外に思われても、それを実現する根気と、それを実行しようとする持続力」などだ。
また、ドラマの中では、良子の強引さと突破力は、周囲への丁寧さと配慮とセットになって描かれている。
歌子の気まぐれさ、もうとっくに過ぎた思春期特有の、かたくななエゴイズム、何かに対する強いこだわり、それについていけない身体も、何者でもない自分。何かに憧れては、自らそこから離れていくことの繰り返し。
そして優子の子供に対する鷹揚さと、自分に対する厳しさ。
あとは、何も考えていなさそうで、ひとつひとつの言動や動作に、悲しい意味合いを感じさせる父の姿。動作もゆるやかで、じっとしているからこそ、その恐ろしさや、冷めた感じが却って引き立つ、父親役の、大森南朋の存在。

家族以外では、和彦の恋人だった愛。暢子が彼女たちの前に現れた時から、愛は和彦がとっくに自分たちの冷めていた事を気づいていたような演技。
そして、和彦は、騙された賢秀の元に駆けつけ、果敢に獰猛な相手に飛びかかり、最後は智も含めた3人で肩を組みながらベンチに座る。

好きだった暢子に一方的な気持ちを伝え続け、勝手に段取りをして、自分本意に物事を進めていく智。例え結婚の話ではなくとも、あなた自身は、こういう経験をしたことや、そういう状況に遭遇した事は、一度でもないだろうか。むしろ、そういう行動をした本人や、その周囲もまた、その時はそんなことに何かの強い印象を持つかもしれないが、やがて忘れてしまうことがほとんどだ。

文学や映画などで繰り返される普遍の課題
でも、私たちは、時々、文学や映画の中で、その細かな瞬間を追体験する事ができる。とっくに忘れてしまったこと、あるいは特に気にしなかった出来事を、切り取ってしっかりと記録し、言葉や映像で見せる、あるいは見せられる。

智が暢子の結婚式に、結果として歌子に騙されて出席したあと、素晴らしい新郎新婦への呼びかけ。三郎と房子の再会、房子の、三郎の妻への言葉。

過去の、私的な、自分が嫌だった人間関係に対しての執着を解放できるきっかけを、いつも暢子は作っている。
今、目の前にいる人を大事にし、とても大切に思う気持ちを、房子は常に周囲に思い出させる。暢子だけではなく。

戦前から戦後の沖縄人の考えや生き方を描いている
たぶん、ウチナンチュー、沖縄人の描き方にも、そこに本土の人間としての罪悪感や、いや、本当の沖縄の人はきっとそうじゃない、という願望が出現する事と一対でありかつ一体なのだろうと思う。

本土の人間やアメリカにいいようにやられて、それでもしたたかに生きる沖縄の人の果敢さや勇気は、小林よしのりによって「沖縄論」に描かれている。

雑音を難なく通過し、自分の意見を押し通す力
この無邪気さと自由さが、私が実際に会った事のある沖縄在住の人や、本や映画の中で見る、沖縄人に限らない、人間の性格のひとつだ。

周囲にはわがままに見えるけど、みんなを説得して、理解させる力。
これっていわゆる政治で、別に政治家でなくても、日常生活で多くの人が何らかの政治を行なっていて、私はこれを「脱正義論」の呉智英から知ったし、宮台真司も繰り返し、色んなところで、政治について話していたので、
彼らの受け売りからの、自分自身の生活の中での実感と理解、というのが、私の政治が政治の意味を理解した流れだ。

優れた作品は、賞賛と同じくらいの反発を呼ぶ
愛と和彦が別れて、老人の悲惨な体験と、和彦と暢子の結婚を関連付ける流れ、そして、和彦の母が現れるまで、まるで何事も無かったのように進む和彦と暢子の結婚の話。私はこの部分のシーンを座視してみる事ができなかった。見るのがつらかった。無理して見ることはせず、でも、ちむどんどん自体を見るのをやめることはなかった。
その理由は、もう、こういう流れを、多くの書籍や映像で見て、かつ自分の周囲でも見聞きしたことだったからだ。

見るのがつらいのは、そのような近視感があるからではない。
日本人みんなとは言わないけど、多かれ少なかれ、自分が他者への影響力、あるいはよくない影響を与えたことなど、いちいち気にせず、秘めることも
なく、普通の日常を生きていることはあると思う。

私たちが視聴者という立場で、ドラマの登場人物の生活や行動を、俯瞰的に見れて、それぞれの登場人物が知らない、ドラマ全体の情報を知る事ができる。だから余計、各登場人物たちが持っていない情報は忘れてしまいがちだ。
役者さんはこの部分を言葉や動きで表現しないといけないから、とても難しい職業だと私は思うし、この番組の出演者をとても尊敬する。

見る人の心を刺激し、何らかの反応を引き起こし、その後の行動に何らかの変化がある。それが、私が考える、文学や映画の役割だと思う。

ちむどんどんは、私たちが普段見落としがちな小さな部分を拾い上げて、
役者が素晴らしい演技をしている、素晴らしい朝ドラマだと思う。

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