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地球を一周し、内藤時浩氏に団扇で扇がれた試作MSX2

プロトタイプMSX特集第3弾。今回は最初期の試作MSX2を紹介します。MSXのLSIの開発メーカーであるヤマハのMSX2が原型のようですね。
この機体、実はカリフォルニアの山奥にあるコンピュータ博物館にあるそうなんです。今日はこの機体の辿った数奇な運命についてです。


まだMSXのマークもメーカー名も印字されていない最初期のプロトタイプMSX2


MSX2の基本的な構造は完成しているのではないかとのことでした。


べニアに打ち付けられたメカ部分がワイルドでカッコいい。


同じプロトタイプMSX2でもこれは後期タイプのようです。
この機体についても特集したいですね。

この試作MSX2の元々の持ち主はオランダのMSX雑誌の発行者でした。彼は東京訪問時に西和彦先生本人から直々に受け取ったと言うことです。それを米国北カリフォルニアの農場跡地にあるDigiBarn Computer Museumが受け継いだとあります。つまり地球をぐるっと一周したわけですよね。何と言うロマンに満ち溢れた話でしょうか!
このお話は世界中のMSXの同士が集うMSX Resource Centerで語られていました。


有識者のお話では、「ROMに5/8の日付があり、MSX2の規格発表が85年5月なので発表に向けた最終試作ROMではないか」とのこと。


シャープ製のZ80Aが使用されてます。Yamaha CX7M・YIS-604 の刻印が見えますね


詳しい方が見ればもっと解ることがあるのかも😅




恐らくこの試作MSX2の発展形YIS-604
最初期のMSX2で1985年7月発売。RAM128kBが特徴


ほぼ同形のYamaha CX7M。このタイプは音楽用MSXとして販売された


両機ともスタイリッシュなデザインです。

実はTwitterでハイドライドの作者である内藤時浩先生からコメントを頂いたんです。この試作機でMSX2のローンチタイトルであるレイドックの開発をT&E社で行っていた時のことです。
MSXの心臓部である「BIOS ROM」が毎日のように封書で送られてきて、入れ替えると今まで開発したゲームが動かなくなったとか🤣


MSX2発売日前に発売されたMSX2専用ゲーム第一弾。
MSX2のCG機能を極限まで引き出した伝説の作品。


自分の人生で購入時に一番ワクワクしたタイトルでした。
パッケージアートもCGを100%使用して最高のデザインです。


レイドックはMSX2の発表に合わせて雑誌で盛んに特集されました。

当時の開発環境だと毎回EPROM焼いて、さらに動作状況を「見て」判断する動作確認をするしかありませんでした。
この「日刊BIOS-ROM事件」はMSX・FAN最終号の記事にもあります。すぐ熱暴走してしまうプロトタイプMSX2を団扇でおあいで冷却したりと面白話を語って頂いています🤣
僕達が知らなかったMSX開発の現場ではそうしたご苦労が絶えなかったのだと改めて感じました。


内藤先生がトラックの中でレイドックのパッケージの詰め合わせをした体験をお話してくれています。当時はまだゲームメーカーも家内制手工業の時代でした😁


日刊BIOS-ROM事件🤣


MSXFAN1995年8月最終号の内藤先生のコメントの抜粋です。
自分の作品ではないのにレイドックを想い出の作品に挙げています。


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