サイボーグMSX

電子頭脳にZ80Aを搭載した熱狂的MSXFANです。 ゲームとパソコンを愛する全ての人…

サイボーグMSX

電子頭脳にZ80Aを搭載した熱狂的MSXFANです。 ゲームとパソコンを愛する全ての人たちが大好き🥰 皆さんと一緒に想い出の欠片を集める冒険を続けています😊 あちこちイカレてますが、以前は総合格闘家&ムエタイ戦士でした

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ソ連MSX物語①ソ連に渡ったMSXの数奇な運命

僕がまだナイコン少年だった1985年の夏、帰国した父が突如「MSXを買いに行こう」と言い出しました。大しゃしぎする僕に「私の仕事用だ」とのことでガッカリしながら秋葉原へ向かう場面からこの物語は始まります。 父はソビエト連邦へのプラント(工場)輸出の専門家でした。機械技術者としてロシア語が堪能だったからです。 父は1971年よりソ連アゼルバイジャンに建設された圧縮機工場の品質管理責任者に就任します。立ち上げ時にはそのデータ管理は手動で行われていました。80年代に入るとデータ管

    • ソ連MSX物語⑭さらばMSXの仲間達・そして新たなる道へ

      1991年はソ連が崩壊した年でした。しかしそれは同時に長く苦楽を共にしたMSXの仲間達のとの別れをも意味していました。 父はソ連との提携終了の事後処理のため、ほぼ1年に渡ってアゼルバイジャンに滞在しています。 それまで死んだ魚の目の様だった労働者たちが「自分たち、そして母国のために」と働く姿は眩しく見えたそうです。それはソ連共産主義の呪いから解き放たれた人々の本来の姿だったのでした。そんな折、MSXの仲間達がささやかな送別会を開いてくれたのでした。 宴会はチームMSXのメン

      • 世界の珍品MSX特集・嘘つきイタリアンMSXほか

        ショッカーですら不可能だった世界統一を成し遂げたMSX。世界中で様々なマシンが発売されました。世界中の猛者が集うMSX Resource Centerには色々面白いお話が転がっているのですが、今回はそのいくつかをご紹介します。 1⃣嘘つきイタリアンMSX・Philips NMS 800 フィリップス社が何をとち狂ったか発売したマシン。 イタリア限定のMSX1基準のマシンで 「MSX COMPATIBLE・MSX互換機」 と堂々と書かれていますが、公式のロゴはありません。と

        • ゲームの女神を訪ねて・タイムギャルとゲーセン初体験

          「よし、大丈夫だな」「うん」1985年の暮れ、学校帰りの僕は悪友FM7君とダンジョンの入り口にいました。迷宮の名はゲームセンター。その奥には数え切れない宝箱と、タイムギャルという名の女神がいると噂されていたのです。小さな2人の勇者の冒険が始まりました。 地下迷宮には怪物がつきものです。リーゼントで目つきの悪いヤンキー、イライラしているサラリーマン、巡回中の警察官、どれも手ごわい相手です。暗い・汚い・怖いと三拍子そろった3K環境に加えて煙草の煙でむせ返るゲーセンへの狭い階段を

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        ソ連MSX物語①ソ連に渡ったMSXの数奇な運命

          MSX対応スマートウォッチ・8bit腕時計特集

          嫁がそろそろスマートウォッチが欲しいと言うので 「これなんかどうだ?」 とセイコーRC1000を勧めたらシバかれました。なんでや!Apple Watchなんかより全然カッコイイよ!。MSXだけじゃなくてPC-9801・PC-8801・PC-8001・FM-7・FM-8・X1にも接続可能って無敵ですよ。 それじゃこいつはどうだ!エプソンの誇るRC-20ですよ。正真正銘CPUは我らがZilog Z80!時計部分にも4ビットワンチップCPUが入ってデュアルCPU構成という贅沢仕様

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          魔改造されたソ連MSX・16台LAN接続可能YAMAHA KUVT

          ソ連では教育用にヤマハのMSXが使用され非常に好評でした。ところがこのMSXはとんでもない魔改造を施されたシロモノだったというのが今回のお話です。何と最大16台に接続可能のMSXだったのですよ! ソ連の中学校の情報教育で使うために1985年ヤマハが製造したMSX規格の総称がYAMAHA KUVTでした。KUVTは大人気になり、その後の多くのソ連IT技術者を育てる礎になりました。 一例をあげますとWikipediaのサーバーで使われているnginxを制作した、旧ソ連・カザフス

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          幻想なるウィザードリィ迷宮絵師・末弥純先生

          Wizardryと言えば末弥純先生。圧倒的な画力で冒険のイマジネーションをかきたててくれました。先生はファミコン版のイメージが強いと思うのですが、実は担当なさる前にログインで度々イラストを提供していました。 今回は幻想と魅惑に溢れたウィザードリィの迷宮世界をご紹介します。 ウィザードリィの魅力は十人十色の冒険譚があることです。パーティーのメンバーは皆個性的でした。種族・職業・性別・性格・年齢・そしてキャラクターの生と死と灰・・・一人一人にその物語が刻まれていきます。 ウィザ

          幻想なるウィザードリィ迷宮絵師・末弥純先生

          ウイザードリィ創作秘話・偉大なる魔導士ワードナに捧ぐ

          PCゲーム創世記の1980年、ある大学の一室で狂王と邪悪な魔導士は地下迷宮の制作に没頭していました。それこそが現在まで続く終わりなき冒険譚・Wizardryだったのです。今回は2人のオタク大学生が壮大な神話をつむぐまでの物語です。 これは1983年7月のサーテック社最初期の貴重な記事です。元々はゲームとは関係なく別の会社だったのですね。もしかしたらウイザードリィのグッツにスプーンなんかがあるのはその名残なのかな?大学でコンピューターの勉強をしていた息子たちが、経営管理のため

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          西和彦氏からすがやみつる先生に贈られた試作MSX2の運命とは?

          プロトタイプMSX特集第4弾。すがやみつる先生がお使いになっているのが後期型プロトタイプMSX2みたいですね。08というナンバリングがいかにも試作機と言う感じでカッコいいです。前回紹介した初期型はもっと無骨なデザインなので見比べてみて下さい。 このプロトタイプMSX2はすがや先生がMSXイベントのお手伝いをした際、西和彦先生に寄贈されたものだそうです。すがや先生が「ギャラはいいからプロトタイプが欲しい」 とお願いしたら両方くれたとか。西先生も男前ですね! このお話はTwit

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          ウィザードリィ創世記・創造主を日本に導き勇者の物語

          Wizardryは中々日本語に移植されていませんでした。それは遠い異国の神話の世界という印象。究極のRPGとの噂は伝え聞いてはいましたが、アップルⅡと英語が必須という敷居の高いものでした。しかしある若き勇者の冒険が、その神話を日本にもたらしたというお話です。 その勇者の名は鈴木茂哉氏。なんと彼は単身アメリカのサーティック社に乗り込みウィザードリィ日本語版移植を熱望します。英語が不得手にも拘らず作者のロバート・ウッドヘッド氏と意気投合し、ついには移植契約を勝ち取ってしまうので

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          地球を一周し、内藤時浩氏に団扇で扇がれた試作MSX2

          プロトタイプMSX特集第3弾。今回は最初期の試作MSX2を紹介します。MSXのLSIの開発メーカーであるヤマハのMSX2が原型のようですね。 この機体、実はカリフォルニアの山奥にあるコンピュータ博物館にあるそうなんです。今日はこの機体の辿った数奇な運命についてです。 この試作MSX2の元々の持ち主はオランダのMSX雑誌の発行者でした。彼は東京訪問時に西和彦先生本人から直々に受け取ったと言うことです。それを米国北カリフォルニアの農場跡地にあるDigiBarn Computer

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          ソ連MSX物語⑬ソ連崩壊を目撃・冷戦に勝利した技術者たち

          「独立だ!」 「もうロシアの連中の言いなりになるのは真っ平だ。」 怒号が飛び交うバクーの拝火教レストラン。1991年4月6日、既に1年前にリトアニアがいち早くソ連から独立を宣言した後のことです。父の担当工場の従業員たちも平然とアゼルバイジャンの独立を叫ぶようになりました。わずか二年前のベルリンの壁崩壊以前には考えられなかった光景です。 父が初めてアゼルバイジャンに赴いたのは1971年のことでした。この時期はソ連中央政府の管理下にあり、工場の要職は全てモスクワから派遣されてい

          ソ連MSX物語⑬ソ連崩壊を目撃・冷戦に勝利した技術者たち

          プロトタイプMSX②全てはここから始まった!初代機と若き偉人達

          みんな大好きプロトタイプと言うことで、今回は原点とも言える初代試作機をご紹介。83年11月号ASCIIの記事なんですが、この時期は開発中の記事が多くて現場の慌ただしさが伝わってきます。 みんなのドリームマシンってイイですね。 大注目なのは若干13歳の中山美穂ちゃんが登場していることですね。この時期は色々な広告のモデル活動をされていたそうです。同時期の月刊ログイン1984年3月号では中山美穂ちゃんが表紙を飾っています😻 初代MSXマガジン編集長、田口旬一さんの若き日の写真。

          プロトタイプMSX②全てはここから始まった!初代機と若き偉人達

          ソ連映画で登場したMSXとコナミのゲーム

          ソ連ではMSXが人気だったことは子供用の映画で登場していることからも伺えます。今回はその二本をご紹介します。 「Малявкин и компания マリフキンと仲間たち」 何と1986年にウクライナのオデッサで作られた映画なのだそうです。 いきなり「わんぱくアスレチック」が!さらには老女教師が「けっきょく南極大冒険」にハマるシーン。最後は仲間達が「ロードファイター」を囲んでプレイします。ただしこれは映画なので合成がされていることに留意してください。 注目は教室の後ろに貼

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          MSX物語①わが青春のMSX・MSXFAN最終号

          1995年MSX・FAN最終号が送られてきたのは暑い夏の日のことだった。 休刊予告がされていたためか、来るべき時が来たという比較的冷めた感覚で封を切ったような記憶がある。 内容は熱気と惜別とが凝縮された「MSX・FANという物語」を締めくくるに相応しいものだった。 一通り目を通し付録ディスクの中身を確認していると雨が降り始めた。 「しょうがねえな」 ロードワークの時間だが、もう少し時間をつぶさないといけない。僕は大好きなゆじさんの曲をかけることにした。 ディスクの

          MSX物語①わが青春のMSX・MSXFAN最終号

          ソ連MSX物語⑫ゆけ!我が友よ、黄金の翼に乗って

          1990年11月、父はKGB・ソ連国家保安委員の尋問を受けていました。場所はバクーの警察署の一室。 「貴様があのユダヤ人と昵懇の仲なのは解ってるんだ。庇い立てすると為にならんぞ。」 「私は何も知らんよ。」 父の20年来の親友ゲンナデはついにイスラエルへの亡命を決意、周囲で噂になっていたのです。父の担当する工場の副工場長はモスクワから派遣された「イタチ」とあだ名されるロシア人で、KGBの内通者であることは公然の秘密でした。この「イタチ」の密告によって父は窮地に立たされたのです。

          ソ連MSX物語⑫ゆけ!我が友よ、黄金の翼に乗って