みんな君に恋してた!ラムちゃんCGうる星やつら特集
パソコン少年はディスプレイの可憐な少女に恋い焦がれていたものですが、その中で最も愛されたのがラムちゃんだと思います。うる星やつらの連載が1978年~87年、アニメ放送が1981年~86年。ちょうどパソコン黎明期から8bitパソコンの全盛期までで、PCの進化と連動して多くのCGが制作されました。今回はその足跡を年代別に追っていきたいと思います。
まずはポプコムの表紙から
1983年 黎明期
まだパソコンを使用したCG最初期と言って良い時代なのにいきなりレベル高いですね。まだCGツールも存在しなかったと思うので、頑張ってプログラムしたと思うとそれだけで感動してしまいます。何と言ってもプロのCGじゃなくて投稿作品がですからね、ラムちゃんへの愛のなせるわざだと思います。
この時代では高額なビジネス機だったPC9801対応のCGが早くも登場しています。この色彩だとbasicではなくオール機械語じゃないでしょうか。
1984年 進化の時代
今回は小学館発行のPOPCOMの物が殆どです。版権を持っていたためポプコムが高橋留美子さんのキャラを独占していました。ポプコムは他のパソコン雑誌の小学館版権イラストを差し止めさせていたので、ラムちゃんのCGはテクノポリスやログイン、MSXマガジンでは見れませんでした。僕はログインやMSXマガジン読者だったので小学館を恨んでいましたよ😁
当時のPC雑誌にはよくカセットレーベルが付録についていたのですが、この時期はラムちゃんが席巻していました。僕のクラスでも争奪戦になっていましたね。まだPCの創作物を発表する場が雑誌しか存在しなかったので、自分の投稿作品が印刷物になったら感動したと思います。本当に多様な機種で描かれてていることに驚かされます。
当時の主力機である8bit御三家、PC88・FM7・X1は基本的に8色しか使用できませんでした。これはMSX1の16色やファミコンよりも劣る性能です。この色数のハンデは美少女CGのキモになる肌色の標示が難しく、これを補うテクニックが開発されていきました。いわゆるタイル張りで、色を一定の間隔で並べて人間の目の錯覚で肌色のようにみせる超絶技術です。ただベーシックでは難しく、84年だと市販のゲームかプログラム技術の高いユーザーに限られていました。この技法は90年代の16bit機の時代にまで引き継がれていきます。
僕はCG制作はすぐ諦めてしまったのですが、この時期のPCで絵を描くのはまるでパズルの世界でしたね。絵心があるだけではダメで、PCの色彩調整やプログラム技術が必須でした。丁度この頃悪友のFM7君がパソコンを入手したのでCG制作を手伝ったことがあるんですが、その緻密すぎる作業に根を上げてすぐ逃げ出した記憶があります。
1985年 技術革命とCGコレクション
投稿プログラムもうる星やつらを題材にしたものが数多くありました。中には市販化されたものも・・・悪友FM7君は僕以上のうる星ファンで全部持ってました。まだフロッピーディスクがあまり普及していなかったのでテープが主体でしたが、CGはロード時間が長いんです。きっとみんなテープの待ち時間に「ラムちゃんに早く会いたい」ってドキドキしていたんでしょう。
今回最も「ラムちゃん愛」を感じたのがこの作品。PC-6001mkII用プログラム「ダンシングスター」
もうマシン性能とか色数とか超越してますよ。ラムちゃんが愛くるしい仕草で画面を飛び回ってくれます。ワンニャーさん紹介ありがとうございます。
プログラムリスト掲載CGコレクション集
その集大成的ソフトとして投稿作品をまとめたCG集が発売されました。先ほどのカセットレーベルのおまけ付き。このキャッチコピー、涙なくしては読めませんよ!みんな頑張って一行づつプログラムを組んだんでしょうねえ。
CG集の内容は殆どうる星やつらで、85年当時の人気が伺えますね。最大の特徴はプログラムリストが掲載されていること、FDやCDが付属するなんて生易しい時代じゃありません😁この頃はCG=プログラムの時代でした。
CGツール登場以前ですから多くがLINEとPAINTのベーシックで構成されていて、MSXユーザーの僕でも内容はある程度理解できました。執念と努力の塊のようですね。
当時PC8801の高性能に憧れましたが、640×200ドットでのCG作成はベーシックでは地獄だったと思います。MSXはその点楽でしたよ。
ラップスキャンという荒業
当然スキャナーなんてものは高価で使えませんでした。そこで考え出されたのがラップスキャンという荒業です。サランラップを使った原始的なコピー技法なんですが、当時みんなやってました。ラップが破けて大騒ぎになったことも・・実は90年代になっても使われていた長い歴史がある方法なんです。
1984年8月に発売されたエニックスの名作ザースではこの方式が全面的に使用されていたそうです。
ラップスキャンの方法を簡単に説明すると
①原画の上にサランラップを張り、ラップに細マジックペンで線をトレースする。
②サランラップをディスプレイ画面上に張り、カーソルでポイントしてラインデータにする。一応デジタイズになるんでしょうか💦
更に版権物はどのシーンをCG化するかが重要でした。漫画はまだいいのですが、人気だったアニメをCG化する場合、ビデオ収録した物をラップスキャンでコピーしなければなりません。漫画よりアニメはカラーで色彩をCG化する時に参考になるので、アニメからのスキャンの方が人気があった気がします。
当時パソコン部の連中がビデオマニアの友人宅でワイワイ言いながら一時停止ボタンを押していたのが懐かしいですね。何しろまだマウスもロクに普及していない時代ですから、1ドットずつ心を込めてカーソールキーを叩いていたのです。
CGというデジタルを、究極的なアナログ手法で作成するのが昭和という時代の熱さでした。
ダ・ビンチの衝撃・CGツールの普及
1985年は前期と後期で全くCGの質が違っています。この年PC8801用のCGツール、ダ・ビンチが発売され、その後様々な機種に移植されました。これによってタイル張りの手間をかけずに729色の中間色が使えるようになり、CGのレベルが一気に上がっていきます。同時にマウスもCGツールを使用する必需品として普及していきました。
CGツールの登場によってプログラムを組めなくてもパソコンのCGに挑戦することが容易になり、CG職人と言われる専門の絵師が登場する切っ掛けとなりました。僕の周りでも漫研の連中がCG作製目的でパソコンを購入するケースが増えた記憶があります。
ダ・ビンチを使用したCGの一例です。
1986年 プロへの登竜門として
今回の特集は年代を追って投稿していますので、ラムちゃんの笑顔と共にCGの技量やPCの性能が向上していったのを感じてもらえれば嬉しいです。
86年になるとその後プロで活躍する常連投稿者が増えていきます。この時期に後にエメラルドドラゴンで一気にブレイクした著名なイラストレーター・CG作家となる木村明広先生が常連投稿者となっています。先生とMSXの関係はまたいずれ投稿したいですね。
1986年当時のスキャナーがいかに高額だったか広告を見つけました。しかしお値段99800円ナリ。MSX2パナソニックA1が三台買えちゃいますよ!しかもよく見てください、モノクロなんですよ。それだったら写真にカラー使うの反則なんじゃないでしょうか😝
僕の体感だとスキャナーを個人で使用するのが一般化するのは90年代中頃からと言うのが実感です。
1987年「うる星やつらCG集」が発売
究極のラムちゃんファン必須のPCアイテム、「うる星やつらCG集」が発売。この時期になると流石にフロッピーディスクが標準でした。姉妹品でめぞん一刻もあります。漫画やアニメ・パソコン全般に詳しい友人X1君に聞いたところ
「うる星やつらは社会現象といって良かったんや。大泉の画材屋でバイトしてたら新谷かおる先生がラムちゃんのTシャツで来てたんやで!」とのこと😝
この時期翌1988年公開予定の「うる星やつら完結編ボーイミーツガール」のRPGゲームが企画されていたそうです。情報を集めたんですが、ちゃんと発売されたのか不明でした。下手なこと言えないので広告と告知だけどうぞ。
1988年 8bit円熟期、そして16bit機へ…
88年になってくるとPC9801の投稿も増えてきます。PC9801VXの4096色中16色表示が可能になってくると、一気に90年代が近付いてきた感じがしますね。でもまだ16bit機はホビーPCとしては高値の華でした。
この年まではPCエンジンCD-ROM2やメガドライブ、スーパーファミコンが発売されていなかったので、まだパソコンのアニメ調CGには貴重性があったと思います。
うる星やつら ~恋のサバイバル・バースディ~
うる星やつらのCGの到達点と言えるのが、1987年にマイクロキャビンが発売した~恋のサバイバル・バースディ~。これは本当にレベルが高く、プロの凄さを痛感させられました。
ゲームとしてもうる星やつらの雰囲気を存分に味わえる作品です。驚くほど巧妙なつくりによって、アドベンチャーゲームの老舗マイクロキャビンの中でも名作に数えられる一つだと思います。
終わりに…
自分のパソコンのディプレイにラムちゃんが写る興奮は特別な物がありました。それはもはやパソコン少年の本能なのかもしれません。今でもTwitterで光輝く少女たちのCGを見ると、ふとそんなことを思い出すのでした。
今回はMSXに関しては触れられませんでしたが、この話はまたいずれ・・・