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アート漫画と現実世界をつなぐ 「ブルーピリオド展」に見る体験づくりのヒント

今回ご紹介するのは、2022年6月18日(土)〜9月27日(火)まで東京・天王州で開催された、漫画「ブルーピリオド」の展覧会「ブルーピリオド展〜アートって、才能か?〜」(以下:ブルーピリオド展)の事例。プロジェクトに込められた思いと、工夫した点をアートディレクターとして関わった岡村尚美に聞きました。同展が多くの原作ファンに愛された秘訣とは?


受け身ではなく、来場者が体験として何かを持ち帰れるようなCX設計

漫画「ブルーピリオド」は、美術にまったく興味のなかった主人公・矢口八虎があるきっかけで美術に興味を持ち、絵を描いて自分と向き合いながら成長していくストーリー。今回の「ブルーピリオド展」は、漫画の中でも八虎が藝大受験をするまでのストーリーをピックアップして企画された。

-「ブルーピリオド展」とはどのような展覧会だったのでしょうか。

岡村:漫画展としても、アート展としても楽しめるような仕掛けを数多く準備していました。多くのファンの方が期待してくださった、漫画に登場する絵画の実物展示や、物語没入型のシアターといった、主人公とその仲間たちの物語を追体験できるようなコンテンツを用意しました。また、名画解説や現役アーティストの方々が予備校生時代に描いていた作品の展示など、アートをより身近に感じてもらえるような企画も盛り込みました。

展示コンテンツだけでなく、告知のためのウェブサイトもギャラリーを歩いているような気分になれるよう、横スクロールにしています。遠方の方のためにデジタル展というコンテンツも展開しました。

「青の渋谷シアター」八虎が見た早朝の渋谷を体験できる大迫力シアターの様子
「描くのは好き、見るのは苦手」名画をキャラクターたちと一緒に鑑賞するコーナーを用意した

岡村:本展は、ブルーピリオド作者の山口つばさ先生をはじめ、講談社の方々、キービジュアルや展示作品の制作にご協力いただいた全国の美大生や、会場設計や解説文の寄稿、図録制作など各方面のプロフェッショナルの方200名以上のお力を借りて、こだわり抜いたものに仕上がりました。

-なるほど。単に漫画の原画などを展示するだけでなく、アートについての多面的な展示をしたのですね。

岡村:今までの漫画展は作品原画や、名シーンを再現したオブジェでファンの方を楽しませるような展示が多かったと思います。しかし「ブルーピリオド」という漫画は、今まさに美術に対面している人がいるリアルな世界を描いています。そのため、ただ原画を飾るだけではなく、主人公の葛藤や、絵を描くとはどういうことなのか、といった本質的な部分こそが見せ場だと考えていました。

もうひとつ、いわゆるアート展は受け身になりがちというか、よほど興味や知識のある方でないとふわっと見て終わってしまうことが多いと思うんです。美術史や絵画技法に詳しければ楽しめるけれど、それ以外の人にとっては楽しみ方を見つけるのもちょっとハードルが高いというか。

-確かにアート展はハードルが高く、知識がないと楽しめないイメージがあります。

岡村:原作において作者の山口先生が一番挑戦されている部分でもあると思いますが、今回の展覧会でも、「ただの漫画展にしない、アートのハードルを下げる」ということがクリエイティブゴールでした。

「ブルーピリオド展」では受け身で終わるのではなく、来場者が体験や気持ちとして何かを持ち帰れるような顧客体験づくりにこだわりました。例えば、コンテンツの中で来場者に問いかけたり、来場者が主人公になった感覚でさまざまな物の見方を体験できる仕掛けを作ったりしました。

-具体的にどのような企画があったのでしょう。

岡村:見どころの一つは、登場人物をモチーフにした石膏像を並べた「キャラ大石膏室」です。来場者の方々にはこれらの像をただ鑑賞するだけでなく、会場で自由にデッサンしてもらえるようにしました。会場で来場者にデッサンをしてもらうという仕掛けは、立ち上げ当初からチーム全員が必ず実現したいと考えていたことでした。

デッサンのシーンは、作中に度々登場します。あの張り詰めた緊張感や鉛筆の音だけが響いている空間の雰囲気が、漫画でもかなり印象的かつリアルに描かれていて。ただ、そのリアルさは、実際にデッサンしている風景を目の当たりにして初めて知る方も多いと思い、「人がデッサンしている状況」自体を鑑賞してもらえるように設計しました。

それに、デッサンは美術に関わる人以外、なかなか体験する機会もないので、これを機会にちょっと挑戦してみていただけたらなと。来場者が描いた作品は一定期間会場で展示され、描いたものを誰かに見られる、という体験もできるようにしました。ガチで描く本職の方も結構いましたね(笑)。

-通常だと見て終わってしまうところを、来場者がその場で能動的にアウトプットできる双方向な仕掛けはユニークですね。

こだわったのは没入感。キャラクターの心境を追体験できるシーンを再現

岡村:他には、作中に出てきた絵画の実物展示やキャラクター相関図、作中に登場する「名画の買い付けごっこ」などの企画も用意していました。中でも主人公である八虎たちが藝大一次試験で描いた自画像の課題展示は、原作ファンの方にもすごく注目していただきました。

主人公の自画像以外にも登場人物の自画像が展示されています。これらは実は、作中には出てきていない会場限定のものなんです。主人公の八虎の自画像以外は、キャラクターの性格や考え方からきっとこの人はこんな自画像を描くだろう、というのを山口先生ともご相談しながら想定し、現役の美大生やアーティストの方々に依頼して描いてもらいました。イーゼルに箱椅子、ピンで留められた受験票と、リアルに場を作り込んで作品を展示することで、まるで漫画の世界に入り込んだような没入感を演出しました。

-八虎の自画像の下に割れた鏡が落ちているという、作中のシーンを再現した演出もニクいですね。他に岡村さんが印象に残っている企画はありますか?

岡村:藝大入試の合格発表のシーンを再現した展示ですかね。ここは登場人物の心が揺れ動く、特に印象的な場面です。各キャラクターの受験票があって、展示されている番号を見ると合否が明らかで……。現実的なシーンを作ることで彼らの心境を追体験するような展示にしています。ですがちょっと裏話的なこともあって。

-裏話というと……?

岡村:本当はこの展示は本物同様、藝大の掲示そっくりに作っていました。ですがチームで議論するうちに「やっぱり心臓に悪い」という声もあって。藝大を受験したものの浪人することになった方、諦めた方もいらっしゃるかもしれないことを考えると、忠実に作ることが第一ではなく、もう少し漫画再現のエンタメとして楽しめるように現実とはちょっと変えた掲示板にしました。作品自体がリアルな部分をはらむからこそ、起きた議論だったなと思います。

-そうだったのですね!他にも展覧会の最後のキービジュアルコレクションにはゾクッとしました。

「キービジュアルコレクション」ブルーピリオド展のキービジュアルに使用された予備校生の絵の全貌を公開した

岡村:現役の予備校生や美大生に、漫画の1〜6巻の表紙をそれぞれの画風で表現して描いてもらったものをコラージュして創ったキービジュアルの原画ですね。

このキービジュアルの展示を抜けた先のエピローグには、漫画7巻1ページ目の言葉を使いました。「芸術は美しいの? 正解がないの? 死んでから評価されるの? 世俗に囚われない純粋な表現なの? 本当に?」というモヤッとさせる言葉でこの展覧会を締めています。

「ブルーピリオド」は、藝大に入っておめでとうという話ではないんですよね。藝大入学は目的ではなく手段で、八虎の物語はここから始まっていくんです。だから展覧会もハッピーエンドで締めくくるのではなく、「ここから思考が始まるのだ」ということを感じさせたい意図でこのような終わらせ方にしました。

写真撮影をOKにすることで、体験価値を向上させる

-ユニークな展示コンテンツがさまざまありましたが、来場者の反応はいかがでしたか?

岡村:現場で来場者の方々の様子を見ていても、SNSでの反応を見ていても、とても良い反応をいただけていたように思います。原作漫画自体の魅力ももちろんですが、われわれがやろうとしていた「美術展の入り口でもあり、漫画展の拡張でもある」というテーマをくみ取ってSNSで投稿していただいている方も多くて。反響があったことは本当にうれしかったです。

中でも個人的に印象深かったのは、会場の自画像展示のところで受験票の写真を撮っている方が想像以上に多かったこと。登場人物の筆跡で名前が書かれた受験票がイーゼルの下に留めてあって、展示の中では目立たない本当にちょっとしたところなのですが、皆さんしゃがみこんで見ていました。リアルな人物デッサンとして描かれた自画像の展示にあわせて、直筆の受験票が留められているのが、「キャラクターが本当に実在しているように感じる」とSNSでもたくさん反応をいただきました。

-他のアート展や漫画展では写真撮影NGのところが多いですが、「ブルーピリオド展」では写真撮影もOKにしていたんですね。

岡村:写真撮影はすべてOK(※)にしていました。公式でも「こんな撮り方もあります」的なポップを作って掲出していましたし、SNSでも積極的に呼びかけていました。他の展覧会を見ていて思ったのですが、写真撮影OKにしないとなかなかSNSに出ていかないんですよね。

なので、ブルーピリオド展では写真撮影はOKにして、積極的に撮ってもらおうと決めていました。ですが、ただ「撮影OKですよ〜」と言っても皆さんそんなに撮らないんですよね。

(※)ピカソの複製作品のみ写真撮影不可

-他の展覧会ではNGのことが多いので遠慮しちゃうのかもしれませんね。

岡村:そうなんですよね。絵を正面から撮るだけではもったいないので「デッサンのエリアで描いている風に撮ってみよう」的なポップの設置や、透明な原画も「裏から覗き込むように撮るとこんな感じに撮れるよ」など、公式からの案内を複数回行いました。それが功を奏したのか、来場者の皆さんもだんだんSNSで投稿してくださるようになり、広がったように思います。

-他に展覧会の設計で気をつけたことはありますか?

岡村:原作中にも、森先輩の「あなたが青く見えるなら りんごもうさぎの体も青くていいんだよ」という名言がありますが、展示会の中でも作品の捉え方や楽しみ方をこちら側が定義しないように気をつけていました。

アートという、小難しい、格式高そうなものの入り口にもなりうる展示会として、目の前のものをどう捉えるか、どう表現するかは本当に自由なんだということを知ってもらいたい。そして、だからこそ八虎たちはあんなに悩んで、葛藤するんだ、ということを理解してもらえたらいいなと思っていました。

-今回は、売店でさまざまなグッズ展開もされていましたよね。

岡村:公式ビジュアルブックや複製原画、クリアファイルやポストカードの他、山口先生がプロデュースしている「BLUE PERIOD. MUSEUM SHOP」のグッズまで幅広く用意していました。また、来場者特典や期間限定プレゼントを用意するなど、体験の思い出が残せるように工夫しました。

中でも、画材を販売する世界堂さんに入ってもらってコーナーを作ったのは面白いチャレンジだったかもしれません。展示に刺激を受けた人の「描きたい!」と思う気持ちを後押しするために、売店でキャンバスなどの画材を販売しました。スタッフさんに聞いたら画材も多数売れていたとか。

-なるほど。来場者がすぐにアクションを起こせるような準備をしているのはCX設計としてもユニークだと感じました。

CXとはユーザーのパーソナリティに深く踏み込み、アクションを喚起させるもの

-今回のプロジェクトは、展示と来場者が双方向にアクションを起こせるような仕掛けが用意されている、魅力的な展覧会でした。全体を振り返って、岡村さんが改めて感じたことはありますか?

岡村:私が美大を受験したときには気づかなくて、「ブルーピリオド」を読んだり、クリエイティブの仕事に携わるようになったりして改めて気づいたことなのですが「アートはすごく寛容なもの」なんだと思いました。

会場には名画を見て「あなたはどう思った?」と来場者が付箋に感想を書くコーナーがありました。そういう見方もあるんだとか、そこに気づくのか、など他の人の感覚に触れられる場所として設計したのですが、そうした体験がアートとの向き合い方に実はすごく近いのかもしれないなと。

美術鑑賞は勉強の必要な高尚なもの、と捉えるのではなく、ちょっと思ったことを付箋でペタっと貼るくらいのことで、それは誰にも否定されるものでもないという。そんな寛容さがアートの良さであり、面白さなんだと気づいてもらえたらいいなと思いました。今回のプロジェクトは漫画展としてもアート展の入り口としても、うまく機能する形にできたと感じています。

-ありがとうございます。最後に、岡村さんが考えるCXクリエイティブについて教えてください。

岡村:モヤモヤでも、ワクワクでも、「何かを持って帰ってもらうこと」ではないかと思います。正解や遊び方を定義しすぎずに、「私だったらどうなんだろう?」と、その人自身のパーソナリティにも踏み込めるようなもの。体験を経て、その人の行動や考え方に影響を与える可能性がCXにはあるのではないかと思っています。

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今回は、漫画「ブルーピリオド」の展覧会「ブルーピリオド展」の設計と体験づくりについて話を聞きました。

「ブルーピリオド展」は従来の漫画展とアート展を越えて、より来場者のパーソナリティに踏み込むような企画展示が多く用意されていました。これからのイベント設計や体験設計においても大きなヒントになる事例だったのではないでしょうか。

今回のインタビューは、ウェブ電通報「月刊CX」(月刊CXに関してはコチラ)とも協力し取材を行いました。今後も電通と電通デジタルが設立したCX領域のクリエイター集団「CX Creative Studio」として、より幅広い事例の収集や紹介等を行っていきます。応援やフォローをよろしくお願いします。

プロフィール

電通:岡村 尚美(おかむら・なおみ)

カスタマーエクスペリエンス・クリエーティブ・センター
アートディレクター / プランナー

1991年生まれ。体験全体を通してコンセプトを体現するコンテンツや、テクノロジーを活用した全く新しい体験や表現の創出を軸に、イベント・映像・グラフィックなど媒体を問わず幅広いアートディレクション/プランニングを行う。

※所属・役職は取材当時のものです。