ただの豚

生まれた時から自由を求め、仕事に踊り狂い過ぎたが故に自分を失念する。 絵描き豚として延…

ただの豚

生まれた時から自由を求め、仕事に踊り狂い過ぎたが故に自分を失念する。 絵描き豚として延々と思いと絵を吐き出していこうと思います。 私は無知が故に己の経験のみで体感して生きて来ました。 現在は情報社会に呑まれそうです。 どうぞ暖かい目で見守ってやってください。

最近の記事

いつの時代も

幼少期を思い出す時がある。 あの頃は一日が長く、未来を憂うことはなく過去も見なかった。その日を生きていた。 布団に入ると当たり前に寝て生きることに疑問など持たない。 1日がとても長く感じたのをよく覚えている。 それだけ情報に溢れてなかった時代なのは確か。 いつの時代も 昔は 今の子は と言う言葉を良く聞く。 大人だから、親だから偉いわけではない。 もはや子どもの方がずっと真っ直ぐで素直。 この情報過多な時代にも実は子ども達は何も変わっていないと子どもと関わる事で感じる。

    • 一瞬

      ある日、本を見ていた時の言葉。 〝 偉業は一時的な衝動でなされるものではなく 小さなことの積み重ねによって成し遂げられる 〟 生き物を扱っているとこれは身に染みて感じている。 毎日、当たり前を当たり前にする事の大切さを。 その積み重ねはやがて大きな安定に繋がる。 ただ、一つ間違えればあっという間に転がる世界。 人間も同じだなと思っている。 登るのは大変だけど転がるのは本当に一瞬。 だからこそ毎日を粛々と誠実に行きたいと願う。 マグロの時期も必要だけど今は小休止。

      • 私は貝になりたい

        私は良い事を思いついたら嬉しくなり突っ走る癖がある。 そんな時は良い案が頭を支配してそれに対していかに物事をいかにして遂行していくかを頭の中で延々と巡らせる。 全てを考え尽くし頭の中は満タンになる。改善に改善をし続ける。その世界は延々と広げ続ける。 この時の私はどうも鮪らしく走り続けている。 止まったら死んでしまうと思っている。 それで会社に貢献していると思っていた。 心身ボロボロの中それでも 止まったら死ぬと本気で泳ぎ狂っていた。 ある日、鮪の私は壁にぶつかり止まってし

        • 人間

          何か壁にぶつかると人間は視野が狭くなる。 壁際に追い込まれれば追い込まれるほど選択肢がないと感じる。 お金がない事、体の病気の事、人間が怖い事、働けない事。 やがて外の世界は見えなくなる。 学歴とか職歴だとかお金とか難しい事を言う その概念の上で人間は人間になれて生きた心地がするらしい。 人間らしい生活をする事、当たり前に働き稼ぐ事が いかにも素晴らしいことの様にのたまう。 そこから溢れた人間はもはや人間として扱われない。 今私は不安に押し潰されそうになる事がある。 私自

          宇宙人喪失

          ただの豚は社会人になり沢山の学びを得る。 こう見えて真面目でしかない。仕事は一生懸命遂行していた。 ただ、この頃は宇宙人だったので世間を知らなかった。 イジメという概念が無かったように周りで起こる事象全てを受け入れ容認していた。 この会社という居場所で何か問題があれば私の世界が消え去ると思って、全てを仕事中心に生き、流れるままに現実を受け入れ流れに身を任せてていた。 当時は気付かなかったが この頃、自分を殺して何もかも諦めるという事を覚えた。 いつからか心が蝕まれていった

          宇宙人喪失

          自分の世界で生き続けるとどうなるかと言うと 社会というものを知り自分の無知を思い知らされる。 それらは傷の様に記憶に刻まれていく。 本能で生きたら生きにくいのだと気付きだす。 協調性がないと会社から分断される。 ずる賢い大人が沢山いる事に気付きそんな大人になるまいと誠実さを貫き通す。 結局賢い人間がのうのうと生きやすい世界。 そんなミクロな世界を知り 視野が広がるほどに自分はいかにちっぽけかと考える。 所詮視野だけが広がった井の中の蛙は大海を知らないくせに生きにくい。 早

          経験

          生き物に触れ合っていて日々思う事は彼らは生きることを諦めないということ。 健康な時には気付かなかった日常のありがたさは病気になって初めて気付く。 人の痛みを理解しているつもりでも同じ状況になって改めて痛感する。 到底理解出来ないと思っていた事は立場が変わって体験し理解する。 経験を積めば積むほど生きにくい。 日常を変える事は勇気のいる事で日常が平穏であれば感情に振り回されず穏やかに生きていける。 大概の人はその暖かい毛布の中にいたいものである。 生き物は例えどうあろうが

          普通は

          ただの豚は何かあればよく地面に転がっていた。 当時からずっと大地と触れ合うと言いながら転がっていた。 心が少し疲れた時には癒しとなってくれた。 大地と触れ合いながら延々と空の流れる雲を見続けていた。 時には草むらで、時には土の上で。 生き物からしたら当然のこの行為は 人間から見ると奇行と見えるようで不気味がられていた。 でも当時は何も気にしなかった。 必要と思うことを本能的にしていた。 いつからか【普通は】という概念に縛られていった。

          無償の愛を知る

          ただの豚は手を出せばよく手にトンボが止まっていた。 大量のトンボを捕まえていたのを覚えている。 この頃は多種多様な沢山の生き物を飼育していた。 青虫が蝶々になる、カブトムシが成虫になる オタマジャクシがカエルになる、ウジがハエに。。。 あらゆる生き物は子供の姿から大人へと変化していく。 ただの豚が宇宙人からただの豚へなったのは若干20歳の事である。 五感を生かしたこの数々の体験というものがいかに尊いものかと今になり思う。

          無償の愛を知る

          生まれた時から宇宙人

          思えばただの豚は小さい頃から宇宙人と呼ばれるほど何を考えているか分からないと言われていた。自分の世界で生きていた。 もはや自分というものは無かったに等しい。 小学校、中学校の頃多分私はイジメられていた。 宇宙人だったからおそらくイジメという概念が無かったのだろう。気付かなかった。 小学生のある日クラスの男子に下駄箱の角で踏まれたり蹴られたりした。でもただの豚は本気で気付かなかった。 痛い、何してるのかな??と思った事ははっきり覚えている。 この経験から全ての社会的な現実

          生まれた時から宇宙人

          ただの豚について

          ただの豚は一般的な生き方が出来ず自由を求めて生きる中で 生きにくさを感じながら 仕事に踊り狂う中 限界を越え続け 不調を無視し続け走り続けておりました。 自分はどうありたいのかを問い続けたが故に自分を見失い 人生の帰路に立っています。 心身共にボロボロでありながらわたくはここから這い上がる軌跡を記せたらと思います。 ただの豚のが何で構成されてきたのか 生き物の絵を描き続けながら振り返り読み解こうと思います。

          ただの豚について