見出し画像

【Kis-My-Ft2と対立】「キ・ス・ウ・マ・イ~KISS YOUR MIND~」MVから分析する。

Kis-My-Ft2「キ・ス・ウ・マ・イ~KISS YOUR MIND」分析

今回はKis-My-Ft2の7枚目シングルである「キ・ス・ウ・マ・イ~KISS YOUR MIND~」(以降、「キ・ス・ウ・マ・イ」と表記)を分析・考察する。

本楽曲は3枚目シングルとして前々回扱った「SHE!HER!HER!」と同様、江原グリコ株式会社のWatering KISSMINTのCMソングとなっていた。

メンバー/第三者

前回前々回と「SHE!HER!HER!」「Luv Sick」の二楽曲のMVについて分析を行った。そこでは敵的存在が登場し、シーン割りやエフェクトの編集、衣装のコントラストなどによって明確な対立関係が描かれていた。

それらの分析の結果「SHE!HER!HER!」「Luv Sick」に共通して持っている/持っていないという、何かの有無での対立構造が描かれているのではないかと考えた。そこからこうした対立にはKis-My-Ft2、つまり主役となる存在の”持っている”を強調することが意図されているのではないかという仮説を立てた。

今回対象とする「キ・ス・ウ・マ・イ」MVにも第三者的存在が登場する。これがどのような形でメンバーと関係しているのか、まずはこの点を明らかにし、Kis-My-Ft2と対立関係の考察を行う。

MV概要・対立関係

端的に言うとこのMVの設定において私が見出したのは、キスが上手いメンバー/キスが上手くない第三者 の構造である。
なぜこう考えたか、MV冒頭から見ていこう。

Youtube版では省略されているがこのMVは冒頭、第三者であるおじさんが「キスが、うまくなりたいよ…」と発言するところから始まる。この時点で第三者はキスが上手くない、つまり持っていない存在であることが分かる。

また、この第三者とメンバーが持つ関係がより明らかに見られるのは2番以降のシーンである。
1番サビが終わり、2番が始まった1:34、ここではメンバー7人が中心に座っており、その周囲に4人の女性がいるシーンから始まる。シャンデリアや果物、ワインなどの小道具に囲まれた空間。続く1:57ではこのような場面を1人で陰から見る第三者が映される。
この時点でまず空間的な差異の演出がされる。広く、豪奢なセットに囲まれた空間/壁を挟んだ物陰。あるいは人数的な違い、11人(メンバー7人と女性4人)/第三者1人。
2番サビに入ると談笑し、乾杯するメンバー・女性の姿があり、2:14以降何度かそれを指をくわえて見る第三者が映される。
このことからも第三者はキスが上手くない、つまり持っていない側でありメンバーを羨んでいることが分かる。

MVでは最終的に第三者はメンバーが所持していたガム(CM上必要とされたアイテム)を手に入れることで女性4人に囲まれる、メンバーと同じ状況となることが叶う。

持っている/持っていない

前述した通り、第三者がキスが上手くなりたい、つまり現状上手くはない。この”持っていない”第三者がメンバーと空間的に分断され、羨むことでメンバーが”持っている”側であることが分かる。

「キ・ス・ウ・マ・イ」はこれまで分析してきた「SHE!HER!HER!」と「Luv Sick」とは異なる対立関係である。敵的存在として位置づけられていた第三者だったが、攻撃等のやり取りはなく第三者が羨望する形で描かれる。
しかし3つのMVにも共通して持っている/持っていないの関係があることが導き出せる。そして、どのMV上でも持っているのはKis-My-Ft2であるような位置づけである。
ストーリー上で獲得するのではなく、元々持っている者として設定されるメンバーの存在がこの対立関係には描かれる。

対立の要請

何故こうした敵的存在が要請され、メンバーと対立する構図が作られたのか。仮説をそのまま用いるならば、それは持っていることを強調するためと言える。実際にそのような側面もあるのだろう。

ただ、何故そのような必要があったのか、である。これは「SHE!HER!HER!」「キ・ス・ウ・マ・イ」の2つについて言えば、CM・広報的側面があったのだろう。商品を持っている前提、持っていない人を映すことでその面が強調され、欲しいと思わせるような。
「Luv Sick」ではメンバー主演のドラマの設定に基づいていたのだろう。藤ヶ谷太輔が主演を演じ、「Luv Sick」が主題歌となったドラマ『仮面ティーチャー』のHPを見ると、設定が以下のように示されている。

荒木剛太(藤ヶ谷太輔)は、荒れた生徒を力による恐怖で制圧することを許された特別教師“仮面ティーチャー”である。

日本テレビ 仮面ティーチャーHP ストーリー第1話より引用
https://www.ntv.co.jp/kamen_teacher/static/story.html 

暴力や恐怖での制圧、このような設定やドラマの要素が流れている。これが楽曲にまで波及しているため、必然的に敵的存在、有無による対立が用いられたのではないだろうか。また言い換えるならば、対立には持っているか/持っていないかのような明確な差が必要だったのではないだろうか。

Kis-My-Ft2のメンバーが出演する作品、その設定や展開を楽曲も汲んでいたとして、何故メンバーではなく別の第三者を用いる必要があったのか。
ここにはアイドル”グループ”観を関連付けることができると考える。
つまり、グループとして分断が無い、アイドルとしてマイナスイメージの無い優れた存在、協力する共同体、こうした認識が前提に置かれているのではないか。「SHE!HER!HER!」で言うなら悪臭というマイナスイメージは持たずメンバー全員が良い香りを放つような、「Luv Sick」で言うなら圧倒的に突出した力は持たず、共通した目的のために協力する、「キ・ス・ウ・マ・イ」で言うなら分断されず全員が同じ空間に存在している。
前提があったからこそ、メンバーは同じ立場にいることが当然であり必然だったと考える。

なお、このような前提はアイドルグループに限ったことではないと考える。社会生活でも集団(グループ)に属した際は協力することが前提とされているのではないか。むしろ協力することを目的に組んでいるとまで捉えられる。取り組む内容に差はなくなるべく平等に、同じくらいの量を、それを終えるために協力する関係であると。学校での班活動や委員会活動を想像すると分かりやすい。まとまった一個の集合体として、目の前の課題や問題と対峙することの要請。

まとめ

Kis-My-Ft2と対立、というタイトルで3楽曲のMVについて分析を行った。

1曲目「SHE!HER!HER!」ではエフェクトや衣装の色彩(明度)を用いて良い香りを持つメンバー/持っていない人々・敵的存在が描かれた。
2曲目「Luv Sick」では直接的な戦闘シーンや敗北の演出とともにローラースケートを持つ敵的存在/持たない(だから奪う)敵的存在が見られた。
3曲目「キ・ス・ウ・マ・イ~KISS YOUR MIND」では敵対はしないものの空間的にも分けられ、キスがうまいメンバー/うまくない(だから羨ましがる)第三者が設定づけられた。

こうした対立関係は持っている側、つまりメンバーを強調することを可能にする。また楽曲が用いられた他の作品の影響を受けていることから要請されたと考える。
加えてこの対立にメンバーではない異なる第三者が必要だった理由として、グループとして分断が無く協力する存在であることの全体が関わっていたと考える。そしてこのような前提は社会における集団活動にも見出せると考える。

反省

とりあえず長い気はしないでもない。もう少し端的にしつつ、まとめることはできないものかと考える。一方で文脈の整理を習慣づけたい。そのため文脈や自分の立場を明らかにする、これを合間に繰り返すような表現を探っていきたい。読み進めづらい箇所や意味の通らないところ、その他意見があれば遠慮なく伝えて頂きたい。
よろしくお願いします。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?