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諦めていることが1番叶えたいこと

『余命10年』
小松菜奈 × 坂口健太郎
ふたりとも好きな俳優ということで、「これは観るでしょー。」と楽しみにしていた作品。
アマプラで観れるようになってすぐに観たことがあったのだが、途中で眠っていた。
期待が大きかったのか、退屈に感じた記憶がある。(今となれば当時のわたしはどんな期待をしていたのかが気になるが。)
ここ最近、気になっていたので再び観てみることに。

出会いが織り成すふたりの未来

余命10年と宣告を受け、恋はしないと決めて生きていた茉莉(小松菜奈)。生きる理由を見失っていた和人(坂口健太郎)。
お互いに惹かれ合い、人を好きになり相手への想いが生きるエネルギーとなっていく。
茉莉は小説を書き始め、和人は焼き鳥やで働きだす。
人を想うと心に火が灯る。
確かになぁ。
相手が家族や恋人じゃなくても、目の前にいる人を知りたいとか理解したいとかいう想いが湧くときって、じゅわっとエネルギー湧いてくるもんな。

出会いって人を変えるよね。

心の色、形 まるで違う
二つの魂が混ざった時 何が起こるかな

RADWIMPS「うるうびと」

これは、主題歌の歌詞の一部。
全く違う価値観に触れる瞬間って、自分の世界が拡がる瞬間。
「まだまだせまーい世界で生きているわたしを連れ出してあげなくちゃ!」
「あぁ、今世はたくさんの人と出会うと決めて生まれてきたんだなぁ。」

諦めていることが1番叶えたいこと

「同窓会、行かなきゃよかった。」
和人に再開するきっかけとなった同窓会。
行かなきゃよかったと言いたくなるほど、出会わなければよかったと思いたくなるほど、今ある幸せな日々が愛おしいと感じていたのだろう。
「恋はしない」と言っている時点でそうなることを知っていたってこと。
切ないわ〜。

一方、和人は自殺を試みるほど生きることを諦めていた。それくらい生きる意味を欲していたんだと思う。
和人を見てると、きっかけや理由なんて何でもいいんだって、そんなふうに思った。だけど、逆なのかも。生きる理由が欲しかったから、茉莉と出会って、焼き鳥やで働くことができたのかも。
茉莉にアタックしたり、仕事を懸命に覚えたりしている姿は、自分の気持ちに素直に行動していて美しかったなぁ。

さて、わたしは、何を諦めているだろう。
口にすることを躊躇っている、それよ。
まーーーーあ、言いたくないけど、言いたくないから記しておこう。
もっちもちの肌になっておしゃれを楽しむこと。
遊ぶように働くこと。
今すぐに浮かぶのは、このふたつ。

ありのまま表現できる安心感

和人のことを好きになって、抑えていた気持ちや欲求が溢れだす茉莉。
母親の前で、「もっと生きたい。旅行にだって行きたいし、友達とももっと遊びたい。仕事だって。」と伝え、泣きじゃくるシーン。
お母さんが、「もっと泣いていいし、叫んだって喚いたっていい。お母さん受けとめるから。」と言っているのが印象深かった。

自分が感じていることをどれだけ素直に表現しているだろうか。10年前の自分に比べれば随分と表現するようになっていると思う。
ただ、まだまだ満足はしていない。
「伝わる言葉じゃなきゃダメじゃん。」っていう思い込みがあるなぁ。貪欲やな。笑
このマガジンも表現のひとつ。映画を観て、感じたことを言葉にすることは、わたしがわたしに触れているようで、自分を大切にしているなぁという満足感がある。

あぁ、諦めてることあるわ。
しっくりくる言葉で表現すること。
自分にも相手にも響く言葉で表現すること。

エンディング、RADWIMPSの曲を聴きながら、なんでこんなふうに日本語が使えるのだろう、と歌声もそうだが歌詞にうっとりした。

二度目、観てよかったわ。

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