アサノネ図書館

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  • わたしを生きる日々のこと

    “わたしがわたしを生きるって?” と模索する日々。わたしでいることが居心地よくなるために、働き方生き方をリサイズし続ける暮らしをしています。

  • ジブンで占う書物占い

    「今日の晩ごはん、なににしよう?」「明日着る服、なににしよう?」 今日作るもの、明日着るもの、日常を切り取ってわたしを占う。 本を使ってどんなふうに読み取っていくのか、読み解き方をお伝えしています。

  • 映画観たらシェアしよ

    映画を通してわたしが感じたこと、考えたこと、話したくなったこと。

  • アサノネ図書館

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    人と希望をつなぐ仕事のこと。「アサノネ図書館」「ワークショップ」「イベント」について綴っています。

最近の記事

「人間らしく生きたわ〜。」

「人間らしく生きたわ〜。」 死ぬ前に、自分に対してそんな実感があったら、わたしは誇らしい。 “人間らしいとは?” という問いは生きている限り続く。 答えはないから、日々深めたり拡げたりしながら、刷新し続けていこう。 今日のわたしにとっての人間らしさって? キーポイントとなっているのは、 ・人として扱われない ・暴言や暴力と呼ばれるような態度 ・自動的に生きている という人間らしさからかけ離れていると思うこと。 人として扱われないというのは、他からどう扱われるかということ

    • 伝わったと感じるときは嬉しいもんな

      昨日、グループホームでの派遣アルバイト中のこと。 以前同じグループホームへ行った時、表現したいこと伝えたいことが言葉にならず、「ぐわぁーっ!、ぐわぁーっ!」と叫んでいた入居者さんがいた。 今回は、全く叫び声が聞こえない。 スタッフの方に話では、他の入居者さんの迷惑になるという理由で精神安定剤を投与されるようになったらしい。 彼女の食事介助をしながら、「伝えたいこと、ますます伝えれんようになったんだね。Aさん、言葉でもはっきり喋ることあるし、伝えてもらえると嬉しいんだけどね。

      • 変化しようとするときのストレスと変化しないときのストレス

        今日は、ひとのことアカデミー「わたし」が「わたし」を学ぶ《応用・発展クラス》 を受講。 変化するときのストレスと変化しないときのストレス 変化するときにも変化しないときにもストレスはある。 その違いを知ったことが印象に残ったので、記しておこう。 〈変化しないときのストレス〉 枠を越えないように越えないようにと、自分を監視するストレス。 ・成長は見られない。 ・自己嫌悪感がつきまとう。 〈変化するときのストレス〉 枠を越えよう!枠を出よう出ようとするストレス。 ・成長が

        • 想像力を養うって?

          先日、せかすくふれんずBIZを受講した日に、開催場所のトイレで出会ったことば。 地に足着いた希望に溢れたことばだ。 今日は、小さな創作にチャレンジしてみた。 わたしは紙モノが好きで、チョコレートや紅茶の包装紙なんかも可愛くて集めていたりする。 その紙を使ってちっちゃなボードを作ったはいいが、「あぁ、なんでこの色選んだんだろう。」と不満足で気に入らないわたしがいた。 あぁ、だけど確かにここまで想像してなかったわー。でも想像していたところまでは、その通りになってる。 想像力

        「人間らしく生きたわ〜。」

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        記事

          パターンを変える小さな選択

          「次の映画、なに観よ〜。」 ネトフリとディズニープラスを行ったり来たり。 わたしにとって楽しい時間でもあるけれど、無駄な時間にもなりやすい。 そこで今日は、書物占いで映画を選んでみた。 入ってきたのは、「なんでも小さなことの積み重ねが大きなことを成すんだよ。」というようなセリフ。(うっかりページを閉じてしまった。笑) そのまま検索してみるといろんな映画が出てきたが、わたしの中で『フリーガイ』がヒットする。 毎日同じことの繰り返しにうんざりしている主人公が、パターンを変え

          パターンを変える小さな選択

          軽やかにとらえる

          ビブリオマンシーで、自分のことを客観視してみる。 今日のビブリオマンシーに選んだのは、ムドラ全書。開いたのは『プシュパーンジャリ・ムドラ』。 “人生を軽やかにとらえる” ということばに惹かれる。 貪欲さから自由になる。 もっともっと、って言ってるんだな。 もう全て自分に備わっていると気づく必要があるのだと。 「ないこと」ばかりに意識が向くのは、もっともっとって言ってるのと同じなのね。 「足るを知る」「ある」 そう。 今日は、アパートの前に咲いていた草花をキッチンに飾った

          軽やかにとらえる

          ストレートでいこう

          先日受講したひとのことアカデミーの「わたし」が「わたし」を学ぶ〈応用・発展クラス〉でのこと。 わたしは五官で認識したこと、例えば、 「目立つものが気になる」 「赤いものに目がいく」 など認識したままにメモをしているにも関わらず、それを人に話すときにはそこにとやかくジャッジをしていろんな言葉がくっつく。 このときは、なんて話しただろうか。 目立つものに気を取られることがよくないことかのように表現するのだ。 そのこころは。 「声をあげた人、あからさまに主張している人に目がいく

          ストレートでいこう

          一生、鳥籠の中だったとしても

          昨日は、鳥籠の中では安心とともに不安がつきまとうと解釈していた。 それだと、鳥籠がなくなる、もしくは鳥籠の扉が開くということが条件となる。 今日受講した経営講座(コンサル)中のこと。 講師の 「もし、一生鳥籠の中だとしたら?」 (それでも自由に生きるって?) という問いに、 「自分の捉え方を変える」 とこたえた。 自分の捉え方を変える さて、これを体現するって? 答えを探そうとしているうちは、到底知るという領域にも満たない。 同時に、 「嫌いなひとを前にして、自分は

          一生、鳥籠の中だったとしても

          そこは鳥籠の中だった

          今日は、ひとのことアカデミー 探求クラス に参加した。 相も変わらず、あっという間の3時間。 参加者同士でお互いに協力し合いながら、自分理解を深めていく。 ひとりでは到底たどり着かないだろう「自分」の新たな領域に足を踏み入れる瞬間は、ワクワクするものだ。 今日のテーマは、《何かを手放すと必ずもっといいことがやってくる》。 わたしが握りしめているのは、「僅かながらにできること」。 僅かながらにできることをもって自分の価値を証明したい。なぜなら、その僅かながらにできることをもっ

          そこは鳥籠の中だった

          集中するってどんな状態?

          空の下でビブリオマンシー ビブリオマンシー100人チャレンジ中。 今日は8人の人に声をかけ、半ば強引に?!協力を得た。 青空の下で本を開くのは気持ちがよかったし、会話が弾むのも楽しかった。 外でいろんな情報が入ってくる中でのビブリオマンシー。 わたしはこれまで「集中する」というのは、周りを遮断して一点に集中するというイメージがあった。だが、今日は違う感覚を味わったのが面白かった。 ふと、昨日受講したひとのことアカデミーの「わたし」が「わたし」を学ぶ《応用・発展》クラスで

          集中するってどんな状態?

          握りしめているものは「僅かながらのできること」だった

          「頑なに握りしめているそれはなに?」 そう問われても、自分のことでありながら、それがなんなのかを知らない。 「相手にどう思われているか?」 を気にしているということが出てきたわたしに、 「そんなことに考える時間を使うことが無駄じゃないの。直接聞いてみればいい。」 という、わたしにとっては斬新なアイデアをもらい、実行してみた。 ・心がこもっていなくて、機械みたい。最低。 ・スキルや能力が不足していると口では言うけど、心底そうは思っていない。 ・本人がいなくても話題にのぼる

          握りしめているものは「僅かながらのできること」だった

          動く理由に目を向けよ

          今日は訪問入浴の派遣バイトから帰り、明日納品予定のパンの仕込みとブラウニーを焼いた。 疲れていることを実感すると動けなくなるというのは、わたしの長年の思い込みだ。 古い信念。 正しくは、疲れていることを理由にして動かないということなのだが。 そのときの気分に左右されがちで、意思が弱い。 今日は、 「疲れた〜!」 って言ってみる。 すると、詳細に ・眠たい ・肩周りの張りからの倦怠感がある ことを自覚する。 予定通りに居住区(自宅から徒歩1分)にあるシェアワークスペース

          動く理由に目を向けよ

          心地よい疲れ

          今日は、身体をよく使った1日でした。 実家じまいをしている会社にてのお仕事。 もう誰も住まうことのなくなった家の片付けをしました。 次から次へとひたすらゴミとなるものを分別していくプロセスは、スッキリしていく気持ちよさと、時代を感じるもの、素敵なものを目にする楽しみがあります。 「あぁ、お母さん、編みものする人だったんだなぁ。」 とか、 お洋服をみては、 「小柄な方だったんだろうねぇ。それにしても素敵な柄だなぁ。」 とか、 いろいろ思いを巡らせながらの片付け。 同時にさ

          ほんの少し、動きを変えてみたら

          いつもと違う動きをしてみると。 今日は、老人ホームにて派遣のアルバイト。 夜間に飲んだお茶の容器を洗おうとしたら、いつもに比べて圧倒的に数が少ない。 きっと未回収のものがあるのだろうと思い、スタッフに声をかけて居室を回ってみることに。 すると、このホームでの生活に慣れはしたが落ち着かないと言っていたHさんが、気持ちよさそうにベッドで寝ている。その瞬間は、リラックスして過ごされているようで微笑ましかった。 廊下の窓際で外を眺めているKさん、普段から口数が少なく、表情や態度

          ほんの少し、動きを変えてみたら

          自分で自分の話を聴く

          首に疲労感があって、後頭部が痛い。 つい、「なんでだろう?」と思考をはじめて、あれのせいだとか、でもそもそも𓏸𓏸だから、とかいろいろとジャッジをし始める。 たった今もそうなっていたのだけど、文章を打ちながら、「うわっ!これやん。」と気づいて、書き続けるのをやめた。 「体、疲れたね。」って自分に声かけてさ、「あぁ、エネルギー低いねぇ。」ってそのまままた声をかける。続きは、 「不満足なんだねぇ。」 「そう。」 「どんなことが?」 「任された仕事ができなかったこと。って、思っ

          自分で自分の話を聴く

          自分に正直になる

          「自分が責任をもつ」ことを避け続けて生きてきたけれど、ひとり暮らしをはじめ、個人事業主としての仕事をはじめ、やったことがダイレクトに自分に返ってくるという体験をしている。 今日は、自分が焼いたパンを食べてみて、それを眺めながら、商品として納品するかどうかを迷った時間があった。 基本的にいいか悪いかのジャッジが先にたってしまうため、正解のないものに対して正解を求めるものだから、終わりのない苦しさのループに嵌る。というのがお決まりのパターン。 今日は、自分に正直であるならどう

          自分に正直になる