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あいであ

私は特に誇れる賞を受賞したことどころか
高卒の実家暮らしのアルバイトを
転々としてきた現在求職中の27歳だ。

だが自惚れてしまうが
結構な「アイデア」が湧くことが多く、
多種多様に閃いて実行してみたり
それこそここの記事の数に
「反映」されていたりする。

色々と数少ない選択肢の中から
考えては打開策を思いつき実行してきた、
ここでは私の過去5年の歴史を軽くと
現在住んでいる家でのアイデア
をテーマに綴ろうと思う。

まず、お恥ずかしながら現在も
実家暮らしでここの実家はそれぞれ2つ
向かい合っており、一方には私と祖母で
もう一方には父母と残りの兄妹がいる。

もうすぐこの部屋に来て5年になるが、
かつては亡くなった祖父の
部屋だったらしい。

最初にその約5年前に来て驚いたのが
ネット環境が「皆無」だった点だ。
このご時世ネット無しでどう生きろと?

そこで当初編み出したのが
向かいの実家にはネット環境があったので
中継器を買って位置を調整して置いてみた。
だがふざけた話だが向かいの家の
Wi-fiが頻繁に切られる為、
その度にまた接続設定を
一からし直す手間があった。

そんなこんなで1年経って、
一時期独り暮らしをする事に
なった私はそこで色々と学んだ。
その一つが
「ネットは案外敷く敷居が低いな」
ということ。

そこから実家に戻ってすぐに
NUROに連絡して固定回線を敷いて貰った。
ここはアイデアというよりも
「勢いの精神」が強いとは思う。

話は変わってこの家は築40年くらい。
ベランダには苔が染み付いていた。

ネットで調べようと検索したら
お湯で簡単に"剥がせる"というので
やってみたら簡単に取れてしまった。

「スペース」の広さは「余裕」の広さ。
結局苔は取れたが場所は西陽で
お隣には家庭農園があるので
最低限洗濯物を干すことも叶わず今となる。

ここまで話して当たり前だが
私は向かいの家系とこっちの家系
両方と繋がりがある。
なのでトイレもキッチンも風呂も
冷蔵庫の氷もどっちも使える。

だが精神的な意味で落ち着く場所がなかった

私は聴覚過敏という症状を持っていて
一般の人にすら喧しいと思える
工事現場の音や赤子の泣き声の
倍以上が耳、頭に響いている生活が
常に続いていると思って頂きたい。

寝床やテレビやらの配置を
定期的に変えたりするも
隣家の物音すら心臓を冷ます程酷いので
辛い辛ーい日々だった。
今年の3月までは

今この記事を書けて
精神的な病も持ちつつも
比較的落ち着ける様になったのは
他でもないここ「押し入れ」の存在。
「聖域」の中の「聖域」。

この先ここは
祖母が居なくなるか、
リフォームされるか、
私が自立するか、
それとも「更地」になるか?

皆さんはどの末路だと思うだろうか?





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