野球が好きだ

野球が好きだ。
めっちゃ好きだ。

いつからスキになったのかと言われると、きっかけは親の影響。

亡き父はそれほどでもなかったが、昨年古希を迎えた母親が、昔からプロ野球・阪神タイガースの大大大ファンだったからだ。

もともとは山陰出身で野球など興味がなかったという母だが、看護学校への進学で岡山に住んでいた時期に付き合っていた野球好きの男性に誘われて阪神の本拠地の甲子園球場(兵庫県西宮市)に行った。そこであの大観衆の熱気を目の当たりにしたのが、阪神ファンになったきっかけだという。

母のトラキチぶりはなかなかのもので、阪神戦がテレビで中継される日は、開始から終了まで必ず見続けて、全力応援(タイガースファン御用達の「おっ!サンテレビ」の生中継も勿論試合終了まで画面に釘付けである)。
勝っているときは当然ながら、たとえ7回終了時点で0-10といったように圧倒的敗色濃厚な試合でも、最後の最後まで「もォ~1点でも返してよォ~」とか嘆きながら、試合終了まで目を離さない。

さらに徹底的なのは、地上波でもBSでも阪神戦を放送していない場合(BSでも「J SPORTS 2」などは契約しておらず、CSも利用していないので、たまにウチのテレビでは阪神戦が見れない日もある。ネット上ならどこかしらで見れると思うが、母はパソコン嫌いで一切触ろうとしない)は、1008キロ・ヘルツのAMラジオ・「ABCラジオ」の阪神戦中継番組「ABCフレッシュアップベースボール」で、やはり試合開始から終了まで、勝っても負けてもラジオに齧りついているのである。

う~ん、虎ファンの鑑。

2003、05年のリーグ優勝を経て、ここ十数年来は常に上位を争っている印象があるが、「ダメ虎」と称され、最下位が定位置と言っても過言ではなかった1990年代から2000年代初めも同じように阪神戦を見ていたというから、その筋金入りっぷりには敬意を表さざるを得ない。

そんな母親の隣でテレビを見ながら育った私だ。そりゃあ、阪神ファンになるだろう。

とはいえ、幼少期からアニメが大大大好きだった私。
アニメから一時離れて、本格的にプロ野球に興味を持つように至ったのは確か小学校4年生の頃。新世紀(2001年~)が目前に迫るミレニアム(2000年)の間近となった1999年の夏のことだ。
ちょうど「ノストラダムスの大予言」で人類が滅亡すると言われていた月だったかもしれない。結局人類滅亡しなかったけど。したがって野球も滅亡しなかったのでよかったまである。われらが阪神軍も永久に不滅です!

原初的な野球観戦の記憶は、たぶん東京ドームで行われていた巨人―阪神戦。
当時阪神に所属していた舩木聖士投手が、ジャイアンツ打線につかまってフルボッコにされてたシーンを映像的に覚えている。
確か、当時巨人に所属していたマルちゃんことドミンゴ・マルティネス選手にホームランを打たれていたような気がする。いや、打ったのは主砲の松井秀喜選手だったかな? まあとにかく、巨人の主力にことごとく痛打されて、項垂れた表情で降板した舩木投手の顔は、今もありありと思い出せる。

母親が応援しているのはとても弱いチームなんだという印象を強烈に植え付けられ、それでもひた向きに応援し続ける一途な姿勢に感化されたからだろうか。私はその頃から、母とともに阪神戦中継を熱心に見るようになり、ナマの試合が展開する中で自然とルールを覚え、野球観戦の醍醐味にどんどんのめり込んでいったのである。

と、ここまで野球との馴れ初めを書いたが、あくまで私は「見る専」であり、野球を実際にすることはほぼなかった。

なにせ、幼少期から筋金入りの「ぼっち」だった私だ。
1チームで最低9人はいる野球なんて、友達のいない私には経験できるはずもない。
なんならキャッチボールさえ、幼少期にまともにしたことがなかったのだ。父親は登山や釣り、家庭菜園、バドミントンなど多趣味だったが、球技には一切興味がなく、興味がないことは何もしないタイプ。
一方の母親も、中学生時代には美術部に所属していながら、足が学年でもトップクラスの速さだったので、陸上部から助っ人として選手登録を頼まれ、島根県大会で好成績を残し、中国大会まで行ったことがあるというが、野球は観るものであって、キャッチボールなどには一切興味がない。

友達がいないからこそ、親のモノの考え方にたいへん色濃く影響を受けた私。
野球は「するもの」ではなくあくまで「観るもの」だという刷り込みに近い確信は、スポーツ競技として野球をやろうという気持ちをついに私のなかに生じさせなかった。

今になって思うと、ちょっと、勿体なかった気もするのだ。

なぜなら、私は左投げ左打ちのできる生粋の左利きだったから。

左利きはたいがいのスポーツで有利だと聞くし、もし親が私を野球選手にしようと思って幼少期から野球教室や地域のスポーツクラブに通わせていたら、案外レギュラーくらいは取れたりしたのでは……?

もういい年をしたおっさんだが、左利きの私が本気でプロ野球選手を目指していたら、どんな青春時代を送ったのだろうかな、といまだに夢想するときがある。
まあプロなんてさすがに無理だったろうけれど、妄想するだけならタダなのだ。嫌なことを考えているよりいいことを考えていたほうがいい。

そんなわけで、私は現在、生粋の左利きのプロ野球選手に自分を重ねながら、野球観戦を楽しんでいる。

一番好きなのはやっぱり、福岡ソフトバンクホークスの和田毅さん(43。私の両親の出身であり、私も親戚付き合いでちょくちょく帰っている島根県出身なのも、和田さんを応援している理由のひとつ。7月5日の試合では、鈴木大地選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)に本塁打を浴びるなどして今季2敗目を喫してしまったが、まだまだこれから。ひとつでも勝ち星を多く積み上げられるように、これからも頑張ってください。応援しています。

そんな私の野球ファン遍歴としては、2005年までは母子ともども生粋の阪神ファン。
で、翌年からは、パ・リーグの千葉ロッテマリーンズも応援するようになった。
野球好きな人はもちろんご存じだろうが、2005年のリーグ優勝時に、「今度こそ30年ぶりの日本一を!」と大いに盛り上がっていた全国の阪神ファンの心を、濃霧混じりの冷や水を浴びせてカッチカチに急速冷凍させたのが、当時パ・リーグにのみ導入されていたプレーオフを制して覇者となったロッテの〝マリンガン打線〟だった。
特に日本シリーズ第3戦、2連敗した後に本拠地・甲子園に戻って「こっから反転攻勢や!」と息巻いていた阪神ファンの夢と希望を打ち砕いた、左打者・福浦和也選手のライトスタンドへ突き刺さった満塁ホームラン。まさしくあれが、トドメの一撃で、第3戦のみならず、日本シリーズの趨勢を決定づけた一発だったと思う。打たれた桟原将司投手がマウンドで立ち尽くして茫然としていた。あの顔が脳裡から離れないのと同時に、福浦選手の格好良すぎる一撃に、ハートをガッチリ掴まれて、一気にファンになってしまった。阪神側から見たら悪夢の4タテでの日本シリーズ敗退だったが、あれがなかったら、たぶん私がロッテファンを兼務することになることも、パ・リーグの野球の面白さに目覚めることもなかっただろうと思うと、個人的にはアレはアレで良かったのではないかと思っている。

まあ、それを言ったら純粋なタイガースファンからボコボコにされそうですがね!!

というわけで、阪神ファン兼ロッテファンの私にとっては、両チームが勝利して迎える移動日の月曜日の朝は至福です。

タイガースは十分連覇を狙えるし、マリーンズは、まあホークスが突っ走ってますけど、こちらのチーム状態もかなり良いので、去年のように夏場に失速せずに勝ち星を積めれば、ホークスの動向次第ではワンチャンあるのではないかと思っている。

願わくは、またいつか日本シリーズで阪神とロッテが相まみえるときが来てほしい。
そのときは、どっちを応援するかめっちゃ迷うだろうけれど、どっちも強いってことは嬉しい限りだし、7戦目か、なんなら引き分けも挟んで8戦目以降まで行っちゃうような史上稀に見るほどの好ゲーム、大接戦が観れることを期待している。

まあ、日本シリーズでこのカードが実現するのは、半世紀先とかになるかもしれませんけどね。笑

(了)


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