京都アニメーション放火殺人事件から5年――あの事件と、私がいま思うこと

5年前の2019年7月18日。

私は午後からの出勤で、曇り空を眺めながら「傘持っていかないとな」と思いつつ、結局忘れて家を出、神戸線の電車に乗った。

そして仕事場に着き、私の勤務する一室に入った。

早出で出勤していた同僚が、室内に据え付けられたテレビに見入っている。

私の職場はメディア系列の関連会社で、仕事場の各所には大型・小型の複数台のテレビが設置されていた。

「何見てるんすか」

「やばいことなってるよ」

私はカバンを蓋のないロッカーに放り込んで、

「選挙関連ですか?」

その日の3日後の7月21日には、第25回参議院議員通常選挙の投開票日を迎える。

仕事柄、当時は参院選の話題が大勢を占めていたので、その関連で何か起きたのかと思った。

「いや、出勤前にニュース見とらん? 京アニだよ」

「は?」

一瞬、何のことか分からない。

キョウアニ?

え、京アニ?

同僚は私と同じく、それなりにアニメを見ているタチだったので、京アニもよく知っている。

だが、京アニは広く世間的に見れば、京都のアニメ制作会社の一つに過ぎず、テレビに「やばい」ような取り上げられ方をするような大会社というわけではないけど。

そう疑念を抱きながら、画面に目をやって、絶句してしまった。

「え、マジ、すか」

「うん、マジだわ」

黒煙を上げて燃え上がる建物。

その下についたテロップで、「京都のアニメ制作会社で放火か」「死傷者多数出ている模様」「容疑者とみられる男を確保」などの文字。

頭がクラクラする。

その日の仕事は、申し訳ないが、ほとんど集中できなかった。

その後も続報が晩のニュースまで延々と流れ続け、死者の数が増えていくたびに、もう何が何だか、何なんだよ、と頭の整理がつかなくなって、苦しくなった。

亡くなられた方々、遺族の方々、負傷し、心も体も傷ついた方々、そのご家族、会社の同僚や社長を始め、多くの関係者が苦しんでこられ、今も、これからも、苦しんでいかれるのかもしれない。
その心中は察しても、察しても余りある。

京アニとは直接的な関係はない人間とはいえ、アニメを通して誇張抜きで生きる活力を分け与えてもらった私だ。

2006年の高校2年時の『涼宮ハルヒの憂鬱』、翌年の大学受験を控えた高3の4月から9月まで放送された『らき☆すた』に大いに影響を受けた。

友達の少なかった私にとってアニメという存在は、満たされないことも多かった日常生活を送る上で、貴重な娯楽となり、受験勉強の最高の息抜きにもなった。

京アニのアニメが好きになり、京アニというアニメ制作会社そのものも好きになったのが、最終的な進路決定にも影響した。

私は京都府内の大学を受験して合格し、2008年春、京アニが本社を構える宇治市内の下宿先に引っ越した。

京田辺市内にある大学キャンパスに通っていた2年間、宇治に住み、自転車を駆って、JR木幡駅近くの京アニ本社前を何度も通り過ぎた。

「ここが『ハルヒ』や『らき☆すた』を生み出した会社なんだよな。凄いなあ」と思いながら、バイト先に向かっていた。

当時は自身の懐具合にそこまで余裕があったわけではなく、宇治市内の「京アニショップ!」に一度も寄らなかったことを、今でも後悔している(宇治市内の実店舗は事件以降に休業し、2020年を以て事務所として転用されたらしい)。

あの事件によって、大学生の頃の、いわゆる青年時代の自分の想い出諸共、木っ端みじんに砕かれたと感じた。

犯人に対する底知れない憎悪と、尋常でない怒りを感じた。

だが、その後、犯人の来歴や、事件に至るまでの詳細な経緯が明らかになるにつれ、犯人側に対して複雑な感情を抱くようになった。

一審判決で「重度の妄想性障害」と認定されたように、犯人は精神疾患に罹患しているようだった。

私自身も、犯人とは病種は異なるが、双極性障害(Ⅱ型)を抱えながら生活しており、親族にも、他の精神疾患の治療を受けている人がいる。

犯人は犯人で、本当に苦しかったんだろうな、というのは、私自身の体験にも照らして、容易に想像できるところだった。

だが、そうは言っても、苦しみを転嫁して、まったく何の罪もない人を傷つけるのは許されない。

どんな理由があろうとも、人を傷つけていい理由にはならない。

悲惨な事件だった。

だが、残念ながら、犯人の精神状態を考えると、「死刑判決」をもってしても、本当の意味で犯人が真っ当な償いの思いを心根から発することはできないかもしれない。

やるせない。

本当にやるせない事件。

もし、この事件を回避する方策があったとするならば、犯人を心から見守ってくれる無償の愛を提供するような存在がいて、犯人が最適な医療を受けて、症状を改善させていく下地が用意されていたこと、それしかないと思う。
思うのだが、犯人自身が、自らに手を差し伸べようとしてくれていた訪問看護師に刃物を向けて突き返したりしていた事実を鑑みると、「もうどうしようもなかったのかな」と思えてしまってならない。

私が京都アニメーションの手掛けた作品で、今でも一番好きだと胸を張っていえるのは2012年の『氷菓』だ。

京アニ作品には傑出したものは多々あるが、『氷菓』は本当に私の好みに合った。ああいう知的な、それでいてやっぱり青春の蹉跌とウィットと彩りに満ちた作品。私はあの世界観が大好きだ。米澤穂信さんという辣腕のミステリ作家との出会いにも繋がった。

『氷菓』を手掛けた武本康弘監督も、事件で亡くなった一人。

『氷菓』のDVDは今でも時々再生して観ることがあるが、おまけで付いている武本監督らのロケハンの様子などは、事件後、私は見られないでいる。

「もうこの人はいないんだな」と思って、たぶん落ち着いて見られないから。

今年も7月18日が巡ってきた。

あの時間帯に、やはり今年も黙とうをささげた。

事件後1年から、毎年この日に京アニのYouTube公式で配信されていた追悼動画は、今年は放映されなかった。

先日、事件を後世へと伝える「志を繋ぐ碑」が、宇治市内の公園に設置され、公開された。
これを機に、ということで追悼動画の配信が見送られたようだ。

今日はあいにく、京都に赴くことはできないが、また必ず宇治に出向いて、「志を繋ぐ碑」の前で、亡くなったの方々へのご冥福をお祈りしたいと思う。

そして、先日フィナーレを迎えた『響け!ユーフォニアム』の舞台である宇治の街並みを、またゆっくり巡りたいと思う。

これまでの京都アニメーションの想い出も、これからの京都アニメーションから受け頂くであろう新しい想い出も、やはり私の青臭さを残した年齢不相応に多感な心を動かしてやまないだろう。

これからもずっと応援していきます。

いつもありがとうございます。

京都アニメーションに関わる、すべての皆さま。

(了)



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