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いつかの恋人へ

大学生の終わりに出会って、2年近く付き合った恋人と別れた。2つ歳下の恋人とは飛行機込みで片道3時間の遠距離だったけれど、インターネットの世界ではそんな現実の距離など軽々と超えて恋に落ちた。

趣味でやっていたゲームの憧れの人だった。その人に憧れて練習したりもしたし、その人と仲の良い友達に嫉妬したりもした。嫉妬の対象だった友達に繋げてもらい、初めて二人で話をした。
既に深夜零時を越えていた。私は一人暮らしだったけれど、恋人は実家暮らしだったために囁くような声で話した。二人だけの秘密ができたようで嬉しかった。
たくさんゲームをした。わたしは卒論の話をして、恋人はバイトの話をした。

好きな音楽が一緒だった。恋人が口ずさんだ曲が春泥棒で、わたしがそれに気づいて声をかけた。一番好きな曲なんだ、と教えてくれたので、わたしも好きな曲を伝えてみた。冬眠って曲……わかる?恐る恐る口に出したら、恋人はふわっと笑ってくれた。おれもすき。その言葉が嬉しかった。マイナーな曲だったから伝わるとは思っていなかった。
お互いヨルシカが好きだった。ヨルシカの音楽に救われてきた。しばらくして交換した恋人のLINEの音源は雨とカプチーノで、わたしのプレイリストの一番上にはまだその曲が居座っている。

毎日通話をした。わたしは不安症で、電話を繋いでいてもらわないと寝れなかった。恋人は寝つきがよくて、わたしが泣いていても途中で起きなかった。それでも、わたしが眠るまでは一緒に起きてくれていた。
恋人は歌が上手かった。寝れない時によく歌を歌ってくれた。わたしに歌ってくれるのはバラードが多かった。恋人の歌うSorangiが今でも耳に残っている。

わたしたちは大いに話をした。自分のこと、相手のこと、将来のこと、過去のこと、好きなこと、苦手なこと、色んなことを話した。お互いのことが好きだった。お互いのことが大切だった。
ずっと一緒にいると思っていた。恋人にとってわたしは初めての彼女で、キスもセックスも遠距離も何もかも初めてだったらしい。わたしはといえば、今までに彼氏がいたこともあるし、キスもセックスも一通りした事があった。
それでも、自分の家に誰かを上げたのは初めてだった。自分の車の助手席に誰かを乗せたのは初めてだった。誰かのためにご飯を作ったのも、ずっと一緒にいたいねって話したのも、一緒にお風呂に入ったのも、お揃いの服を着て出かけたのも初めてだった。

わたしはあの人が好きだった。
半年以上経った今、未練があるかと聞かれたらそんなことはない。いや、未練といえばあるのかもしれないが、当時のような甘酸っぱい感情が残っているかと聞かれたらそんなことはないように思う。
お別れをする時、この世の終わりかと思うくらい泣いた。わたしが泣いている間、恋人は何も言わなかった。何も言わなかったけれど、泣き止むまで電話を繋いでいてくれた。大好きだった。最後まで嫌いになれなかった。
先月の誕生日、わたしはおめでとうが言えなかった。誰かに祝って貰えたのかな。素敵な人だから、どうかたくさんの人に愛されて、たくさんの人のもとで幸せになって欲しいなと思う。




拝啓、大切な貴方へ

これから先、たくさんの人に出会って、たくさん成長して、いつかわたしの知らない誰かになってください。
そしていつか、貴方が幸せになった時に、ふとわたしの事を思い出してくれたら嬉しいです。

いつかのわたしの言葉が、貴方を救ってくれますように。いつかのわたしとの思い出が、貴方の支えになりますように。

貴方の未来が明るく楽しいもので満たされていますように。わたしの代わりに、たくさんの音楽たちが貴方を支えてくれますように。
どうか身体に気をつけて、どうか幸せになってください。

いつかの恋人より

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