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映画「として」~ジャン·リュック·ゴダール『ゴダールの決別』 感想~

音は音「として」。映像は映像「として」。「として」存在する全ての前に立ち尽くす。ただ立ち尽くす。


「ために」ではない。物を語る「ために」映像はなく、区切る「ために」音はなく、説明の「ために」映画を観るのではない。


映画館という場の、スクリーンという壁の前で、私たちは椅子に腰掛け、映像を見て、そして、音を聴いている。ただ、それだけが明確に存在している。


銀幕で名を馳せた俳優も、一人の人間「として」。歴史や神話も、一つの話し言葉「として」。


どうやら神経細胞の特徴からして、記憶に序列は本来、生まれないそうだ。過去も、未来も措定しようとするのは、いつでも文字の仕事。


映画は「ために」存在しない。絵画、彫刻も、詩も。それら全ては「として」存在している。

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