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車椅子おばあちゃんのルーツ7

「わが青春の寄宿舎生活」

「起立、礼」
帰りのホームルームが終わり、教室を出て学校の玄関へ向かうと
母が他のお母さんたちと話をしながら待っていてくれます。
「おかえり」
「ただいま」
「じゃ、帰ろうか」
そう言って私は、車の助手席に乗り込み、母は車いすをたたんでトランクにしまい運転席に座ります。

片道1時間のドライブは母を独り占めできる楽しい時間です
「今日ね、先生がね・・・」「それでね・・・」
学校での出来事をはなしたり、カーラジオからはいつも「子供電話相談室」が流れていました。
帰り道の途中で、お店の食材やら、夕飯の材料やらを買いに家の近くのスーパーによります。
「ちょっと待っててね」
「うん」
私は車で待っています。
しばらく待つと、母が荷物を抱えて戻ってきて
「はい」と白い紙袋に入った、なんともいえずいい匂いのする
熱々の揚げたてコロッケを手渡してくれます。
「わ~い」
「おいしいんだよねぇ、これが」
「あつっ」
とふたりで車の中でほおばります。

そんな風に中学3年生になるまでの2年間、往復2時間の通学を続けました。
母、父、時には親戚の叔父、叔母などが送迎をしてくれていました。
なんて幸せなことでしょう、感謝しかありません。

中学3年生になる年に学校に寄宿舎が出来ました。
養護学校にはスクールバスがあり、そのルートの子供たちは利用できていましたが、私のようにスクールバスのルートから外れて、かなり遠方から通学している生徒も多かったのです。
そんな生徒のための寄宿舎でした。

「寄宿舎ができるんだって、どうする?」
母に聞かれ、私は当然のように
「入るよ」と答えました。
休まずに、大好きな学校へ通えるのです。

新しい寄宿舎はピカピカです、
女子寮と男子寮があり、6人部屋が各5室、棟が分かれていて、その間には広い芝生の庭があり、周りは遊歩道のようになっています。
専用の玄関、ホール、集会室に保健室、購買部もありました。
各部屋には担任の寮母さんがいて、小学生も中学生も高校生も兄弟姉妹のように生活します。

私は楽しすぎて、週末の帰省もしないこともありました。
中学3年生から高校卒業まで、わが青春の寄宿舎生活です。
寄宿舎の部屋は真ん中に通路でその両脇に3人ずつのスペースがあります。
ベッドではなく車いすから移りやすい高さの畳敷きで3人分の布団が敷ける広さです
壁には備え付けの勉強机を兼ねたカウンターが端から端までつながって有り、その上に荷物をおける棚が数段設置されていました。
車いすを使わずに立てたり、歩けたりする子供の方が多かったので、そういう作りだったのだと思います。今でしたら一般の学校へ通えるような子供たちがほとんどでした。


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