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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語⑩

てんやわんやの 普通の結婚式

実は、結婚式当日の記憶はほとんどありません。
憶えていることと言えば
挙式の時に私達新郎新婦の前を歩くはずのフラワーボーイ
牧師さんの息子さんにお願いしてあったのですが
ご機嫌斜めで、急遽他の女の子にお願いしていた情景
牧師様の
「汝、病める時も、健やかなるときも・・・」
「誓います」
の後の
「では、誓いの・・・」が
「誓いの握手を」
と言われたこと
 
五月晴れに恵まれたその日
会場には約80名の列席者のみなさまが続々と集まって来られます。
車椅子の友人知人もかなりの数です。
ふと見ると、
なんと礼服を着た兄を陣頭指揮に、列席者の礼服の男性たちが
「はい、そっちもって」
「いくよ、せーのっ!」
車椅子のお客様を次々と持ち上げて2階へお連れしています。
そうだ、エレベーターがなかったんだ。
うわー!
 
い~つくしみふか~き と~もなるイエスは~

オルガンの伴奏で賛美歌を歌い式が終わり、
記念撮影のために全員外へ大移動
これもまた大騒動

披露宴が始まりました。
ウエディングドレスとタキシードの新郎新婦入場
結婚行進曲が流れ
のはずが、
何故か「高砂や~」
「?違和感」
母が後で憤慨していました。
 
その他にも、
料理がないとか、
発泡スチロールのウエディングケーキの入刀箇所がないとか、
車いす用のトイレがないとか、
式の後車椅子の友人が帰れず、茅ヶ崎まで兄が送っていったとか、
ドタバタの、てんやわんやの、ものすごく大変な一日だったと思います
 
その実態を知るのは、両親がいなくなった今、兄だけでしょう
一瞬兄にどれだけ大変だったのか聞いてみたいと思いましたが
心の覚悟ができません、
夢がかなった素晴らしい一日ということで!
 
いろいろありがとうございました。
感謝です。
 
後日談ですが、撮影していただいたビデオテープを観ながら父が
「やっとゆっくり泣けたよ」
と言っていました。
「おとうさん、おかあさん今日まで育てていただきありがとうございました。幸せになります。」って
ちょっと言ってみたかったな
 
新婚初めての二人の夕ご飯は何もなく、「カップラーメン」を二人ですすりました。
私はカップラーメンとかあまり食べたことがなかったのですが、
意外と美味しかったです。
 
明日から二人だけの生活が始まります。
料理も買い物も掃除もほとんど未経験、
洗濯だけは養護学校の寮生活で経験済みでしたが
普通の共働き夫婦のはじまりです。
 
共働きの、働く女性
家事と仕事の両立
なんてかっこいい
すごいぞ、わたし
意気揚々と新生活に挑戦を始めました。
大丈夫かなぁ


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