【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第68話-梅雨が来た〜紗霧の決意
坂木紗霧の沈黙は、理美にとって不気味で仕方がなかった。
だけど負けられない。何とかして坂木さんと北村くんの間に割って入るんだ。
そして可能ならば、坂木さんを…。
「ねえ、私たち好きなものがよく似てると思わない? 外で本を読むこととか」
理美は笑顔のまま紗霧に切り出した。
好きなものがよく似ている…。好きな人も同じだと言いたいのだろう。
紗霧は黙って次の言葉を待った。
「私たち仲良くなれると思うんだけど」
理美はカバンをゴソゴソと探ると、スマートフォンを取り出した。
「良かったら友達になれないかな?」
紗霧と仲良くなれれば、彼女に会いに行くのを口実に北村くんに会える。
同時に紗霧の動きも牽制できるかも知れない。
そんな下心が透けて見えるようだった。
高島理美は魅力的な人だと思う。穏やかで、しかし強かで、自分を持った人だと思う。だけど、だからこそ。
「ごめんね。私は高島さんと仲良くなれないかも知れない」
紗霧はキッパリと、理美の申し出を断った。
「お互いに北村くんを好きでいる以上は、傷つけ合う関係しか築けないと思うんだ」
静かだが得も知れぬ迫力を感じる声色。紗霧の言葉に、理美の笑顔が固まった。
「北村くんが高島さんを想っていたとして、それであなたを憎んでしまうような関係を、私は友情と思いたくない」
背筋を伸ばして、正面を向いて、紗霧は凛とした声で宣言した。
紗霧が母以外ではっきりと、貴志を「好き」だと宣言したのは、理美が初めてだった。
突然探るような態度をやめた紗霧に対して、理美は疑心暗鬼に捕らわれた。
どうして?何のためにわざわざ「北村くんを好きだ」って言い出したの?
混乱した頭で理美は必死に紗霧の心を読もうとした。そして気がついてしまった。
坂木紗霧の目が決意に満ちた、真っ直ぐな瞳であることに。
どくん…。心臓の拍動がやけにゆっくりに感じる。一瞬心臓が止まってしまったんじゃないかと思った。
理美は気づいてしまったのだ。紗霧の放つ空気感が先ほどとはまるで違うことに。
理美はここで紗霧を言い負かして、貴志から身を引かせることしか考えていなかった。そのために言葉を綴っていた。
北村貴志の気持ちが紗霧に向いていることに確信があったから。理美が初恋を叶える手段は、紗霧を追い落とす以外に残されていなかったのだから。
だけれど、目の前の少女はすでにそんな駆け引きの場に心を置いていない。理美の背筋を伝う汗は氷のように冷たく、理美の熱を奪っていった。
「ごめんね。私は高島さんに謝らないといけない」
何を、謝るというの?紗霧からの謝意に理美は努めて平静を装うものの、滝のように流れる汗を抑えられない。なんとか呼吸の乱れだけは、強い意志でむりやり抑え込んだ。
次に続く言葉を聞くのが怖い。きっと理美の心を見透かしたような言葉が続くに違いない。
「私ね、もしも北村くんの好きな人が高島さんだったらって、そんな事ばかり考えてたんだ」
理美は心臓を鷲掴みにされたようで落ち着かなかった。自分も全く同じことを考えていたのだから。
「もし北村くんが高島さんを想っているなら、今が取り返しのつく時期なのか…。
高島さんが北村くんに告白された後なのか…。もしまだなら何とか出し抜けないかな?って考えてたんだ」
坂木紗霧の一言一言が理美の心をナイフのように突き刺してくる。同じ人を想い、同じことを考えてお互いに話していたのだ。
でもどうして?坂木さんはどうしてこんな事を正直に話してしまうの?
そして理美は気がついてしまった。自分自身の失敗に。
紗霧を追い落とそうと仕掛けた駆け引きそのものが、紗霧を焚き付けてしまっていたのだ。
「もう不毛な駆け引きはやめにしない?」
紗霧は迷いのない目で理美の顔をまっすぐに見つめた。口調は柔らかいが、強い決意が伝わってくる。
「不毛って、どういう事?」
理美は気圧されて、目が泳いでいる。口調は固く、落ち着かない。
「私ね、気がついたの」
紗霧の目に力がこもる。それは理美への敵意ではなく、決意の光。
「私がいくら高島さんに嫉妬しても、北村くんの気持ちを自分に向けられるわけじゃない」
理美は紗霧から目を逸して俯いた。彼女の真っ直ぐな瞳を見ていられない。
「その逆もしかりだよ」
紗霧の最後の言葉は、理美の駆け引きを全否定していた。
「もし、この会話がきっかけで私が北村くんを諦めたとするね。それで高島さんが、北村くんと付き合ったとして…」
紗霧は立ち上がると理美の正面に立った。しゃがみ込んで、俯いた理美にむりやり視線を合わせにいく。
「今みたいな気持ちで、北村くんと付き合えたとして、それは幸せなの?」
紗霧がたどり着いた結論。紗霧にとっての恋愛の真理を、彼女は訥々と語りかける。
「私は、無理だなあ。
北村くんが高島さんと話すたびに、疑ったり、嫉妬したり、イライラしたり…。
そんな気持ちになりたくないんだ」
自分の好意は自分で証明できる。しかし相手の好意は、ただ信じるしかない。理美が貴志を諦めるように誘導してしまったら、自分の心に落ちた影は、きっと彼の好意を包み隠してしまうだろう。
「だから北村くんがもしも好きだって言ってくれた時に、北村くんの好きを疑ってしまうような事はしたくないんだよ」
好きな人が自分を好きになってくれる幸せ。それを曇らせないためにできることはただ一つ。
「私は北村くんが好き。
この気持ちをまっすぐに伝えて、北村くんの気持ちを聞きたいと思う。
私、北村くんに告白するよ。その結果、振られたって構わない」
気持ちをまっすぐに伝えられる人に出会えただけで幸せだから。
北村くんに好きになってもらう努力は足りなかったと思う。それでも…。
「北村くんに好きな人がいる」
ならばもう結果は出ているのだ。
「もう、私たちが腹のさぐりあいをしてる段階じゃないんだよ」
どちらが告白しても、北村くんが答えを変えることはないだろう。いや、貴志の好きな人が紗霧でも理美でもない可能性だって残されているのだ。
「もし二人とも振られてしまったら、ここで一緒に飲もう!炭酸水で!」
紗霧は理美の返事を待たずに立ち上がる。そしてまっすぐに握手を求めた。
理美は俯いたまま動かない。歯を食いしばって、肩を震わせていた。理美の膝の上で両手がきつく握られている。
肩の震えはいっそう強くなり、そこはかとなく押し寄せてくる感情。
負けた…。
理美はどんな形であれ、貴志の気持ちが自分になびけば良いと思っていた。
しかし目の前の少女は違う。
貴志からの好意を信じられる自分自身でいたいと望んでいる。曇りのない気持ちで、好きだと言ってもらえる自分でありたいと。
器が違う…。北村くんを想う気持ちの深さも。この人には敵わない。
理美は頷くことも、返事を返すこともできずただ震えているだけだった。
紗霧は差し出した手を引っ込めない。
それを振り払うこともできずに、理美はただ震えていた。紗霧には見られないよう、涙は流さず、心で泣いた。
理美が紗霧の差し出した手を握り返せたのは、日が傾き始めた頃だった。
家に帰った理美は、両親に口も聞かず、食事も取らずに部屋に引きこもって泣いた。
制服も顔もクシャクシャになるまで、ベッドの上で泣き続けた。
夜が明けて朝焼けに染まる空の赤が、理美には自身の泣き腫らした目のように見えた。
紗霧に見せつけられた決意が、ただただ胸を締め付ける。張り裂けそうな想いが…初恋が痛かった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?