【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第4話-春、始業式〜貴志②
自転車に轢かれて最悪な朝の始まりを迎えた貴志は、悪夢の続きを見ている心境だった。目の前には今朝の犯人が立っている。
腕組みをして顔を赤くして目の前に立つ少女を、貴志はめんどくさそうに見上げていた。いや実際にめんどくさい。どこの世界に事故の加害者から声をかけられて喜ぶ被害者がいるだろうか。そしてその加害者は明らかに怒りを湛えた様子なのだ。貴志は大きめのため息をついた。
「初対面の相手にいきなり死ねって何?どんな脳みそしてんのよ」
その言葉だけを聞いてクラスメートたちはにやにやと嘲笑の目線を向ける。北村貴志なら違和感のない言葉だった。
1年半かけて、それを違和感のない言葉にしてきた。
「言わなかったか?馬鹿は死んだほうが世のためだって」
周りがイメージした通りの返答で、見慣れない転校生に、クラスメート達の同情の目線が向けられた。北村貴志はそういう奴だ。転校初日に北村貴志に関わることになるとは気の毒に…
福原瑞穂に自覚はなかったが、これがきっかけで、転校初日に彼女はクラスメート達に受け入れられたのだった。
「事故を起こしたのは私だから、それはホントにごめんなさい」
瑞穂は深々と頭を下げた。
長い前髪に隠された貴志の目が驚きの色を浮かべる。
「私が悪いんだから怒るのは違うってわかってる」
頭を下げたまま続ける。
「それから自転車直してもらってありがとう…おかげで転校初日に遅刻もしないで済んだ」
ここで顔を上げる。その顔は紅潮している。怒りを湛えた表情は鳴りを潜めて、今度は目尻に涙が浮かんでいる。
大きな瞳からこぼれ落ちそうな大きな雫。
ちくりと胸が痛い。だがそれを表情にも口にも出さないのが貴志だった。前髪の奥で目元だけは痛みをこらえて細められていたが、それは誰の目からもわからない。
そのために前髪を伸ばしたのだ。
「でもね!いくら私が悪くても、ごめんで済まなくても、許されなくても…」
絞り出す言葉に続けて涙がこぼれてくる。
「死ねって言われたらさすがに傷つくの…それだけは言わせて」
周りに知り合いもいない中、どんな相手かわからない相手に抗議するのは勇気が必要だ。まして瑞穂はまだ知らないが貴志は同級生にすこぶる評判が悪かった。
人を人とは思わない態度。それが原因だった。貴志は鼻で笑う。
長い前髪に隠されて、瑞穂から表情を窺い知ることはできない。
貴志は困っていた。まさか相手がこんなにも素直に、謝罪と感謝を述べるとは思わなかったのだ。少なくともそんな気持が起きないような態度をとったつもりだった。
人が人に謝る時、純粋な反省で頭を下げていても、それは許されたいという気持ちが伴う。言い換えれば許されるために謝るのだ。死ねとまで言われて、それでも謝ろうとする相手は珍しい。頭を下げて、許されてまで人間関係を築きたいと思わない程度には、彼は憎まれ口を叩いたはずだった。
それでも涙を流してまで話しかけてくる。そんな少女に対して貴志は言葉を紡げずにいた。なんとなくこれ以上傷つけたくないような気がしていた。
そこに教室の扉を開けて、山村裕が足を踏み入れた。自分に気がついて大声で呼びかけてくる。
「おお!貴志!お前、いつの間に人間と喋れるようになったんだ?」
その声は底抜けに明るい。明るさとは裏腹になかなか毒々しい言葉だ。
貴志は自分を取り戻して返事をする。
「あのな裕…馬鹿って言葉を知ってるか?
馬と鹿って、書くんだ。人間じゃないんだよ」
その言葉に瑞穂の顔が再び真っ赤に染まる。怒りなのか、悲しいのか、恥ずかしいのか、もはや瑞穂自身にも自分の感情がわからなくなっている。
なぜこうまで辱められないといけないのか…なんでこんな嫌な奴がこの世の中に存在するのか。
丸い瞳で貴志を睨みつける瑞穂。目尻に涙を溜めながら振り向きざまに、
「転校初日にこんな嫌な思いをするとは思わなかった…でも、自転車直してくれてありがとう」
それだけ言って貴志に向き直ることなく自分の席に戻っていく。その姿を見送って貴志はため息をついた。
「転校生ね、どうりで見覚えがないわけだ」
裕が貴志の机に腰掛けながら呟く。
「調子悪そうだな」
ヘラヘラと笑い、貴志の肩をバンバンと叩きながら、裕はボソッと囁いた。
「後で時間ある?ちょっと話があるんだ」
貴志は静かに首を縦に振る。裕と目を合わせる。そして二人は周りに気づかれないように静かに笑いあった。
それは長い時間をかけて築いてきた、二人だけの空気感、信頼関係だった。裕だけは貴志が周りに嫌われる言動を続けている理由を知っていた。
貴志はちゃんと笑うことができるし、人の痛みもちゃんと考えるし、友達もいる。ただそれを周りに悟らせないよう振る舞っているだけなのだった。
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