【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第54話-春、修学旅行3日目〜瑞穂

「北村くん、家まで送ってくんない?」
 たった一言。たったそれだけを言うのに、どれだけの覚悟を決めただろう。
 貴志の事を考える時に胸に湧き上がる違和感。裕の告白を機に気づいたその気持ちが、恋と呼べるものなのか、それとも…。
 それを確認したい。その気持ちが理由で裕の告白を断ったのだから。
 裕は多分気付いてる。私が北村くんと帰りたいって、そう思ってたこと。彼に背を押され、北村くんの前に立ったのだから。
 裕は少し離れた場所にいる。隼人と肩を組んで談笑している風を装って、こちらを見守っている。
 巧妙に貴志の視界には入らないように。
 
 貴志は内心戸惑っていた。出来ることなら1秒でも早く、1人になりたかったのだ。
 紗霧に伝えた想い。忘れる努力をする。
 そんなの…本心であるはずがない。
 それでも決めたから。紗霧の心を縛り付けないために。彼女が新しい誰かをちゃんと見れるように。
 ひとりになりたい。食いしばった奥歯が痛いから。
 ひとりになりたい。忘れる努力をする。
 その言葉が最愛の人に届いた日くらい、一人でいさせてくれ。一人で泣かせてくれ。

 瑞穂から目を逸らし、断る理由を考える。
 その逸らした視線に割り込んでくる瑞穂。相変わらず視界には彼女の顔しか入らない。
 近い…。
「女子が夜に一人で歩いちゃ絶対ダメだ!」
 瑞穂がビシッと人差し指を天に向けて、どや顔で言葉をぶつけてくる。
 それは初めて貴志が瑞穂を家まで送ったときの言葉だった。
「あんな事言ったくせに、今日は一人で帰らせるんだ。
 残念ながら、今の裕に頼めるほど私は無神経じゃないですよ〜だ」
 裕はウェルカムだろうけど。心の中で舌を出しながら、からかうような上目遣いを貴志に見せる。ダシに使ってごめんね、裕。
「だったら隼人に…」
 隼人を探そうにも、逸らした視線に割り込んでくる瑞穂。恐ろしいスピードで貴志の周りを立ち回っている。重力を感じさせない、軽い足取りだった。
 何度かフェイントも織り交ぜてみたが、彼女の動物的な反射神経の前ではまったく効果がないらしい。
「何かあってもナンちゃんじゃね〜。私の方が強そうだし」
 瑞穂、隼人にだけはやけに厳しいな。

「なんか瑞穂より弱いことにされてるけど、ナンちゃん」
 裕がいたずらっぽく隼人に言った。
「でも俺、福原に腕力以外で勝てる自信ないぞ」
 こらこら真顔で肯定してどうする。

 心の中で赤髪のヤンキーにも謝りながら、瑞穂は貴志に食い下がり続けている。
 やがて貴志は大きなため息をついた。
「荷物よこせよ」
 そう言って貴志は瑞穂のやたら重そうなリュックに手を伸ばした。
 それは貴志のボストンバッグ並みに重く、背負った瞬間に身長が数センチメートル縮んだんじゃないかと感じた。

「いや、腕力でも負けたわ」
 隼人がため息をついた。仮にも喧嘩自慢キャラを自称しているくせに、それで良いのか?隼人。
 裕が隼人の背中を叩く。彼が勝てないと宣言するのは信頼の証。肩肘張らずに接する相手にしか取らない態度だから。

「わあ、優しい〜。優しいね〜。北村くん、優すぃーね!」
 瑞穂は貴志の前で無邪気にぴょんぴょんと飛び跳ねている。そして名作劇場のようにスキップで貴志の周りを、くるくると回った。
 3周くらい回ってピタリと足を止めた瑞穂は、貴志に手を伸ばした。
「ありがと。でも荷物は自分で持てるから」
 貴志の優しさに触れることが嬉しい。だけど、甘えたいわけじゃない。
 多分彼には人に優しくするだけの余裕がない。だって…前髪の奥がとても悲しそうだから。
 日を改めた方がいいのかも知れない。でも今、話したい。それは私のわがままだから。
 荷物くらいは自分で持たないと。

 瑞穂は貴志から再び荷物を取り戻すと、ふんがあ!と気合一閃、リュックを背負った。きっと漫画なら地面が足の形にへっこんでいただろう。
「北村くん、ほんとにありがとね」
 瑞穂が満面の笑みを見せる。貴志は眩しそうに目を細めた。それは太陽のように眩しい、明るい笑顔だった。
 その太陽に照らされて、心に吹きすさぶ冷たい風が一瞬止んだ気がした。
 そんな、馬鹿な…。
 貴志は戸惑いを隠せず泳ぐ目を、前髪の奥に追いやり、努めて平静を装った。
「荷物重いだろ。早く帰るぞ」
 つい瑞穂を気遣ったような口調になってしまった。
 いつもの無口、冷酷、毒舌、無味乾燥な態度を忘れていた。
 どうした?どうしたんだ、俺は?
 福原をクラスの女子ではなく、一人の人間として受け入れているとでも言うのか?
 戸惑いが心に広がっていく。
 とりあえず、帰るか。動揺を悟られないよう、貴志が歩き出す。その後ろを瑞穂はちょこちょことついていく。
 修学旅行の大荷物を抱えた瑞穂の歩調でも、貴志にはすぐに追い付いた。
 裕たちに振り返り、手を振って瑞穂は貴志の隣に並ぶのだった。

「オレたちも帰るか〜」
 想い人と親友が並んで歩くのを見届けて、裕が大きく伸びをする。
 その空元気にため息をついて、隼人は裕の肩を叩いた。
「方向違うけどな」
 そう言って、顔を見合わせて笑う。
 周りにいた生徒が驚いていた。
 隼人が笑うところを、初めて見たからだった。

「修学旅行楽しかったね」
 学校の直ぐ側を走る線路と幹線道路を越えると、広大な敷地の自然公園がある。木々に囲まれた静かな世界で、瑞穂は貴志に問いかけた。瑞穂の声以外に聞こえるのは二人の足音だけ。
 月明かりが二人を柔らかく包んでいた。
「そうだな…」
 貴志の返事はそっけない。
 元々貴志はそういう態度だったが、なぜかそれは遠い昔のように感じていた。修学旅行中の彼はどこか穏やかな雰囲気をまとっていたから。
 なぜだろう。如月中学校に編入して2カ月足らず。その日々のほとんどの時間を、修学旅行で過ごしてきた気がする。
 それだけ色々あった3日間だった。目まぐるしく色々な事があって、心を大きく揺さぶられた。そして今も。
「北村くんは?楽しかった?」
 どうしても貴志の口から「楽しかった」の一言が聞いてみたくて、繰り返し聞いてみる。
 なぜだろう。貴志とは上手に喋れない。
「君が楽しかったって言うまで、聞くのを止めない!」
 少年漫画のパロディを始める瑞穂。貴志は頭を抱えてため息をついた。
「それは質問じゃなくて、言わせてるだけだ」
 そうだね。楽しそうにしてる北村くんを見たことがなかったから、つい。
「楽しかったかはともかく、行ってよかったとは思ってる。実りは、あった」
 答えた貴志の顔はどこか寂しげで、月光の青がよく似合う雰囲気をまとっていた。
 前髪の奥に隠れた目が…泣いている?声も少し震えてない?
 その理由は瑞穂にはわからない。そして、なぜか今はその理由に触れない方が良いと思った。
 ただこの人が寂しい思いをしているのなら、力になれないかな?と静かに思った。
「実り…サトちゃんの胸元の果実のこと?」
 貴志の前で不器用になるにも、程があるぞ瑞穂。オジサンのような一言に、貴志は大きくため息をついた。

 悟志と歩く理美が小さくくしゃみをする。
 なぜか胸元に寒気が走り、思わず振り返る。
 瑞穂ちゃん、いないよね?
 なぜか瑞穂がじゃれてきたような錯覚を覚えた理美だった。

 公園を抜けると自販機とベンチがある。
 貴志はミルクティーを買うと、瑞穂に手渡した。
「ありがと」
 渡された小さな缶を瑞穂は両手で包み込むように受け取って、胸に抱いた。
 温かい。
 北村くんは、どうして私の飲みたいものがわかるんだろう。
 普段の小さな選択や、意識するまでもない小さな話題を、貴志はよく覚えていた。
 覚えて…くれていた?
 胸がほのかに温かい。ミルクティーがくれる温もりとは違う、小さな小さな温かい何か。
 キュッとミルクティーを強く胸に押し当てる。それは胸の中の小さな何かを抱きしめているようだった。
 その温もりが、心地良い。

「ねえ…少し、座って話せない?」
 瑞穂の提案に、貴志は黙って頷いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?