【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第29話-春、修学旅行1日目〜紗霧②

 修学旅行生であろう集団が占いを受けていた。その姿を紗霧は横目で見つめる。
 普段なら気にすることもないそんな姿を目で追ってしまったのは、「たかし」と聞こえた気がしたからだった。
 貴志なんて名前の男の子はどこにでもいる。会いたいから、聞こえてしまっただけ。
 そう自分に言い聞かせる。
 そもそも彼はあんなに長髪ではなかったじゃないか。
 その長髪の少年が、自分の運命の人だとは気づかないまま彼女は首を振った。
 長髪の少年の後ろにいた人物に至っては、顔を見ることができなかった。顔を隠すために身に着けた縁の大きな眼鏡と、雑に伸ばしてしまった自分の髪が邪魔だったのだ。
 そして彼女は何も知らないまま、初恋の…今も大好きな人との、すれ違いをしてしまったのだった。

 何度も地図アプリで検索していたから、その店を見つけるのは難しいことではなかった。貴志と二人で旅行誌を見ていた頃、「二人でいつか行きたいね」と言っていたスープチャーハンの店。
 結局一人で来てしまったけど、フクロウの木工細工が一緒にいる。左手でフクロウを握りしめ、右手でドアを開け、紗霧は店に入るのだった。案内された席が、つい先程片付けを終えたばかりの「貴志が座っていた席」なんて事は、誰にもわからない事だった。
 スープチャーハンとジャスミンティーを注文する。
「珍しいね、同じ席で2回続けて同じ注文が入るなんて」
 店の女性が驚いている。まさかと思いながらも、そんな考えには首を横に振る。想い人の家から400kmも離れたこんな場所で、偶然すれ違うことなど起こり得ない事だった。
 注文の品を待つ間、フクロウを見つめる。あの林間学校で貴志からもらった、初めてのプレゼント。これさえあれば、少なくとも思い出の貴志くんとは一緒にはいられるのだ。

 林間学校の自由時間は、16時を迎えた頃に終わりを告げた。いつもは17時に流れる音楽が、今日は早めに奏でられ、生徒たちはそれぞれのテント前に集まるのだった。
 紗霧がテント前に戻ると、裕と貴志が火起こしを始めていた。
「ここをキャンプ地とする!」
 裕の一言に、「そりゃそうだろ」と貴志がツッコミを入れていた。パロディーは状況が違いすぎると、もはや言葉を真似ただけの悪ふざけでしかない。
 紗霧は黙々と鍋の具材を切り分けていった。隣に焚付を終えた貴志が並ぶ。
 焚付が終わったら、火を育てるのは裕に任せる。これも最初から決めていた事だった。
 エプロンを身に着け、エプロンのポケットから包丁を取り出すと、貴志は慣れた手つきで野菜を切り始めた。
「自分の包丁持ってきたの?」
 貴志が毎日家で夕飯の準備をしていることは、以前に裕が話していたので、紗霧も知っていた。しかしまさかマイ包丁を持参するとは、予想外の出来事だった。
 予想外はもうひとつあった。貴志の手際が物凄く良いことに、素直に驚いた。野菜を切り終わると、今度は豚肉を、包んでいたラップの上で切り始めた。
「この方がまな板を洗うのが楽だから」
 ラップの上で切ると滑って切りづらいのだが、全くそれを感じさせない手つきで肉を切り分けていく。
 貴志が丁寧に鍋に食材を並べていく。見栄えも良い。盛り付けに至っては、紗霧もじっと見ているだけだった。貴志の邪魔にならないように、見ていることしか出来なくなっていたのだ。
 とても家庭の事情で、仕方なくやっているような手つきには見えなかった。
「凄いね。これだけ出来るようになるの、大変だったでしょう?」
 紗霧の感嘆の声に、貴志はいつもの涼しい笑顔を…返せなかった。顔中の筋肉という筋肉全てが、緩みきっている。貴志は慌てて紗霧に背中を向けてしまうのだった。
 今しがた切り終えた豚バラ肉よりも顔が赤い。きっと今なら裕と火起こしを代わっても、熱さを感じないんじゃないか?そう思うくらいに顔が、熱い。
「どうせやらなきゃいけないことなら、喜んでもらえるものを作りたくて」
 もはや貴志には謙遜する余裕も残されていなかった。紗霧に褒められた事が素直に嬉しくて、嬉しすぎて、どんどん盛り付けが派手になっていく。
 最後に出汁を流し込んだ時には、鍋の中央に豚バラの花が咲き乱れ、その周りを野菜のリースが包んでいた。
 火にかける前にと、女子たちが黄色い歓声をあげながら、写真を撮っている。紗霧もこれはさすがに右に倣えで写真を何枚も撮ってしまうのだった。

「プロやん!」
 火起こしを終えた裕が。鍋の盛り付けを見て驚愕する。紗霧も頷いている。首を縦に振りすぎて、頭が外れて転がってしまうんじゃないか。そう思うくらいに、何度も何度も頷いていた。
「正直、料理は負けないって思ってたけど…」
 最後の言葉が声にならなかった。食べる前から美味しいのだ。見た目だけでご飯のおかわりができそうだった。
「北村くんの彼女になる人は、幸せだねえ」
 思わず心の声が漏れてしまった。貴志の料理が上手いことへの言葉ではない。
 喜んでもらいたい気持ちを込めて、ご飯を作ってくれる。そんな人とずっと一緒にいられたら、どんなに幸せなことだろう。
 気がつけば紗霧の顔も、うっすらと赤く染まっていた。落ちかけたオレンジの日差しが上手くごまかしてくれている。
 いつか北村くんに頼ってもらえるような人になれるかな?そう思うと胸が熱くなるのを感じた。

 鍋を火にかける。煮立つまでの間はテーブルを囲んで談笑の時間がやってくる。
「残りの食材で作ってみたから食べてみて」
 紗霧が大皿に盛り付けたサラダを提供する。貴志が鍋を盛り付けている間に、こっそりと作っていたものだ。鍋の調味料を巧みに組み合わせて、ドレッシングも手作りしている。
「美味しい!こんどレシピ教えて!これ作りたい」
 一口食べるなり貴志が、声を上げた。自分の料理が貴志の口に合ったことにホッと一息。女子たちは貴志の顔しか見ていないので、その仕草に気がついたのは裕一人だった。
 
 キャンプ用の鉄鍋なので、たき火調理といえど煮立つまでにはかなりの時間が必要だった。オレンジの夕日は沈み、空は月明かりの蒼に染められていた。
 今度は貴志が息を呑む番だった。坂木さんは自分の料理を喜んでくれるだろうか…。
 取り皿を一人ずつ手渡していく。その皿はそれぞれポン酢がバラバラの量で注がれていた。
「味付けをかなり薄く仕上げたから、これでみんなの好みの味になると思う」
 どうやら貴志は、全員の好みの塩加減を把握しているらしい。取り皿いっぱいに取り分けられた熱々の鍋料理。それはすべての食材が見事に調和して、ひとつの銀河が広がっているようだった。
「うま!」
 陽気でおしゃべりな裕がその一言しか発せずに、一気に更に中身を胃にかきこんだ。
 一言も発しなかったのは紗霧も同じだった。もはや「おいしい」と言う時間すらもったいない。出来上がりの一番いい状態の一皿を無心で平らげていた。
 取り皿が空になって初めて、紗霧が歓びのため息をつく。
「こんなの毎日でも食べたいよ〜」
 普段大人びている紗霧の、中学1年生らしい一言に、男性陣はハートを鷲掴みにされた。貴志に至っては大人しく座っていられなくなって、キャンプ椅子の周りを意味もなく3周ほどぐるぐると歩き回ってしまった。
 あのまま座っていたら「じゃ、じゃあ毎日食べられる関係になりませんか?」と口走ってしまいそうだったのだ。落ち着くために、コップを手に取り炭酸水を一気飲みする。
 強炭酸の刺激に、喉まで出かかった言葉を無理やり飲み込む。そもそも、そんな言葉を発する勇気など持ち合わせてもいないくせに。
「薄味に仕上げたのは理由があるのですよ」
 鼻息荒く、貴志が得意満面にエプロンポケットを探る。
「はい、トマト缶〜」
 国民的アニメの猫型ロボットを真似て取り出したのは、カットトマトのパック詰めだった。紙パックだが、トマト缶の方が認知されているため缶と呼ぶ。
「これを入れて、トマト鍋にして…。
 うどん投入っと」
 乾麺のうどんを放り込み、丁寧にまぜる。鍋のスープを吸って茹で上がっていくうどん。やがて鍋にはもちもちの生パスタ状の太麺が仕上がっていた。
「パスタはキャンプ場にないから、味付けを薄くしたんだ〜」
 なるほどと、紗霧は両手を合わせるポーズをした。うどんは麺自体に塩を含むから、パスタと違い仕上がりの味が濃くなるのだ。それも計算していたらしい。
 トマトソースのうどんは、もちもちでフェットチーネパスタとはまた違う魅力があった。
 貴志の班は夕食もあっという間に終えてしまうのであった。
「美味しかった!ありがとう」
 食後の後片付けをしている時に、紗霧が礼を述べる。貴志の右手が一瞬強く握られたのが見えた。後から思うと、あれはガッツポーズのようにも見えた。
 また食べたいなあ。それに、北村くんにも私の料理を食べてほしいな…。
 林間学校の夜は、こうして忘れられない思い出に変わっていったのだった。

 貴志くんのご飯、美味しかったなあ。私も少しは腕を上げたんだよ。
 心の中で、フクロウの木工細工に話しかける。その気持ちを伝えたい相手がまさしく、今座っている席の、窓から見える道の反対側で、占いを受けている。そんな事、気がつけるはずもない。
 二人で食べたかったスープチャーハンが、配膳された。
 それを食べながら、さっきの修学旅行生たちが席を立つのを見守る。
 その中の一人が、山村裕に似ている気がした。しかし一番近づいてきた時には、メガネが湯気で曇ってしまい、顔が見えなくなっていた。

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