【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第56話-夏が来る〜受験も来る

 俺はもう恋なんてしない。夏が終わり秋が深まる頃、中学1年生の時、そう決めた。
 決めたはずなのに…。
 どうして、あいつは…。

 修学旅行を終えて、季節は初夏の色を呈し始めていた。
 全国模試を月末に控えていたため、1年半ぶりに本気を出してみた実力テスト。その結果が張り出される。
 クラス分けの公平性を担保するために公表されていた順位だが、最終学年では旗色が変わる。
 今度は進学校受験の模擬的な競争が校内で繰り広げられることになる。
 成績順で決まるクラス分けの4組にいる貴志の順位は…。
「すご!北村くん4位じゃん!
 1組でも飛び抜けてるよね!ね!ね!」
 貴志は瑞穂の賛辞にに顔をしかめた。キラキラと輝いた目で、瑞穂が大きな声を上げてはしゃいでいる。目立ちたい訳では無い。
 しかし好機でもあるか…。
「普段は手を抜いてるからな。手を抜いて4組なんだから、それ以下の奴らは学校を辞めたほうがいい」
 今度は瑞穂が顔をしかめた。言わなくてもいい事をわざわざこの人は…。
 ほら周りの皆、嫌な顔してる。
 瑞穂は貴志が意図的に周りから嫌われようとしていることを知らない。
 感情に蓋をしている程度の認識だ。それも間違いではないのだが、その理由もまた、瑞穂は知らない。
「感じ悪いよね。いるんだよ、ちょ〜っと調子が良かったからって、照れ隠しで毒吐く子供みたいな人が」
 ははん。大げさに両手を広げながら鼻で笑う瑞穂に、貴志は何も返さない。
 返してよ…。悪口を言いたいわけじゃないのに。
 寂しそうに瑞穂が唇を尖らせた。鼻まで伸びた前髪の奥で、貴志は瑞穂の表情をチラリと確認すると、そのまま無視を決め込むのだった。

 瑞穂の肩をバンバンと叩いて、裕が順位表を見上げる。
「貴志が手を抜いてたのは本当だぜ。オレもだけどな」
 裕の順位は26位。2組水準の成績となる。それを見た瑞穂の目がまん丸になる。
「カンニングはだめだよ〜正直に言いな、裕〜」
 信じられないとばかりに、瑞穂は裕に哀れみの視線を送った。
「クラス分けは成績順だからな。4組の連中が裕よりも上位に入るわけないだろ。
 カンニングはするんじゃなくて、される方だ」
 貴志は冷たく言い放つ。瑞穂は驚いた表情で再び裕の顔を見た。
「裕の全国偏差値は66だ」
 貴志の言葉に裕も続けた。
「模試の直前は、遊びすぎたからな。如月中学でこの順位が取れるなら、もう少し伸ばせたって、事だな」
 瑞穂の目がもっともっと丸くなる。見開きすぎて目がこぼれ落ちそうになっている。偏差値66って、遊んでて取れる成績なの?
「オレも元は1組にいたからな」
 いつも冗談を欠かさず、瑞穂と二人で馬鹿な事ばかりしている裕。
 あれ?私の知ってる裕じゃない。
「裕ってバカなんじゃなかったの?」
 瑞穂からの強烈な言葉のグーパンチ。あ、裕が涙をちょちょ切らせて泣いている。

 瑞穂の順位は、と言えば135位。5組水準となってしまった。偏差値で言えば57程度か。
 正直なところ伸び悩んでいる。
 北村くんと同じ学校受けるのは無理なのか…。瑞穂の顔が沈む。せめて裕と同じ学校くらいは…との希望もあっさり砕かれそうだ。二人共、自分とは成績がかけ離れていた。
「瑞穂は高校どこ受けようと思ってるんだ?」
 裕が不意に尋ねてきた。それを今悩んでたんだけど。
 瑞穂は首を傾げて答えを保留した。
「オレと貴志は師走高校のつもりだけど」
 
 裕が自然な流れで貴志の志望校を教えてくれた。
 師走高校…師走高校…どこだっけ?
 キョトンとした表情の瑞穂。そこに南原隼人が呆れた表情で現れた。
「福原の合格圏に一番近い進学校だよ。逆になんでピンと来ないんだ?」
 言ってから瑞穂が、この町に来て間もないことを思い出した。
 あまりにもグループに溶け込んでいたので忘れていた。
 隼人…グループに加わったのは君が一番遅いんだよ?
 ちなみに瑞穂の成績で、合格圏に一番近い学校を、正確に答えるならば皐月高校が正解だろう。
 今の瑞穂の成績で十分合格圏内である。
 しかし、隼人も厳しい受験を勝ち抜いてきた私学の生徒。大学進学を視野に入れるなら、高校の偏差値はそれなりに高い水準を狙う前提で考える。
「偏差値を5程上げれば合格圏内だ」
 赤髪ヤンキー隼人の口から、まるで塾講師のような言葉が吐き出された。

「理美さん凄いね!12位だったら1組の人より上位だね!」
 悟志の声に振り返ると、悟志と理美が並んで立っていた。
 修学旅行前に比べて並ぶ距離が少し近い。
「1組の人たちに悪いから小声で話そうね」
 理美は遠慮がちに言っているが、物言いは全く遠慮していない。
 だって当たり前の事だから。自分が4組にいるのは、貴志と同じクラスになるために、意図的に成績を下げていたのだから。
 心残りはある。受験でこの成績を出せていられたら…1年生の時に貴志と同じクラスになれていたかも知れない。
 静かに首を横に振る。
 貴志が初恋の人で良かったと心から思う。その初恋にはすでに手を振った。
 そして今、悟志が隣に立ってくれてるじゃないか。全部わかった上で自分を好きだと言ってくれる人が。
 彼にできること…。彼の初恋を、最高に幸せな恋にする努力をしてあげたい。
 如月中学校は3つの校舎棟に教室が分かれている。悟志とは玄関で一旦離れないといけない。
 不満そうな悟志に肩の高さで手を振って、理美はいつもの仲間に合流した。

「おはよう。なんの話ししてたの?」
 理美からの問いかけに、隼人が進学先の話題を出した。
 全員如月高校を受験する意向はないらしい。
「私は…弥生高校か、師走高校かな」
 悟志が追いかけてくるかも知れないから、公立高で最難関の弥生高校を目指すべきなんだろう。その後の進路を考えると、師走高校を受験する合理性はない。しかし…。
「じゃあみんなで同じ高校目指せるね!」
 瑞穂が満面の笑みで理美の手を握ってくるものだから、心が揺れてしまう。
「それもいいかもね…。瑞穂ちゃんも弥生受けよっか」
 その言葉を聞いた貴志が激しく手をばたつかせた。「無理!」とジェスチャーで雄弁に語る。
 偏差値を半年で15も上げるのはさすがに無謀だろう。
「偏、差、値…!じゅうご!」
 瑞穂が泡を吹き出したので、この話はそこで一旦終了となった。

 季節は夏の入口に差し掛かっている。受験と向き合う季節がやってきた。

 その日の放課後、貴志達は教室に残って雑談していた。いや、雑談というよりも…。
「瑞穂、ちょっと自習用のノート見せてくれ」
 裕の要請に瑞穂は首を傾げながらノートを取り出した。
 貴志、裕、理美の3人で内容をチェックしていく。
「福原…この勉強方法だと、成績落ちて当然だ」
 成績順位がひとクラス分落ちるとなると、理由は2つほど考えられた。
 ひとつは瑞穂が4月から全く伸びてなくて、周りがそれを追い越した。もうひとつは、瑞穂が如月中学校の授業についてこれず、本当に成績が悪化した。
「多分後者だ。今までの学校で習ってこなかった範囲が全然できてない」
 如月中学校は過密な日程で、中学3年間の履修範囲を、2年で終える。貴志たちにとって履修済の範囲が、彼女にとっては未知の世界なのだ。
「福原は勘がいいから、習った事をどう使うかの選択は出来ている。だけど、理解できていないことを自分で身につけるのが苦手なんだろう」
 瑞穂が額に汗をダラダラ垂らしながら、愛想笑いで誤魔化そうとする。
「高島さんから見て、瑞穂は伸びると思う?」
 裕が瑞穂の両肩に手をおいて、理美に振り返る。
 愛想笑いを浮かべながら、この場から逃げ出そうとする瑞穂を逃さないように力を込める。
 友達として…。なんて虚しい言葉だろう。肩に手を置いただけでこんなにもドキドキする。オレはやっぱり、瑞穂が好きだ。
「瑞穂ちゃんの地頭はすごく良いと思うよ。勘のよさって、そういうものだから」
 理美は真面目に答えているが、ここでイタズラ心を芽生えさせてしまう。
「本当に頭がいい人に、原理原則ごと教えてもらったら、案外弥生高校だって狙えるかもね」
 そう言って、ニヤニヤと貴志の顔を見る。
 前髪の奥で貴志が心底嫌そうな顔をした。このメンバーにはもはや、前髪のすだれなどまるで役に立たず、表情が筒抜けである。
「お前ら…まさか」
 裕と理美が顔を見合わせて笑う。
「おうよ!そのまさかよ!」
 裕が笑いながら、貴志の嫌な予感を肯定するのだった。

 こうして修学旅行の打ち合わせと称して毎週行われていたお茶会は、勉強会へと名前を変えた。
「北村くんと同じ高校行けるかも知れないの?やるやる!24時間勉強する!」
 いや、それは体に悪いぞ。
 それよりも意識していないと、そんなにも心の声がだだ漏れるのか、瑞穂よ。

 貴志は深いため息をついた。
 もう恋なんてしない。そう決めたはずなのに…。
 どうして福原は、俺なんかに…。

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