034.ものづくりの通奏低音を聴きとったペリー
幕末から明治にかけて、わたしたちが西洋の科学技術を取り入れようとする以前に、私たちの中に流れている通奏低音ともいうべき、ものづくりの発露と資質を肌で感じとった外国人もいます。
黒船でやってきたペリーは、3度の来日で見聞きした記録を「日本遠征記」としてまとめています。その中で彼は、日本人のものづくりの巧みさを目の当たりにして、以下のように報告しているのです。
粗末な道具を使いながら、巧妙な細工を仕上げる高い技能に驚きながら、ペリーは、日本が西洋の機械技術を学べば、やがて我々の強力なライバルとして台頭してくるだろうと書いています。江戸時代の日本人の手工業の巧みさから、現代の日本人の姿を予見したペリーの慧眼に驚きます。
ペリーは「日本遠征記」では他にもあちこちで、日本人職人の卓越した技術と工夫に驚嘆したと書いていますが、彼らの驚きは、単に仕上がりの巧みさ、工夫の質的な高さに対してだけではありません。
動物学者で標本採集に来日して大森貝塚を発見したエドワード・モースは、後に東大で動物学を教えながら日本各地を訪れ、日本人の生活ぶりをつぶさに観察・記録しています。
そして、貴重な著書をいくつか残しているのですが、『日本のすまい 内と外』(鹿島出版会)など著書の中で、モースは、日本の大工を見て、アメリカの大工と比較してこんなことを述べています。
さらに、日本の民家の調度や飾りがごてごて飾ったものではなく、質素でシンプルなこと、欄間の美しさなどを称賛し、
とのべ、洗練された細工が大きな都会の家屋だけにあったり、名の知れた作家によるものであったりするだけではなく、小さな農村の民家の中の小さな家具や道具についても、ひとつひとつの細部に、神が宿るような細やかな神経が注がれていることに驚いているのです。
そして、壁面一杯に装飾品を飾るアメリカの家庭とくらべて、日本の家屋では、家具も目立たないように配置し、装飾品もたくさんある中から一つだけを選択して季節や状況にあわせて表に飾る控えめさ、余分なものを徹底的にそぎ落した素朴なたたずまい、洗練された美しさに感嘆の声を上げています。
ペリーも、モースも、日本人のものをつくるという行為だけでなく、作られたものの扱い方、ものに対する愛情の持ち方、さらにはものをつくることを通して構築された文化や様式に秘められた背景をしっかりと見ています。
明治初めには、数千人のお雇い外国人が来日しています。そのほかにも、政治やビジネスなどで来日し、長期滞在をした人の数は、かなりの数にのぼります。
彼らの視点は、単なる物見遊山から学術的な深い考察まで、質的には玉石混交のようでしたが、なかには、ペリーやモースのように、当時の日本人の生活やつくられたものの中に、ものづくりの通奏低音を感じ取っていた人たちもいたのです。
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