見出し画像

ニュージーランドで出会った韓国人と結婚したけど、結婚20周年目前に離婚した話8

ダニ祖母への挨拶も無事に済ませ、日本に帰国。
実は、この呼び出されていた4日間の間に、私の母親は還暦を迎えた。就職・結婚して離れて暮らす姉兄は勿論、父親も仕事で帰って来られず、一人きりの誕生日となってしまう。それを伝えたけれど、『もう休みを申請した。今更日程を変えられない。そんな我儘を言ってくるなんて君は本当にselfishだよ。』と相手にしてもらえず、私の母親も『折角お婆さんのお蔭で話が進んでるんだから行きなさい。』と言うので、ダニーが指定してきた日程で韓国に行った。そしたら、家電は買わされるし、母親へのお土産やプレゼントの言付けも無し。後にダニ両親が還暦を迎える時に、あまりの待遇の差に呆れるのだけど、それはまだ数年後の話。

どのタイミングで韓国に移り住もうかとダニーと相談していると、ダニ母から『結婚式を挙げろ』との命令が下された。正直、マメ子もいるし、お金も勿体ないので、私は式を挙げるつもりは無かった。けれど、ダニ母が『式も挙げさせなかったなんて人様に知られたら困る!』とヒステリックに騒ぎ立て、式を挙げるハメに・・・。
しかも、【式は日本で】【ダニーの友人や親戚は招待しない】【ダニー側の出席者はダニ両親と弟のみ】の条件付き。理由は『日本人との、しかも何の地位も無いまめとの結婚式なんて、誰も招待できない。』からだった。
何だろう?いつの間にか、私はダニーに〈結婚してもらう〉立場になっていたような気がする。彼らの中でも、私の中でも、私の両親の中でも…。

うちは転勤族で、私は幼いころから2~3年おきに引越しを繰り返していた。ダニ母が『結婚式!結婚式!』と騒いでいた当時、父の転勤で引っ越したばかりだった私には、両親がそばに居てくれても、新しい土地で乳飲み子を抱えて式場を探すなんて余裕は無かった。結局、他県に住む姉が全て(本当に全て。会場もウエディングプランも値段交渉も日程交渉も全て。)手配してくれた。本当に有難かった。

2001年6月初旬、私はダニーと日本で結婚式を挙げた。式で私が流した涙は嬉し涙ではなかった。式に参列してお祝いしてくれた私の親戚や親友に囲まれ、『こんなに沢山の人を巻き込んだ。もう後戻りできないんだ。』そう思いながら、不安と覚悟が入り混じった何とも表現し難い感情の涙だった。
そして、私はマメ子を連れて韓国に移住した。
韓国人の友達は沢山いる。皆優しくて大好き。韓国料理も大好き。また、旅行で韓国に行きたい。でも、もう二度と韓国には住みたくはない。いい思い出よりも嫌な思い出が多いから。韓国には2年弱しか住まなかったけれど、韓国ドラマのヒロイン(ただし、救ってくれるヒーローはいない)になった様なエピソードがてんこ盛りだ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?