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ニュージーランドで出会った韓国人と結婚したけど、結婚20周年目前に離婚した話7

結婚の許可が下りた頃には、私は正直結婚するのが嫌になってきていた。
ダニ親は勿論、ダニーとの結婚生活に対して不安が大きくなっていたから。

出産当日、実家でダニーと二人きりの時に陣痛らしきものが来て、病院に行く前にシャワーを浴びる事にした私。『何かあったら呼ぶから声が聞こえる所にいてね。』と言ったのに、シャワーから出ると、浴室から一番遠い私の部屋でTVを点けたままグッスリ眠っていたダニー。

分娩室に入る前、夕飯が出されたけれど襲ってくる陣痛に中々食べられずにいたら、『食べないの?勿体ない。』とムシャムシャパクパク完食してしまったダニー。

出産直後の私に、『これでまめもアジュンマ(おばさん)だな。』と言い放ったダニー。
『お疲れ様』とか『ありがとう』とか言うもんじゃないの?確かに、韓国では年齢関係なく結婚して子供が生まれれば「アガシ(お嬢さん)」では無くなって、「アジュンマ(おばさん」になるのだろうけど、生まれた我が子を初めて胸に抱いて感動している私にかける言葉かな?しかも、当時の私は21歳(ほぼ22歳)よ? ショックすぎて忘れられない。

マメ子の健診の結果報告で電話をしても、興味が無さそうに話題を変えるダニー。

インターンとは言え、就職して少しは給料が入るようになったのに1円も仕送りしてこず、親には毎月給料の約1/3を渡していたダニー。

大学の友人は勿論、就職先の院長やスタッフにもマメ子の存在は隠していたダニー。

不安要素しかない・・・。
それでも結婚したのは、周りに迷惑をかけているから後には引けなかったと言うのもあったけれど、やっぱり好きだったからだと思う。惚れた弱みなのだ。何て世間知らずで馬鹿な娘だ。馬鹿まめ!

ところで、あれだけ反対していたダニ親が急に結婚を許可したのは、ダニ祖母(ダニ父の母親)からの鶴の一声だった。
どう言う経緯かは知らないけれど、ダニ祖母が私とマメ子の存在を知る事になり、満州育ちで日本語も話せて日本好きなダニ祖母は『何をしてるんだ!早く結婚させなさい!!!』と怒ったらしい。
ダニ祖母には逆らえないダニ両親。直ぐに、ダニーの就職先近所に私達が住むアパートを契約して、結婚を急かしてきた。
とりあえず、一度ダニ祖母に挨拶をしろとダニ母に言われ、マメ子を連れて韓国へ。用意されたアパートで3泊4日。あるのはダニーが使っている布団だけ。家具・家電は一切なし。
滞在中に連れて行かれたのは、電器屋街。日本で言う秋葉原のような所。生活に必要な家電を一式、私側の負担で揃えさせられた。 時間が足りないので、家具はとりあえず住み始めてからと言われ、次に連れて行かれたのは韓服屋さん。何故か、ダニーはマメ子と車に残るよう言われ、私とダニ親で店へ。 私のサイズを測り終えると何故かダニ親達も測定。
生地はシルク、ボタンは琥珀。と、どんどん選んでいくダニ父。見積書に書かれた数字は(全員分)日本円で160万円。とてもじゃないけど払えない。『無理です』と言おうとして直ぐにダニ母に遮られた。ダニ母は私を睨みつけ黙らせると、店員にニコニコしながら『他の所も見たいらしいからキープしておいてちょうだい。』的な事を言うと店を出た。
車に戻ると、ギャン泣きのマメ子を必死であやすダニーが見えた。時間がかかったので、だいぶんイライラしていた。私が全てを報告すると、ダニーはダニ親に向かって『そんな高い韓服必要ないですよね!』と怒ってくれた。
そんな小さな事がすごく嬉しかった。
ダニ母は不貞腐れながらも、『私達にだって自尊心があるのよ!別に払えないならいいわよ。自分で払うから。いい所のお嬢さんと結婚したと思わせたかったのよ。』と答えた。
私には理解できない思考だった。
私(ダニーも)は、彼らのこの【自尊心】にこの先何度も困らせられる事になるのだった。



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