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何の為に「組織」に属し、何の為に「組織」を成したのか|小さきアプリ屋の悩み

ある案件で問題が起きた。誰か助けてやれ。自業自得やん、助けへんわ。じゃあ、俺が助けてやる。甘やかすな、自分で責任を取らせろ。

私が過去に転々としてきた小さな企業である数社は、どこもこれが会社の判断で、「個人的な感情」が判断の基準で、それが当たり前だった。

私は絶対にそれは間違っていると思っていて、何の為に「組織」に属しているのか、何の為に「組織」を成したのか、そこに「個人的な感情」が入り込んだ判断が発生した時点で、「組織」ではなくて「サークルレベルの稚戯」にしか思えない。

昨日の記事でも書いたが、年商500億円に迫る会社に勤めていて、そのシステムは素晴らしかった。「個人的な感情」なんか入る余地もなく、然るべき人材が問題の案件に投入され、決められた役割を担い、速やかに問題解決に向かっていく。そのようにシステム化されている。「個人的な感情」で文句を言う人間は勿論いる。だが、文句を口にするだけで、行動は問題解決にきちんと動いている。会社がそういうシステムにしたから。

それが「組織」に必要な機能で、だからこそ「組織」の意味があると思っている。

アプリ屋として開発していても、個々の感情で動くエンジニアが多くてトラブルに繋がっている。個人エンジニアたちに、ただ場所を提供しているのが「組織」だと思っているのだろうか。自分にできないことがあればヘルプを求める、自分にできることがあればヘルプに動く、その判断は個人個人ですることではなくて、自主性に任せていることではなくて、組織的に当たり前に行うものだ。

「自業自得だ、責任を取らせろ」

一人の人間として、無責任な行動を許せないのはよく分かる。ただ、それは「組織」の行動基準にはならない。してはいけない。その一人の評価に影響するだけで、「組織」の行動と「個人」の処分は全くの別だ。

「組織」はそれを成り立たせるために、存続させるために、競合他社と戦う為に、助け合って、手を取り合って、カバーし合って、業績を達成する。「自分の責任だ」と思い込んで、黙々と一人で問題解決しようとして、大問題に発展することもある。「自分の責任」かもしれないが、その問題は個人の問題ではなく、組織全体に影響する問題だから、組織として解決する。「自分の責任」だから、そいつが自分で解決しなければならないというのは、「自惚れ」でもあるのかもしれない。それは間違っている。「組織」の中で起こした問題は、「組織」の問題と同義であり、「組織」で解決しなければならない。そうでないなら、「組織」に属する意味がない。

個人で、フリーランスで、自己責任で活動すればいい。それを何故しないのか?

「組織」の力が必要だからだ。だったら、「組織」に属していることを自覚しなければならない。それがどういう意味なのかを。上も下も。

なので、吉本興業の社長が、個人の感情で、契約解除を決定したり、それを撤回したり、組織のトップとしてあるまじき行為で、そして、タレントが、個人的な罪悪感で、会社の考えを否定して会見をすぐにやらせろと駄々を捏ねるのも、組織としての自覚が足りない。

組織として、問題解決のプロセスを決めずに、その場その場で感情を判断基準にしていれば、このような双方の食い違いから発展する問題が起こるのは至極当然で、加藤浩次が「辞める」と言い出してしまう事態にもなってしまう。私は実際、感情的な社長と対立して、そうやって数社を転々としてきた。多くの社員が社長に反発して社員がいなくなり倒産もした。組織だと思っていたものは、社長の感情の産物だったということだ。

何の為に「組織」に属し、何の為に「組織」を成したのか、「組織」とはどうあるべきなのか、改めて考える良い機会ではないだろうか。

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