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父になり、もう一回チャレンジしたい。

しばらくぶりの文章。
いつも決まって文章を書きたくなるときは、頭の中が整理されてない時、
だからこれを書くというきまりなく、ダラダラとした長文になることをお許しください。

9月に家族が増えました。とっても元気でかわいい男の子です。
毎日が新しいし、当たり前だけど毎日成長します。そんな息子を見て、あぁ自分は大人ぶって一日の中から吸収することを忘れてしまっているなぁなんて思っちゃったりもしますし、
いつまで経っても肉体の年齢しか上がっていかない自分が「父」という固有名詞に対して内心ちょっとビビってたりもします。

今現在、請け負っているお仕事もやりがいあるものばかり。
相変わらず、仕事に追われ、わちゃわちゃしている日々を送っている中で
産前のイメージを優に超えて
子供ができたことで家族の生活の変化も実感している日々です。

そんな中ですが神奈川県主催の第1期おだわらチャレンジプログラムに申し込み、採択をいただきました。このプログラムは小田原市のコワーキングスペースを利用しながら地域の人や資源とコミュニケーションしていくことでゆくゆくは起業に向かうような内容になっております。
私自身建築設計が生業です。
建築設計は一般に請負業で、仕事が継続的に続けば設計事務所設立し、独立するルートがマジョリティなのかと思うので、業界内では起業というとあまりイメージがつかないリアクションも想像できます。

なので、
何故それを申し込んだかのandそこで何をやりたいのかを整理できればと思います。今の自分自身を知るため、恥を晒してでも客観的にみるため、できる限り正直な言葉でアウトプットしてみます。

僕自身、現在31歳になりました。一番やりたいことはまちにヒントを与える建築設計です。建築が大好きで、街中でのついつい建物に目が行ってしまうくらいに建築オタクにはなりましたが、いわゆる建築士の資格もない。
絵も得意じゃない。模型やcgも人並みです。こうして列挙してみると少し落ち込むくらい人より突出するものなんてないのです。

"何が得意だろうか、何ができるだろうか"と考えたところ
「ストーリーをつくること」は少し得意なのかもしれない。

ストーリーと建築は何か関係があるのかと一瞬思いますが、建築のデザイン自体がその場所や人、地域資源の中でどんな役割を担うのかをいつも考えているような気がします。
あえて先ほど建築設計の前の言葉に"まちにヒントを与える"と付け足したのは建築のデザインが建築物単体で完結するのではなく-何か広がりを持ってまちに良い影響を与える-そんな建築をつくりたいと常々思っているところなのです。そしてそれが一番やりたいことです。
(何の建築物が好きなの?と聞かれると実は答えに困ってしまうのもきっとこの理由でデザイン単体で語るのがあんまり好きではないのです)

そしてそのストーリーにつくることは僕にとって建築をつくることと同義なのかとも思っています。

そしてその事と起業が何故リンクしたのかを3点ほど理由として書き出したいと思います。

[一つ目:建築家として]一番やりたいことと、"請負型の建築設計"は少しずれているから最終的には自分の建築がまちにどう寄与するかもデザインしたい

一般に建築設計は請負型で土地、予算、建築設計の諸室の条件、設備のスペックなど発注者の発注内容に沿って進めていくことが大半です。建築設計者は事業者ではないため頼まれる内容についてはほぼ素人同然、多くの与条件が細かく設定があった方が設計はしやすい場合が事多いです。ですが事業の大事な核となる、どの場所で実行するか、など設計以前の話でも本来であれば設計者が関与すべきフェーズであったりします。とはいえ設計者がそこまで関与できないことの方が多いのが現実かと思います。
建築自体を<ナカミ>と<カタチ>に強引に分けるとすると、理想だけいうと<ナカミ>もデザインしたいからということが僕自身のモチベーションです。
"この場所にこんなのがあったらいいのにな"そんな初元の想いを実現したいということがあります。それゆえに単純に請負だけではない"自ら事業者になる"ことも長い設計者人生で一回はあってもいいのかと思っております。

[二つ目:31歳の自分として]目に見えないもの、日々移りゆくものから学ぶことが多くなった。

20代はとにかく仕事に没頭し、コンビニで始まりコンビニで終わり、時たま自宅に帰らずにカプセルホテルに泊まったりと衣食住をつくるお仕事にも関わらず自身のそのの時間は時短することでなるべく多くの時間を仕事をすることが日常と化しておりました。いわゆる都市生活ならではの生活を外部化しながらスピーディーな情報が漂う渦に身体ごと飛び込んでいるようなそうした感覚でした。

そうした日々を送っている中、
2年前になりますが自宅のリノベーションを設計している時はまさにコロナ渦真っ最中、ほとんどの方が在宅勤務になったころと重なる時でした。
その時に今まで時短をしていた衣食住の時間が取り戻せたことが今の自分に大きな影響があったと思います。

自宅の周辺の日中の風景がなんとも豊かな表情をしていることを恥ずかしながら在宅勤務という状況下で初めて気がつき、
仕事で学んできた20代を境目に、身の回りの移ろい、目には見えない事物からも学べることも多いんだと感じる萌芽が30代にして初めて生まれたきっかけかもしれません。
そしてその感覚を大事にしてこれからどう言った場所に拠点があれば良いのだろうと考えている中で僕自身、東京で育ち多くの好きな街もできましたが、
最近はより自然が多い居場所もあってもいいなと感じるようになりました。
もちろん、今現在住んでいるところも近くには多摩川もあり、魅力的ではありますが
元々友人と一緒に設計事務所を開こうと話していて、たまたま友人の実家近くだった相模湾・酒匂川・大雄山と海も川も山も揃っている小田原に不思議なご縁を感じ何かチャレンジができればと思った次第です。

[三つ目:父として]人と自然の中で子育てしたい
冒頭でも触れましたが子供を授かりました。
家族の中でも大きな変化があり、妻は産休を取り子供に付きっきりの日々、
一方僕は大部分の時間を仕事に残ったで家事育児をする。
家族のまとまった時間が中々取りづらいところも感じております。
そしてそうした世帯自体に世の中は優しくないとニュースでの報道にやっと自分ごととして捉えるそうした心象の変化もあります。

妻と僕は同じ東京育ち。とはいえ全く違う環境で育ってきました。
妻は品川の商店街で街ぐるみとは言い過ぎかもしれませんが、色々な人間関係の中で育っていき、僕はといえば郊外の人付き合いの無い核家族での生活で育っていきました。もちろんですがたくさんの人達の中で生きていけばそれだけに多くの価値観に触れることになるかと思います。
そういった点で妻がとても羨ましくもあり、
僕自身のできることでそういった場所ができると何か次の生きる目標が見えるようなそんな半ば自己満足なモチベーションですがそうした気分になってきました。

そしてそういった場所が人もそうですが、自然の中で大きく学べる場所であれば幸せなことだと思っている次第です。



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