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冬休み明けの思い

 冬休みが明け2週間。肉体的にも気持ち的にもしんどかった。なので、どうして教員をやっているのかという思いを言葉にして、モチベーションにしていこうと思う。

 高校時代まで遡って考える。高校生の時は、部活で精神的にしんどい思いをしていた。部活は一生懸命やっていたつもりだが、苦しいことばかりで辛かった印象が強い。納得のいく結果は出なかった。そのような部活をメインに過ごし、授業中は睡眠に費やし、勉強はまったくしないで過ごした。そして、高校3年受験シーズンになると、案の定、行ける大学は所謂Fラン大学ばかりであったし、就職する気もさらさらなかった。それなりにショックは受けつつ、でも、そりゃそうだよなという思いもあった。
 その時期に漠然と、自分なりにちゃんとした大学(国立・有名私立)には行きたいという思いと、このまま部活も不完全燃焼・勉強も中途半端なまま次のステージに行く人生は嫌だなという考えがあった。なので、浪人を決断した。親にも「すみません、浪人させていただきます」と言った気がする。
 
 浪人時代の目標は、自分の限界まで勉強をし、その上で行ける国立大学に行くということであった。理由は、家庭の経済状況、自分なりにちゃんとした大学に行きたいという思いがあった、ということである。浪人しながら改めて学部選びをしていた時、漠然と自分は人文系の勉強に興味があり、かつ、将来的に困らない資格がとれる教育学部がいいんじゃないかと思った。また、部活を通して、後輩に何かを教えたり、仲間から慕われたりすることが好きだった。学校が好きだったというわけではないが、それまで出会った先生方もいい人が多かったので、なんとなく教育学部に行こうと決意をした。それで、普通に浪人生なりに勉強をし、国立大学教育学部に合格することができた。すごい達成感があったが、長くなるのでそのことについては省略する。

 そして、念願の大学生活。思いとしては、自分にとって通常ありえないルートなのだから、とにかくいろいろなことにチャレンジしようという感じだった。大学3年からのゼミ選択で、教育哲学のゼミを選び、そこから地獄の大学生活を送った。大学生活を通して経験的に感じたことや自分の人間性への影響は、多大にあったのだが、長くなるのでまた省略する。ゼミを通して、斎藤喜博など著名な先生の実践(教育観?)を学び(感じ?)、教員って面白いんだなと思った。教育実習でも、子どもとかかわるの面白いなと感じた。しかし、一方で教員は能力的に自分には無理だな、労働環境も劣悪で嫌だなと思っていた。なので、就活して民間に行こうと思ったのだが、ゼミにくらいついていくうちに、考える気力や就活への気持ちがなくなり、しかたなく何もせず教採を受けた。全然教員やりたくないなと思っていたけど、親や周囲への体裁を気にして受けた。結果、採用試験は落ちた。なんとか大学は卒業できた。
 ゼミを通して何を学んだのかはよく分からなかったけれど、自分なりに得るものはたくさんあったと感じている。それで、大学卒業が迫り進路を考えている時、臨時教員の申し込みの用紙を大学や教委から渡されたので、就活をするエネルギーはないし、テキトーに書いておくかと思って書いた。そうしたら、臨採の連絡がきたので、流れに乗って現場に出た。
 当時は、臨採で1年やってみて無理だったら教員をやめようと思っていた。実際、やってみたら将来に希望をもてなくてやめよう思ったのだが、臨採時代に受けた採用試験に合格し、周囲(学年主任や教頭、校長、友人)に相談していくうちに、もう正規でやってみるしかないかという思いになった。

 そうして、いろいろな経験をして、現在に至った。ここまでいろいろ入り組んだ思いを書いてきた。書いているうちになぜ教員をしているのかということに対する自分の思いがまとまってきたので、言語化する。大きく分けて2つある。

 1つ目は、自分なりにもっと勉強したいということである。高校時代、納得のいく勉強をしなかった。浪人をし、ドーピング的に知識を詰め込んだ感じである。だから、自分の中に、高校時代までの不足分を補いたいという思いがある。また、大学のゼミを通して、自分はなんて無知なんだろう、それまでの自分の生き方そのものを否定したいという思いをもった。そうした高校時代・大学時代の満たされてない部分がトリガーになって、もっと勉強したいという気持ちがある。ここでいう勉強とは、学校で学習する知識のことである。教員は、教材研究や子どもとのかかわりから、自分の足りない知識を学び直せるチャンスがある仕事(それが主となる?)だと思った。

 2つ目は、「生きた」「生の」経験ができるということである。文科省の言う「生きる力」は、勉強不足でよく分からない。しかし、現場で教員をやっていると「生きた」「生の」という言葉の当てはまる出来事にたくさん遭遇する。例えば、児童が「〇〇が嫌だから~した」と泣き泣き白状することがある。これは、その児童が涙を流すほどの思いをしながら口にした「生きている」言葉だと感じる。また、実技科目の印象が強いが、田植えを行う、のこぎりを使う、調理実習をする、人と対話をするなど、どの授業においても「生きる」力につながる活動を行う。そうした中で、教員である自分も楽しいとか辛いとか感じながら、子どもの活動や思いのそばにいることが面白い。
 子どもを見たり、その思いを聞いたりしているうちに、自分はどうかな、子どもの時どうだったかなど、考えていく。つまり、他者を見ることによって、自分を見ることができる。反対に、自分のやり方を改善すると、子どもの動きが変わることも多い。例えば、学級経営や授業で新たな技術を身に付け、試してみると、子どもが生き生きすることがある。そうした場合は、他の何か(先輩、教育書、授業、実践、研修)をきっかけに自分を見ることで、(新たな)他者を見ることができる、ということである。これらも、教員である自分の「生きた」「生の」経験からくる出来事である。

 いろいろきれいごとのように書いたが、現実的には、そんな単純なことばかりではない。(自分次第ではあるが)全然「生きて」ない、「生」じゃないこともたくさんある。労働時間が長すぎて嫌だし、仕事が多くて嫌だし、休日もちゃんと休めなくて嫌である。そんな中、臨時含めて、教員として1年10か月仕事をしてきた。
 感覚としては、周りの人や環境に恵まれ、ほとんどまぐれでできたという感じである。受けもっている子ども達は良い子達ばかりであるし、同僚も良い人ばかりである。自分は、教員としての技術や力量は全然なく、ほんとうにダメだと思う。
 自分のモチベーションのために言うのだが、一方で、まぐれで1年10か月も学級をもてないとも感じている。もちろん、周りの教員や子ども達がたくさんサポートしてくれたり助けてくれたりしているからなのだが、そういうところも含めてまぐれでは成り立たないのではないかと思うようにしている。
 自分なりに一生懸命くらいついた結果が現在の状況なのだから、しんどいからといって気に病むだけでなく、自分に実力つけるにはどうしたらよいか考え、自分なりに勉強を続けるしかないのだと感じている。浪人・大学4年・臨採時代と、何度も教員ルートから逸れようと考えているし、今、教員をしているのが個人的には通常のルートではない。だから、そもそも自分は教員をしているはずがないのだから、それでも教員にチャレンジしているのがおかしいのだと開き直っている。でも、開き直るだけでは、子ども達に申し訳ないので一生懸命にやっている。一生懸命にやりながら、自分が辞めないで教員をしているという価値を考えるようにしている。
 現状、学校で学担が一人いるのといないのとでは、全然違う。また、ここまで関係を作ってきた上で、担任がいるのといなくなるのとでは子どもにとって全然違う。これまでは、子ども達からの信頼を裏切ったり、学級を崩してしまったりするのを恐れ仕事をしてきたが、残り2か月のこの時期になれば、崩れようがなんだろうが次の学年につなぐことが大事である。だから、自分はいなくなってはいけないと思いつつ、うまくいかないところは悩みつつ、気に病みすぎず、やっていく。

 なんだかんだ子ども達のことが好きだが、現状の仕事ぶりに満足できていない。しんどいし、イライラするし、ダメである。しかし、思考を止めて中途半端に仕事をするのが一番良くないと思っている。いろいろ考えて、自分なりの思いを整理しつつ、自分にできることを最大限できるように努めるのが大事だと感じる。なので、なんとか食らいつき、次年度につないでいく。そうして、この文章自体が今の自分の「生きた」思いであると思うので、また読み返してがんばりたい。

 最後に1文付け加える。最近、河合隼雄の本を読んでいて今の自分にリンクした言葉があり、すごくすっきりしたのでその言葉を書いておく。
「個を通して普遍に至る」

 
 
 

 

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