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Cohortが合わない

大学院の同じprogramの子たちは、同じことに興味を持っているわけで、アメリカでそうだったように、たくさん仲間ができるだろうな、と楽しみにしていた。
ところがどっこい。1日目からsignはあり、1週間経つ頃には怒り心頭で、その後距離を置くことになっていた。


動機

分野に興味があって勉強がしたいから、ではなく、仕事が見つからなかったとか、visaが取れなかったとか、ほかの理由があって来た人が複数いた。
こちらは海を越えて来たと言うのに!と思った。

積極性がない

Orientation weekが終わり、始まったclassに行って、思った。
なんか、話すことが変わんないなあ…What's your name? Where are you from? で終わるんだよなあ…話しかけてくれてもいいのに、curious, outgoingではない人たちなのかなあ。前に話したんだから、向こうからあいさつしてくれてもいいのになあ。

Graduation ceremonyやpartyでも、知らない人や先輩たちに話しかけず、cohort同士だけでつるんでいるのを見て、私は腹が立った。

同時に、私もこの人たちには、興味ないんだよなあ…話しかけたいとか、好きだとか思ってないよなあ…というのが事実だった。

賢くない

Welcome week前のpicnicのときからそうだけど、大学のadministrationがなってない!ProgramがEurocentricだ!と、文句が多かった。

Chat groupができたのだけど、そこに挙がるのは、student cardもらった?Registerした?まだできないんだけどどうなってんの?明日のclass何時からだっけ、どこだっけ?と、事務的な質問ばかりで、うんざりだったので、早々にMuteにした。

Classでの質問も、確認ばかりで、非常につまらなかった。
Programとして、すべてにおいてcriticalであれ、という教えがある。Criticalというのは、critical thinkingとよく使われるように、そのmessageを発した人はどんな意図があるのか?と考えること。それ自体は問題ないはずなのだが、それがなぜか"すべてに悪態をつく"になってしまっていた。
Discussionでも、"重要な問題はそこじゃない"とか、"その定義は?"とか、くだらない話ばかりで、メインテーマに入っていかない。勘弁してくれ…と思えば、discussionの回はあまり来ている人がいなかった。きっと同意見で、行く価値がないと思っているのだろう。

私はプレゼンに慣れているし、大好きなのだけれど、まわりが全然慣れてないし、練習もしてないのはばればれだった。予定の2倍の時間がかかった上に、"talk and talk and talk and just say nothing"で、喋り続けているのに何を言っているのかわからない。しかもこの人は私よりも年上で、仕事もしてきたのだからなおさらだ。そして、classmatesのプレゼンを見ていると、このprogramで何も学んでいないのは私だけでなく、こいつらも同様なのだな、と思った。

プレゼン中のreactionはといえば、アメリカではうなづいたり笑顔になったり、音も出してくれるのだが、この人たちは一斉にこちらを見ていた。Reactionsを見ながら、思った。これは日本と同じではないか、と。
私はこの国を出たのだ。だから、こういうのは、もういいのだ。。。
つくづく私は、unusual/atypicalなのだなあ、と思う。そのあとの質問もやはり超つまらなかった。

私がひとりでやって褒められたこのプレゼンが、あとでプレゼンをしたclassmatesに影響を及ぼしていることは、見ていてわかった。

英語ができない

そうして、あるとき気づいたのだった。
このprogramのTOEFL requirementは低い。アメリカのいい大学院に入るなら100点は必要だろう(私は超えている)けれど、ここでは79だった…それが諸悪の根源であることに。だから同じ国や言語の人でつるんでいる。議論もできない。先生たちもnative speakersではなく、英語が変。

アメリカに来ている子たちは、英語ができるようになりたい!という意欲もあって来ていたけれど、こっちはそうじゃないらしい。日常的にinputもない(だから私の英語も向上せず、良い言い回しを覚えない)。アメリカに留学する人材と、EUの安い大学院に行く人材の差もあるのだけど、それは別記事にて。
Program外の人たちは、ますます英語ができないので、めっちゃ聞き返される(特にフランス語の人たち)。Native speakersには聞き返されないし、アメリカでもそんなに聞き返されたことはない。私の英語が悪いんじゃない。相手の理解力が低いのだ。

批判できるご身分

学生ってこうなんだなーと思うんだけど、他人事なんだよね。みんな馬鹿じゃないし、一生懸命やっているんだけど、そうじゃないと思っている。自分も問題の一部であることや、なんでstatus quoなんだろう?自分が同じ立場だったらどうだろう?という視点が欠けている。
そうして好きなだけ批判したあとには、楽しく飲んでおしまい。あるclassで卒業したらどうする?と聞かれたときにも、私はdream jobを答えたけれど、それ以外は全員わからない、と答えていた。初めは関係ないと思っていたけれど、冷静に考えれば、10年の人生経験の差は大きい。

利用される

Orientationのときに、programを良くするため、student representativesという立場の人が、定期的にfacultyと連絡を取る制度があると説明を受けた。いわば、学級委員?
その時からやりたいなと思っており、後日group chatで聞いてみた。
「Class Readingをやってるところだよー。ところで、立候補してもいい?」

「希望者はメールするんじゃなかったっけ?」という趣旨の反応が来たあと、class readingに関する質問が立て続けに来た。そして、翌日は案の定、Hi, how are you, how was your weekend? も何もなく、So the reading!と聞かれた。話す気にもなれなかったので、ひとりにはわからんと言い(どうしてその前に雑談していた同郷の人に聞かないのか)、もうひとりは無視したところ、席を離れていった(利用できないなら意味ないってか)。

後日、正式に決めてね、と依頼が来た時には、私が言ったことは全員が忘れていた。合わないcohortなんか代表したくねえ…と思ったのも事実だったので、"もうやる気なんてないけど、私はずっと前に立候補したし、その時はとても傷ついた"、と伝えた。
ちなみにほかに立候補したひとたちは、"大学のcommunicationがなってない、事務手続きがなってない"という主張で当選していた。このレベルの低さが受けるのであれば、I'm too good for them, である。

こうして、何度か、イライラするやり取りがあった。

私の選択

Cohortは、言うならば、Queer Marxist hippiesであった。合わねえ…と私が思っている間に、cohort同士は仲良くなっていた。

アメリカでは今のclassmatesと同じ国から来た人たちと問題なく仲良くしていた。同い年の人たちも、働いてから来た人もいる。なのに、なぜか合わないし、仲良くなりたいとも思えなかったことは、ショックだったし気になった。何故?と考えても、housematesやほかの友達、1年上の人々、Erasumusで来ている子たちとは問題がないので、やはりこのcohortが悪いという結論になった。

ここで重要なのは、こんな環境で、私自身がどうするか。
一連のイライラと合わないと、自分を責めることを経て、合わないものはしょうがない、賢くない人はすぐに賢くはなれない、と受け入れるに至った。
以来、Cohortの集まりには一切行かず、話したい人もいないのでclassでは離れて座り、終わったらすぐに家に帰り、つるまないことにした。

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