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アメリカとジムと私

私は運動神経が良いタイプではなく、中学では”体育は4、ほかはオール5″だったし、人並み以上にできる運動といえば柔軟(マット平均台)くらいだった。体育自体、苦手な子にはつらいものだと思う。毎年同じ競技をやるものの、成果は目に見えない。足はいきなり速くならない。速くなる方法も教えてくれない。チーム戦だと足を引っ張って申し訳ない。運動会の日は雨で中止になってほしいなと毎年思っていた。(ちなみに都庁に入ってから水泳を半年間習ったけれど、上達しなかった。)

そんな私がジムに通うようになったのは、もちろんアメリカに行ってからのこと。アメリカは日本よりもジムが浸透しているというか、浸透するのが早かったし、安いし行く人が多いと思う。そして、よっぽど都会に住んでいない限り(都会ほどたくさんジムはあるのだけれど)、基本的に暇なので、それで通い始めることもある。もちろん健康を意識しているのは前提で。私のまわりにはあまりいないけれど、”細いとバカにされるから”という理由で鍛え始める日本の男性もいる。


アメリカ大学での体育

大学の体育はPass/Failで、成績はつかなくてただ3単位分取ればいいものだった。日本ではテニスとかやるらしいが、私がNYで取ったのはAerobics, Tai Chi, Pilates(各1単位)。Yogaは人気で満員だった。クラスではないが、当時友達に連れられて、Yoga in the Parkとか、$5 yogaとかに行ったのもこのころだ。今やyoga teacherだけれど、初yoga classがどこだったのか思い出せない。

この体育のあとに、女性専用ジムに通うようになった。大学にもトレーニングルームはあったのだが、噂によると本格的に鍛えている男ばっかりで、雰囲気もあまりよくなかった。女性専用ジムはアクセスがよくなかったので、週1程度でしか行けなかった。山本圭一さんの本を読み、運動する習慣がなかったので、アドバイスのとおり、強歩→自重バランスから始めた。この店舗は私がまだNYにいる間になくなってしまった。跡地はいわゆる質屋になった。

キャンパス内のジム

State Collegeはmiddle of nowhereと言われる、大学しかない町なので、やはり学生はgymに行くのが普通だった。ここでもやはり、health centerで無料のyogaがあったし、gymは3つある上にクラスも夜まであって、学生なら1学期(4か月)$50だったので、あまり思い出せないけれど通っていた。

大学卒業後、大学院前の夏の帰省中、焼き肉を食べた後の体重にぎょっとし、きちんと筋トレを始めた。当時近くに家族が住んでいたので、札幌ドームのトレーニングルームに行って(選手ではなく一般向け、現在は閉鎖)、メニューを組んでもらった。大きい筋肉を動かすマシンを6種類一周して、有酸素をはさみ、マシンをもう1周して、歩いて終わる、というものだった。これを1-2日おきのペースで繰り返していたら、着実に体重は減っていった。そのあとビアガーデンのバイトを始めたのでそれほど行けなくなってしまったが、アメリカでも続け、半年で6kg落とした。これからは友達に誘われてPower RemixというAerobics+danceにはまり、卒業後はgymが高くなったので1日おきに走り、というかんじで過ごしていた。

On campusでクラスを教えているのは同じく学生で、いわゆる体育専攻なる人たちだった。誰でもこのクラスをとれるのだが、”時間がとてもかかるので、1-2年生を強く推奨”ということで断念した。ただ、このあとも私が諦めきれていないのは、見ての通りである。

Bill the instructor

DCに引っ越す家を考えたとき、重視したのは駅・ジム・図書館・スーパーが近いことだった。近くのジムにGrouponで安く入れることを見つけ、引っ越し翌日には会員になった。ここはタオルが提供されているし、lemon/lime/orange waterも好きに飲めて、良い環境だった(ちなみにorangeは甘く、limeは苦いので、lemonがよかった。今でもlemonを凍らせていて、時々gymに行くときに作る)。何より家から歩いて10分だった。

たまたま最初に行ったクラスの負荷が軽く、全然動きもそろっていなくて蒼然とした。この町はyoung families/retireesという構成で、私のような年代は少なかった。そういうわけでここでも最初はマシンをやっていたのだが、あるとき”両手を広げて動きたい!”と思い、夜のクラスを色々試してみることに。Zumbaは軽すぎたけれど、筋トレやTurbo kickはなかなかだったので通い続けた。
このときに出会ったのが、gym instructorのBillだった。

Foam roller/lower bodyのクラスで、これが”筋膜リリース”との出会いだった。あまりハードなクラスとは思えなかったし、男性の名前なので"おじいちゃんがゆるゆるしたものを教えている"と思っていたので、しばらく躊躇っていた。だけど行ってみればBillは意外と若く(42)、内容も時間もよかった。Foam Rollerなんてやったことなかった!日本で主流になる前、2015年の話だ。Foam Rollerは、日本で一般的に売っているものより断然長い。日本でstretch poleというのをよく見るが、あれのもう少し円周が大きく、発泡スチロールでできているものを想像してほしい。(帰国前、スーツケースに入れるにはでかく、1荷物扱いになってしまうので、別に郵便で送った。大きいけれど軽いので、$50だった。)

Billはいじる人だった。とてもきつい動きをholdしているときに、”何にも感じない?全然平気?”と言うし、”つらかったら休んでいいよ”なんて口が裂けても言わなかった。そして、私だけがとても若かったので、70s/80s musicをかけながら、”この歌手知ってる?知らないでしょ?”と聞いてきた。別に面食らうこともなかったのだけれど、最初のクラスの後、lockerで常連の人に話しかけられ、

“Billはいじるタイプなのよ。でもこのクラスいいわよ。私自分のfoam roller買っちゃったし、よく眠れるようになったし。また来てね”

と言われ、すっかり常連になってしまった。
ジムに来る人は、多くが筋トレか、ダイエット目的だと思う。インストラクターも基本的にはそれを前提に進めるし、組み立てる(要素があれば)。だけどBillは違った。

ジムインストラクターには、専業と副業の人がいた。Pilatesを教えていたPamは、専業だった。そして、Bucket listだったの、と言いながら、Bodybuildingに出るためにpersonal trainer& diet coachをつけて鍛えていて、みるみるきれいになった(ぽっちゃりしていたけれど美人だった)。もうひとりPilatesを教えていた人はいわゆる官僚で、副業として教えていた(アメリカはそれができるらしい)。ほかに誰もいなく、2人だけのクラスだったときに話した。”自分がbeachにいるヒトデだと思って、日を浴びて気持ちいい~”という想像をしたあとに、手と足を合わせる寝たままの動きがあって印象的だった。あまりに印象的だったので、数年後”海にいるひとで”をイメージした焼き物(器)を作ってしまった。笑

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Billの本業はParamedic(救急救命士)で、普段は消防署にいた。911(日本では119)通報があると、救急車に乗る人なわけだが、アメリカで救急車を呼ぶ理由と言えば、”太りすぎた息子がベッドから落ちて、ケガをしていないか心配で…”というのもあるらしい。こういう仕事をしているので、”年をとってから膝が悪くならないように、この筋肉を鍛えよう”という視点でクラスを組み立てていて、それが印象的だった。基本的にはfoam roller/lower bodyのクラスを教えていて、時々週末のStep Aerobicsを代行していた。Billが教えるときは私も早起きして行った。ジムが入っているマンションの、上の階に住んでいた。家を買う話をしていたので、今は引っ越しているだろうし、そのジムは私がいる間に、インストラクターもびっくりなことに、突然閉鎖してしまった。確かに人はあまりいなかったし、personal trainingもおまけしてくれたけれど。

本業の給料が低いとは思えないのだけれど(消防士はvolunteer扱いなんだったかな)、BillはGold’s Gymでも教えていたので、”Guest扱いにしてもらうから、Gold’s Gymにはいつでも来ていいよ。今教えてないけど、Foam Rollerのクラスも教え始めることはできるし。”と言っていた。

このあと、どこのgymに通う?と常連で話していたときに、
“近いのは24-hour fitness だけど、Billみたいなのはいないじゃない。”
“Billみたいなのは、どこのgymにもいないわよ。”
と言っていたのが印象的だった。それだけ愛される人だったのだ。独身で、クラスでも自虐をしていたけれど。笑

Internも終わっていたし、Gymが閉まったあとに残っていてもしょうがないので(当時私は一体何をしていたんだろう?)、閉店の翌日、私は帰国した。閉店日の最後のクラスがなんとFoam Rollerだったので、Foam Rollerやら、Glidersやらをそれぞれが(盗んで)持って行った。Foam Rollerは手配済みだったので、Billは私にGlidersをくれた。私がNepalに行くことは決まっていたので、”Nepalにあるらしい惚れ薬を持って帰ってきてくれ”と言われた。
※2年前に旅行したときは、予定が合わず行かなかったけれど、Gold’s GymにはまだBillのクラスがあった。今は閉鎖中だけれど、まだある!

パーソナルトレーニング

そうそう、personal trainingについて。
無給のinternが決まったあと、Thanksgiving-Christmasのいわゆるholiday seasonに入った。この時期は短期バイトを雇うこともあって、私はMacy’sで香水を売った。笑 Roommateが副業として、通年で働いていたこともあった。彼女はいくつかのブランドを専門的に売る人で、サンプルも持っている。私はいわゆるレジ打ちだった。ちなみに女性ものよりも男性ものを担当することが多かったので、男性ものの香水が少しはわかる(つもり)。といっても仕送りで生活していたので、このときに稼いだお金のうち、1/3は貯金、1/3はbelly dance, 1/3はこのpersonal trainingに使った。

Kellyという新米ママだったが、ジムに入ったときに1回無料で受けさせてくれたときの人で、比較的年が近くて意気投合した(大学卒業してここに来たときは、確かにみんな年寄りーって思ったわよ、と言ってくれてほっとした)。元々Engineerだったのだが、personal trainerになった人だった(Engineeringって男性ばっかりのfieldだったんじゃない?と聞いた)。Personal trainingは、何回分かpackageになっていたのだが、交渉の結果1回あたりの時間は長く、回数は少ないものを買った覚えがある。毎回内容が違って、きつかった。私のtrainingが完了したあとには、”babysittterを頼むと高いから、しばらく休むの”と言っていた。

ベリーダンス

Belly danceは当時流行っていたこともあって、あるとき簡単な発表を見て興味を持っていたらしく(無意識)、NYCのGrouponで行ったのがはじまりだった。5回で$25だったかな。先生は男性で、昼間は花屋でおそらくgay。”Gay bellydance teacherとは、NYっぽいね”とNYC住まいのprof.に言われた。"自分がコーヒーメーカーになったつもりで、Hazelnutとかおいしいコーヒーを入れているつもりで(腰を回して)"と言われたと言ったら、当時のhousemateにとても嫌な顔をされた。たしかに、絵としてはよくないかも。

そのあとDCではスクールがわりと近くにあったので、バイト後に何か月か通い、techniqueを習った。そしてお金が尽きたところでやめた。ここでは振り替えでクラスを受けることができ、Bollywood workoutを受けたのが楽しかった。しかも不思議なことに私はそのときの曲を簡単に見つけることができて(関連する…ってyouTubeに出てくるからさ)、しばらく聞いていた。その後、Nepalで友達に誘われて、Bollywood danceをやってみることになる。

体育が嫌いで苦手だった割には、実は体を動かすことが好きなのだ。

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