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蠢く酒と人間『2024.1.1』
この日記はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
目が覚めて家を歩き回ると、誰もいなかった。
そうだ、今日は親戚の集まりがあるんだ。私は階段を降りて、涼しくなっているリビングに向かった。
あまり空腹では無かった。前日が大晦日という事もあり、母と寝る寸前まで何かを食らっていたからだ。私の生まれ育つ地域では、大晦日におせちを食べる。
私は前日母が作ったおせちのあまりを冷蔵庫に首を突っ込みながら見つめた。
私はシャワーを浴びることにした。
家に誰もいない日のシャワーでは、スマホを風呂場まで持っていく。最初は誰もいない広々とした家が怖かったからだけど、今は「風呂場にスマホを持っていく」という、いつもは出来ない行動をしている自分に酔いしれているからだった。
好きな芸人の動画を流しながら、昨年の邪気を熱湯で振り払った。
芸人がYouTubeをしている時は、芸人なのか、YouTuberなのか、教えて欲しい。
私は邪気が無くなった濡れたままの髪で、冷蔵庫を見つめた。おせちの残り、茶碗蒸し、酒を持ってリビングに向かう。
時刻は14:30。昨年までに作り上げられた作品をつまみに、私は一人で酒に呑んだくれるのだ。
今日の親戚の集まりは、叔母の結婚発表による顔合わせだった。叔母といっても、私と差程離れていない年齢の一般女性である。
祝福はしている。すごいなあと思う。
私はこの世に生きて23年になり、今年は24年目の年女であるが、この人となら一生を添い遂げることが出来る、添い遂げたいと思える人に出会ったことがない。育ててくれた親のために生きることでしか、自分の価値を見い出せていない。そんな中、彼女は自分が死ぬまで一緒にいる人間をこの歳で決めたのだ。
祝福はした。興味は無かった。唯一の姪っ子の私は、彼女に、相手に、結婚に、無関心だった。嫌悪感なんてものは無い。「無」という感情だけが、私の体内にあるまだまだひんやりとした梅酒と共に回っている。
私は無慈悲な人間だと怪訝されるだろうか。人の幸せを純粋に祝福することが出来ないなんて人としておかしいと揶揄されるだろうか。
私は人よりも人じゃないのかもしれない。やらなきゃいけない、人間としての形式的な行事が開かれる時、私はいつも意味を見出そうと考えているし、意味が無いものには極力参加したくない。
だが彼女にとって私が唯一の何かだとしても、唯一の何かは何かで代用出来るのだ。あまり会っていないのだから、今までそうやって補填してきているのだろう。正月だってそのノリで過ごしてもらって構わない。
おめでとう、は、父に託した。それでわたしの役割は終わりで良いだろう。
そんなことを考えているうちに、酔いが回ってきて、今生きているこの状態や、目の前に立ちはだかる2024年の自分がよく分からなくなってきた。
年の初め。年女。7月には24歳になる私は、誰もいない静かなリビングで、一人で酒を飲んでいる。意識が朦朧としている中、たっぷりの氷にパックの酒を注ぐ。
結婚という、全員が望む幸せに向かう彼女を尻目に、私は私の至福を「全員が望む幸せ」に変換して楽しんだ。
私はこれで良いのだ。自分が思う幸せを、自分で掴む年にするんだ。
私はその誓いを、明日には体中のアルコール共に忘れているかもしれない。私の人生はいつまでも進まない。
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