見出し画像

奥に仕舞って『日記:2024.4.13』

雛人形を仕舞った。今日は4月13日だ。


雛祭りは3月3日である。別に私の済む地域が4月3日に雛祭りを行うわけでもないし、だとしても仕舞うのは遅い。

だが3月3日に先駆けて早めに飾ったわけでもない。3月2日の夜に飾った。前夜祭なんて行わせる余裕がなかった。
雛人形達もびっくりしただろう。前夜祭は無いのに後夜祭を1ヶ月間もやらされるなんて。余興ももうやること無かっただろうな。

雛人形を仕舞うのが遅いと、お嫁に行くのが遅くなるというジンクスがある。だがうちは、というかうちの母はあまり信じていない、というか信じてるかもしれないけど別に気にしてない。
私が嫁に行く気がないからか、自分の家も仕舞うのは遅かったけれど自分が結婚したので関係ないと思っているか。定かではない。

とにかく今日は雛人形を片付ける日で、それ以外はほとんど何もしていない。人形を見つめて、道具を片付けて、雛壇を畳んで、ソファを移動させた。ただそれだけだ。

強いて言えば、カクヨムのプロフィール欄の更新をして、書き溜めていた小説と新しく書いた短編シナリオを投稿しただけだ。パソコン前滞在時間は2時間にも達していない。

私はたまに、このままで良いのかと思うことがある。仕事を辞めてから4日に1回くらいは思う。

誰かと比べるわけでもなく、仕事をしていた時の自分を羨むわけでもない。現状はとても楽しくて毎日これが続いたらいいなぁと思うけれど、そうは行かないし、私が執筆活動で何かを得るか、就職して働くかしか人生を踏み出せない。

私は今何も進んでいないんだな。
そう思うと、片思いをしている相手が異性と楽しげに話しているのを見た時くらい心臓が締め付けられる。それは盛り過ぎ、劣化版と言った方がいい気がする。

私も母も芸能人の対談を見たり、軌跡を辿るテレビやラジオが好きだ。その度に成功する人を素敵だと思ってきた。
現に母も父に会うまでは好きなことを仕事にしてきた人間だし、とても羨ましいと思う。

夢を叶えるまで、誰もが必死に夢とは違った種類で働きながら走っている。だから私も諦めなければその道が開けるのかもしれない。

でも私はそれが1番苦手だ。夢を叶えた人はここを乗り越えているのかと思うと言葉が出ない。


やっぱり私は諦めが早い人間だ。どうしても「もう良いかな」という気持ちが現れてしまう。私はそれを必死で、全力で、命を懸けて奥底に仕舞おうとしている。その気持ちは23年間で培ってしまったせいで、もう取り除くことは出来ないから。

私は私のいらない感情を隠して生きる。「諦める」より「諦めない」人生を選びたい。その為に、誰も出来ないような努力をしよう。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?