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人生は短い『2023.11.23』

先週見たドラマ、今週分の放送が始まった。一週間は短い。
先月、仕事を辞めてもう一ヶ月だと呟いていた。一ヶ月は短い。
もう十一月末。あと一ヶ月で今年が終わる。一年は短い。


この一年の目まぐるしさといったらなかった。

一・二月は、卒業論文発表と内定先の研修に行っていた。
三月は、四年間働いていたアルバイトをギリギリまでやって卒業旅行に行った。
四・五・六月は、職場を走り回った。力仕事も事務作業も、仕事を覚えなきゃと必死だった。
七月は、課せられたノルマを達成しなければ研修生のままだと言われてプレッシャーだった。
八月は、職場の行事を同期とやり遂げた。
九月は、コロナに罹り治ったと思ったら上司の辞職と自分の異動が決まった。そして自分も辞めた。

そして十・十一月は、なんとなく過ぎた。

忙し過ぎた。
得たものと失ったものが多過ぎた。

体感は無かったけれど、一日一日生きるのに必死で、何が大切か、今の自分に必要なのかが分からなかった。
目標なんてない、目の前の仕事と、帰り道の交通機関と、明日の業務内容を確認することで一日が終わる日だってあった。

どこぞやの性格診断で、「ブラック企業にいるタイプ」と書かれていた。
お金も要らないし、出世も望んでいないし、時間外労働もあまり気にしない性格らしい。

でも実際そうなのだと思う。
私は物書きになりたいと思わなかったら、まだ前職で働いていたと思うから。
自分が鬱になっていることも、心身ともに疲弊していることも気付かず働いていたと思うから。

私が唯一、一年間意識していたこと「絶対に仕事を辞めて物書きになる」だけだった。
その為にこの一年一歩と言えるような踏み込みが出来ていたかと言われれば分からないけど、夢は忘れなかった。生きている意味を必死に思い出していたのだ。


おかげで、仕事を辞めてから暇になり、自分の将来について考える機会が増えた。

すぐに就職先が見つかる訳では無いし、そもそも探してない。もう正社員になることはないと思っていた。
物書きにもすぐにはなれない。努力の積み重ねで生まれるものだが、努力は実らないと努力として可視化出来ない。


だから昨日はすごく「生きている」感覚があった。

前職の環境が悪かったから、少しでもやることがないと生きている心地がしないような脳になってしまったのかもしれない。

仕事を探したい。仕事をしながら創作をしたい。ハローワークでそう決めた時、担当の方が優しかった時。自分が進んでいる気がして楽しかった。
明日はあれをしてこれをしてって、やることが明確に決まっていることが嬉しかった。

私はいつも抽象的で、こうしたいという願望に進むまでの道を作れずにいた。だから計画を立てるのが下手なのかもしれない。

大きな目標より、近い目標を作る気持ちで動いたら良いのか。それが、私に合った人生の歩み方なのかもしれない。
明日の起きる時間、目的地への経路、持ち物、その他やることを確認することが私の生き方だ。


それが分かったことだけが、前職で得た知見だ。

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