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生命は身近に【読書感想文:宇佐美りん 推し、燃ゆ】

本を一冊読み終えた。
『推し、燃ゆ』という作品だ。


読了した時、私は最後の作者紹介欄が目に入った。

「一九九九年生まれ……」

便利な時代に生まれて良かったと思った。すぐにSafariを開いて「宇佐美りん」と検索をかける。私と一つしか違わない彼女が書いたたった2作目を、私は今読み終わっていたのだ。

言葉が出ない。



今日、国民的アイドルが結婚した。

アイドルに疎い私でも、小さい頃から知っているアイドルと、中学の時に大流行したアイドルの結婚だった。

彼らの報告は、アイドルとは思えないほど絶賛されていた。報告の仕方、相手方、ファンやメディアへの対応など、全てが「アイドルが結婚する」に適したものだったのだろう。今日の午後に結婚報告を見つけてSNSを漁った私でも、炎上している所を見なかった。ボヤすらない。

今回読んだ本は、時間があったらすぐに読めるようにと部屋の中で1番目立つ場所に置いていた。タイムリーに私の目に留まり、心に刺さった。

日付が変わり12時半。100ページとちょっとなら1時間で読めると高を括って読み始め、時刻は午前3時。タイムマネジメントが下手だったのは昔からだ。


私は現実味の無い小説をたくさん読んできた。ドラマも映画も、この世には無いものを捉えた作品が好きだ。

今回の小説は、友達が私に「きっと気にいると思う」と貸してくれた本のうちの一つだ。私が読んでいた作品を知って、私が非人間的な、心に嫌な靄が掛かるような作品が好きだと察知し、本を用意してくれた。

下の投稿は、その友達が貸してくれた本の感想だ。


今回読んだ作品は、私が経てきた小説や映像作品とは違った。現代にはこんな人間が大勢いると容易に思う事が出来た。

もしくは、自分も主人公に似た部分があるかもしれないと思って怖くなった。


現代に生きる人間は、何かしらの「信仰」があると思う。

本作に描かれている「推し」は人間だ。だが、アイドルや歌手、キャラクター、歴史上の人物など、私がここに書ききれないほどの対象物があるのだろう。目に見えるものを信仰する人間はたくさんいる。

でもそれだけじゃない。人は誰しも「信仰」しているのだ。思い当たる節が無い人間なんていない。

「普通」「当たり前」「噂」「スペック」など、これらを信仰している人だって少なくは無いだろう。信仰という言葉が自分とは程遠いだけで、「縛られている」と言った方が分かりやすいかもしれない。
人々は何かしらに「縛られて」生きている。本作はそれを捉えている。


人には人の「推し方」という物がある。
TVやラジオ、お金が掛からないもので満足する人。映画や雑誌、有料のもので推しを感じる人。舞台やライブや握手会、目の前に推しがいることで生きている喜びを感じる人。住所の特定や衣装・私物などの個人情報の獲得、推しのプライベートまで踏み込むことこそが本当の推し活だと信じて疑わない人。ファンが100人いれば、100通りの推し方が存在する。

そして「推しへの信仰心」も人によって変わる。

そこが人間の1番怖い部分なのだと、本作を読んで知ることになった。

推しがいればそれで良い、推しがいることが自分の人生の全てだ、と思う人間はたくさんいるし友達にもいる。だが私は、我を忘れて我の欲望の為に進む主人公のような人物には出会ったことがなかった。
自分には何も出来ないけれど、推しがいるだけで全てが上手くいく。信仰を超えた依存だった。とても怖かった。


同時に、私が10代の時、相当な依存性だったことを思い出した。


友達や好きな人の目が、自分以外に移ると無性に腹が立った。悲しかった。胸が苦しかった。様々な「負」の感情に押し潰されながら、その時その場で大切だった人を誰よりも愛した。だが報われない。好きな人はまだしも、友達でさえ1番になりたいと思っていた自分は相当厄介だった。

私は心を入れ替えて、もう1人・1つを愛することをやめた。1媒体に固執するのをやめた。様々な人や物を愛することを知った。負の感情に快感を得ていた自分から脱却した。

その頃の私は、主人公の彼女と同じだ。ただの自己満足、自分が自分でいられるための唯一の方法だった。

推しを愛する自分は結局は自分で、推しではない。推しのために推しのためにと動き回っていた自分は、自分勝手だった。

誰かのために生きているというのは、結局は自分のためだ。結局全員、自分が好きなのだ。回り回って、自分を大切だと思う人は自分。常に近くに自分は存在し続ける。


その事に気付き、こうして日記に収めることが出来、誰かに見せることが出来ているのなら、本作を読む意味があったと思える。

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