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海に行こう、車を出すから『2023.10.28』
今日は短期のアルバイトに行った。
友達の知り合いのお祭り。チョコバナナとマシュマロを担当して、子ども達に配った。
初めて一緒に働いた人達、初めて会った子どもや大人達、初めて経験した仕事。
何かもが新鮮で、全身を輝かせるように仕事をしていた。
仕事を辞めて人との関わりが少なかった分、初対面の人と交流出来ることが楽しかった。初対面の人と会える貴重さを改めて感じた。
やっぱり私は人が好きだ。
アルバイトに誘ってくれた友達は、小学校の同級生だ。友達になってもう十六年目になる。
お互いにお互いのことは知り尽くしている。人間だから言わないことがあってもいいでしょ、と理解しあえる仲なのに、なんでも話してしまっている。
彼女と私は、『友達』という名前だけでは足りない関係かもしれない。
一年前。夏の日。
私の住む地域も、残暑が厳しい季節。
最初で最後、私が生きる上での選択肢に『死ぬ』を入れた時、彼女に「もういなくなりたい」と伝えた。
消えたい、この世からいなくなりたい、全てが無くなればいい。そう思った時があった。
「車出すよ、海行こう」
彼氏か?
私の恋人だったのか?
そう思わせるくらい、彼女の言葉は私の「いなくなりたい」を包み込んだ。
だが特に何かをする訳でもなく、ただ近くのコインパーキングに車を停め、適当にコンビニで飲み物と食べ物を買って、潮風に吹かれながら防波堤に座る。
そして、何の脈略も無く語り出すのがお決まりのパターン。
彼女と私はよく海に行く。
どちらかが何か悩みを抱えている時、何かを語りたい時、人生に迷った時に海に行く。
そこで何かが解決する訳ではないし、解決しようと思って臨んでいない。むしろ毎回何を話したかは覚えていない。私達の記憶力は本当にあてにならないので、誰も何も知らない。
でも、いつも何かを得ている。
少なくとも私は、彼女と海で語り合うことが人生を踏み出すための糧になっている。
地元の海と彼女は、私と命を繋ぎ止める。
そんな彼女も私も、今日は早朝から働きっぱなし。夕方には疲れて言葉も出なかった。
いつもはしゃいでいるのに、疲れていると声も聞こえなくなる。私達は似ている。
私達にも話さない日があるんだね。
十六年目にして初めての気付き。
私達の中にも、私達も知らない世界がまだまだ広がっていて、その世界に彼女と飛び込んで進みたいと思えるこの関係が、私には必要なのだ。
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