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才能の芽『2023.10.25』

SNSに自分の作品を投稿し、評価を貰い始めて半年。自分の存在が世の中に少しずつ溶け込んできているんだと思えた出来事が二つあった。


一つは、捨て垢や得体の知れないアカウントからのフォローやDM。

どのSNSにも、『この人は何をしていて、なんて名前で、どうして自分をフォローしてくれたんだろう』みたいなアカウントが存在する。
怪しいビジネスを繰り広げている者、読めない外国語のアカウント名の者、名前もアイコンも未記入の完全捨て垢。など。

SNSをやっていればよく見かける光景だが、SNS始めたての時は、そんなアカウントにすら相手にしてもらえない。世界中に何千何万何億とあるアカウントの中から、一人の一般人を見つけるなんて無駄な時間なのだ。

でもSNSの波に数ヶ月揺れていると、こういった『謎のアカウント』という網がやってきて捕えられる。
自分がやっと、波に乗っていることが認められた気がする。

彼らにフォローされたことで喜んでいる訳ではないが、多くの人に見てもらえる、本当に、初歩中の初歩を踏み出した気にさせられるのだ。


もう一つは『才能の芽を育てたい』と名乗り出る一からの、綺麗な優しさ。

SNSに投稿したり、様々なコンクールに応募したりしていると、当たり前だが自分の作品が人目につく。
それを見て『一緒に夢を叶えませんか』『作家として成長する為の第一歩を手助けさせて欲しい』と、優しさという媒体が私の耳元で囁く。
夢を持つ者にこそこそと迫る彼らは、貴方に寄り添いたいと笑顔を見せる。

世の中を何も知らない純粋無垢な人間は、自分の才能を拾ってくれたこと、評価されていることが嬉しくて、やってみたい!とやる気になる。
ここまでは私も同じ気持ちだ。

だが彼らはそこが狙い目で、彼らを信頼しきったあとに、世の中とはこういうものだからと現実を突きつける。
そして才能の芽と呼ばれた人達は、彼らがそんなに言うならその通りなんだろう、と契約を結ぶ。

私は今日実際に、そんな綺麗な黒い優しさに触れたのだ。


でも実際、私はその契約を結ぶことは無かった。私が彼らの優しさに染まらなかったのは、母も同じ経験をしたことがあることを知っていたからだ。

母は私とは全く違うタイプの才能がある人間で、才能自体は周りの人にも評価されていた。
そんな母に近付いたのが、綺麗な優しい目をした『ヤツら』だった。
ヤツらは母に近付き、『夢を叶えないか』『一緒に才能を生かさないか』と迫った。才能を育てたいと立候補したのだ。

だが私の母はそんな人間に引っ掛かるほどヤワではないので、これだと自分がやりたいことが出来ないと断った。

私はその娘である。

二十代でその漆黒の優しさに気付き、断ることが出来た人間の娘である。
騙されずにやり過ごせるのは至極当然だったのかもしれない。


だが初めて私の芽を見てくれた人だと思った。嬉しかった。それは本当だ。
でもその黒い瞳は、私のことを『才能の芽』と思わず『ビジネスを開花させる道具』だと思っていたのだ。

社会というのはこんなもので、ビジネスで成り立っているのも重々承知だが、夢を育てたいと言われているのに、現実を見ろと言われている気分だった。

確かにそうかもしれない。
作家として生きている人間なんて一欠片一握りなんだ。だから一般人が小説を書いて賞を貰ったり、ダブルワークで創作をする人がいる。

現実。
私は夢を見せてくれていた人達に、現実を教えられた。
自分を世界に発信するということは、こういうことなのかと考えさせられた。


それでも私は物書きをしていきたい。

今すぐになれなくてもいい、いつか自分の作品を多くの人に評価して貰えるように書き続けたい。
現実を見ろと馬鹿にするような人より、純粋にこの作品のここが良かったと話してくれたり、こんな拙い日記にスキをくれるような方の優しさにまだ触れていたい。

私はまだ子どもでいい。

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