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リカバリーカレッジ名古屋で学生している話③・完/学びの記録・春休みの自由研究

前回の話はこちらから♪

※長文注意です。特に読んでほしいのは、春休みの自由研究の中の【―回復ってなんなのか、何のためにあるのか分からなくなってて。】と【「リカバリー」「回復」の捉え方の変化】です!

◾︎Day6:学びの貯金箱&修了式


この日の講義は「学びの貯金箱&修了式」!!
前回の講座の振り返りから始まりました。

前回の講座の振り返り記録

前回の講座では人生のマイベスト転機について振り返った👆
その続きで、この日は【出来事】が【転機】に変化するには何が影響するのか、グループワーク、個人ワーク、全体共有を通して考えました。

難しい。自分では考えたことがなかった。考えることもなかったテーマ。
最初はグループワークで考えました。ここで先にグループのメンバーが考えをシェアしてくれたので、考えやすかった!グループでのまとめ、というかみんなそれぞれ異なる出来事、転機を経験しているけどに共通しているのは、【出来事】の後に【出会い】があるねと分かち合いました!

グループワークのあとは個人ワーク。グループワークも踏まえて、自分の経験した【出来事】が【転機】に変化するには何が影響するのか深堀しました!

私のマイベスト転機の一つ目を取り出して考えてみる。
【転機】長らく入退院を繰り返していた病院から離れて他県へ引っ越した
👆を前回マイベスト転機の一つ目として選んでいた。

他県へ引っ越したという人生の中のある【出来事】が自分の人生の【転機】に変化したのはなぜか、何が影響するのか、を考える。

―何が影響するか

①過去を振り返る時間を持つ
リカバリーカレッジの講座で人生の転機を振り返る時間がなければ、ただの出来事で流れていたかもしれないと思った。その点、過去を振り返る時間をもつということが【出来事】が【転機】に意味づけられることに繋がったなと思うし、これからも定期的に自分のこれまでを振り返る時間を持ちたいなと感じた。一人ではなかなかやらないと思うからリカバリーカレッジの講座などでみんなと一緒に振り返る時間を持ちたいなとも思う!

②【出来事】の結果、
・新たな人との【出会い】があった
・新たな【気づき/学び】があった
・自分自身の【成長】に繋がった
引っ越しという人生で多々経験するであろう【出来事】、むしろ躁の勢いで飛び出した引っ越しだったので、はちゃめちゃで大変なことに発展した、マイナスイメージにも繋がる出来事、人生の黒歴史でもある出来事なんだけど、それが今では人生の【転機】だと呼べるのは引っ越しの結果、上に挙げた3つのことがあったから。

自分から実家を飛び出すように引っ越したので、頼る人もいない中、生活は思うようにはいかなくて、睡眠薬のオーバードーズは止まらなくて、でも結果、自分一人では生きていけないという【気づき】があり、自助グループへ足を運び、仲間との【出会い】があった。仲間から自助グループのなかでプログラムに取り組むことで薬物依存症から回復できると教えてもらい、自助グループに参加する中で【成長】ができている成長したいと思えている。と振り返るので引っ越しが転機になったなと思う。
その他、引っ越したことで、ソーシャルフットボールを知り、ここでも仲間と【出会い】、こんな自分でも喜びや楽しみを感じられることがあることを【気づき】、取り組みの中、チームの中で【成長】したいと思っている。

この二点が自分の中で【転機】が生まれるポイントかなと感じる。
【転機】は自分が発生させようと思って発生させることのできるものではないのかなと思う。グループワークでも全体共有でも出ていてなるほど、と思ったこと。引きこもっていても【転機】は生まれない、ということ。

しんどい時、身体のリカバリーを優先することが大事だと思う。その次、身体にエネルギーが溜まってきたら誰かと繋がることを頑張りたいなと思う。

人間関係に悩んできた私には他者と繋がることに強く不安や恐れを感じるし、心身のエネルギーを消耗することでもある。
だけれども、前回・今回と自分の過去を振り返り、やはり他者と繋がろうと行動してきたことが今の私に繋がっていると思うから、不安や恐れ、エネルギーの消耗は他者との繋がりの中で癒されるし、リカバリーされるから、されてきたから大丈夫。
いつでも、いつまでも他者と繋がることだけは諦めないでいたいと思う。

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講座の後半は修了式!!
一人ひとり名前を読んでもらい表彰状を受け取り、一言挨拶!
そして学長のありがた~いお話!!有難く拝聴しました。人生にリセットはない。沁みました。

あっという間の6回で講座が終わってしまうのがとても寂しい。ともに学んでくださったみなさん、素敵な学びの機会を用意してくださった運営委員のみなさんに感謝です♪♪私は次の春講座にも申し込みます♪♪

私はZoomからの参加だったので、修了証と皆勤賞のクリアファイルと学長チョコレート、後日郵送して頂きました🙏

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春講座の案内も出ていたのでこちらにも。

リカバリーカレッジ名古屋HPより引用


春休みの自由研究【☆のリカバリー探究】


全6回のそれぞれの講座の体験談・振り返りのまとめは終わりましたが、全6回を通しての気づき、私にとってのリカバリーとは、リカバリーカレッジとは、を番外編・春休みの自由研究【☆のリカバリー探究】としてまとめたいと思います。こちらも完全・自己満です☆

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私は依存症の自助グループに繋がっていて、そこで依存症からの回復に取り組んでいるのですが、そこで壁にぶつかってて…依存を使わずに生きていくってやっぱり辛くて、回復ってなんなのか、何のためにあるのか分からなくなってて。
同年代で増えている依存物の自助グループを立ち上げてやっていく中でも、依存を止めることを目的としたグループと受け取られがちな所に当事者が来たいとは思わないだろう、どんなところだったら来たいと思って貰えるだろうか。
悩む中で、大学の授業の中で出会っていたリカバリーカレッジを思い出して、これだと思って飛び込んだ。飛び込んで正解だったと思う!

リカバリーカレッジ名古屋で学生している話①・Day1の振り返りより引用

講座の一日目でテーマだった「Youは何しにRCへ?」。私がリカバリーカレッジに参加したいと思ったきっかけの一つが👆です。

―回復ってなんなのか、何のためにあるのか分からなくなってて。

今は「リカバリー」という言葉を堂々と使いますが、リカバリーカレッジに出会うまでは「リカバリー」という言葉を口にすることはなく、その言葉の意味するものも何となくイメージはつくけどといった程度の認識でした。

かわりに、「回復」という言葉をよく使う。私は薬物依存症の診断を受け、依存症回復支援施設を利用し、依存症の自助グループに繋がり回復を目指している。その中では「回復」という言葉が主流で、回復したい、回復しようよ、回復したなど、日常的に「回復」を使う。

英語か日本語かの違いで、おそらく根本的な意味も使われ方も同じなのだと思う。私の中で、この二つの言葉の捉え方ががらりと変わった。リカバリーカレッジを知り、リカバリーを考える機会を持ってから。

―回復ってなんなのか、何のためにあるのか分からなくなってて。

このことに悩んでいた時、私が定義していた「回復」とは、
依存物を手放してクリーンで生きていくこと
そのために回復プログラムに取り組む、ミーティングに参加する、どんな時も仲間と繋がることは諦めないでいたいと思うし、依存物、薬への欲求に繋がる性格上の欠点は修正しようとしていた。
これらを頑張るのは回復=依存を手放して生きていくため。

自分のだめなところを埋める、自分の弱さや脆さに蓋をするために薬物を使ってきた。薬物を手放すには自分のだめなとこ、弱さや脆さに目を向けて、受け入れて、変えられるものは変えていく、そう生きていくためにプログラムが自助グループや回復支援施設にはあり、そのプログラムに取り組む過程が回復だと考えていた。

そして壁にぶつかり、悩んでいた。
回復ってなんなのか、何のためにあるのか。
私は20代前半。この先、どうモチベーションを維持して薬物を手放し続けるための回復を続けるのか。すでに分からなくなっていた。

―「リカバリー」「回復」の捉え方の変化

--2023年12月。
リカバリーカレッジを紹介してくれた大学の先生に私のリカバリーストーリーを読んでもらった。
私のリカバリーストーリーから、私がどのように病気から回復したのかはよく伝わるが、私の全体的な人物像、どのような人なのかが見えない、病気は私の一部であって、全体ではない、といったアドバイスを頂いた。

かなり衝撃だった。持ち前の0-100思考でどんだけ自分の病気と向き合うかが回復の鍵だとすら思っていた。いつしか「自分=病気」だと自分自身がそう認識していたことに気が付けた。「病気の自分」になっていた、なろうとしていた、逆にもうその看板を手放すことが怖いとも感じた。

--2024年1月から3月。
リカバリーカレッジ名古屋2024冬講座へ参加。

Day2のテーマは「リカバリー概論」。ここでリカバリーの定義というものを学び、みんなと共有し、自分のオリジナルのリカバリーの定義を考えた。

この日の私は、【誰かと繋がることを諦めないこと。自分のことも繋がる相手のことも大切にしたいと思うこと、大切にできる「機能」】と定義した。

リカバリーカレッジ名古屋で学生している話①/Day2学びの記録より

この日は12月のリカバリーストーリーでの先生からのアドバイスもあり、講座の中でのグループワークの影響もあり、「病気からの回復」ではないリカバリーを定義した。意識的にそうならないにしようと気を付けていた。

Day4は全国リカバリーカレッジ文化祭。ここでの「パーソナル・メディスン」の講座も私の「リカバリー」「回復」の捉え方の変化に影響を与えた。

パーソナル・メディスンは、症状を「治療する」、問題に「対処する」もの、マイナスをゼロにするものではなくて、いい気分でいるためにすること。より良い自分でいるため、より良い時間を過ごすためのものであるということにとても素敵なことだなと感じた。Hopeを感じるもの、やってみたいと思えた!

私のパーソナル・メディスンより引用

この日の気づきをこのようにまとめていた。
「リカバリー」「回復」も病気や問題に焦点を当てること、アプローチすることではなく、自分がより良い状態で生きていくこと、そのための選択や行動、それらの過程だと捉えることができると気づいた。

で、同じ一つの行動でも捉え方次第で気持ちが変わることにも気づいた。
同じ私という一人の人の回復過程において、同じ行動、例えば、精神科を受診する、という行動を切り取る。

私が回復を「薬物を手放して生きていくこと、その過程」と捉えていると、薬物依存症を治療するための病院受診になる、私の心の中で。診察の中で無意識的にも「今は欲求がどんくらいあるとか、こういう時に欲求が湧いて、その行動は回避したいとか」といった話をする。
薬物依存の要因の一つが躁鬱の症状もあるので、躁鬱を抑える薬を処方してもらい、薬物の再使用に至らないために服用する。

今度は回復を「自分がより良い状態で生きていくこと、そのための選択や行動、それらの過程」だと捉える。自分がよい状態を継続するために病院へ行き、先生と話す。今の自分の状態を確認するために病院へ行く。状態が良ければそれがなぜなのか、これからも維持するための方法を話し合ったり、いろいろ喋る。プライベートのことなんかも聞いてもらっている。
自分が生きていく上で気分の上下はできるだけ穏やかな方が生きやすいので躁鬱の薬を処方してもらい、自分が良い状態でいるために忘れず服用する。

思い返すとこの日だった。徐々に自分の中で変化していた「リカバリー」「回復」の捉え方がはっきりと変わった日。
「病気からの回復」という捉え方、考え方から、「人生の回復」へと変わった。

※依存症の業界で使われる「回復」が「依存症からの回復」だと定義されているわけではありません。ここでの定義も広く自由です。ここで使われる回復プログラムも人生全体を捉えたものでもあります。私個人の捉え方が変化したということです。

--2024年4月。
今日の私の「リカバリー」「回復」を探究する。
(※今更の補足ですが私はリカバリーも回復も同じ意味で捉えています。ただこれらの言葉の捉え方がリカバリーカレッジに参加する前後で変化しました。ということです。)

リカバリーを人生ゲームのように表現した。

ゲームの始まりにあたりキャラクターを選択する。このキャラクターはルーレットで決まる。キャラクターの変更は叶わない。

☆のキャラクターは体力や運動神経は◎。躁鬱+。一人が好き。理系科目○。歌は下手。芸術センスもなし。

☆はゲームを進めていく。父と母のもとで生活し、学校に入学し、スポーツを始める。体力や運動神経が伸びてきた。同時に協調性のなさも目立ってきた。つらい。

ゲームはやめられない。そんなときお助けアイテムをゲットした。家出ができる券。時々とっても遠くで一人になって心を落ち着かせる。そうするとまたゲームが続けられる。

☆はとうとう学校から逃げ出した。クリニックへ連れていかれた。最強のお助けアイテムをゲットした。睡眠薬。☆はお助けアイテムを使うことで学校に行けた。ゲームを続けられた。

充電器が壊れた。ゲームが続けられない。☆は離島の病院へ流された。時が止まった。

・・・

仲間が離島まで迎えに来てくれた。充電器を貸してくれて、一緒にゲームを再設定してくれた。☆のゲームも現代の時間に合わせた。

☆はたくさんの仲間と出会った。リカバリーカレッジにも出会った。

☆は自分のキャラクターを大事に、それでも生きていく。より良く生きていくためのお助けアイテムを見つけ出す、使い方を学ぼうとしている。まだまだゲームは続いていく。

フリーズはあっても、リセットボタンはない。
☆は最期まで☆。
それでも生きていく。自分の人生を生きるために仲間と繋がり、お助けアイテムを利用する、それでいいと思う。それができれば生きていける。

この過程すべてが☆のリカバリー。

○○○

春休みの自由研究「☆のリカバリー探究」・(完)


※ここから自由研究・番外編。

リカバリーカレッジを通して気づいた「リカバリー」「回復」の捉え方の変化を、自身の薬物依存症、オーバードーズとの経験、自身の回復の経験ともリンクさせ、そこから自身の参加する自助グループでも悩みや取り組みにも気づきを応用させていきたいということを書いていきます。お時間ある方はこちらも読んでいただきたいです。長いです。トイレのおともに。

―同年代で増えている依存物の自助グループを立ち上げてやっていく中でも、依存を止めることを目的としたグループと受け取られがちな所に当事者が来たいとは思わないだろう、どんなところだったら来たいと思って貰えるだろうか。

講座の一日目、「Youは何しにRCへ?」の日に振り返った、私がリカバリーカレッジへの参加を決めたもう一つの理由。

私は今若い世代で増えている市販薬や処方薬のオーバードーズの経験をもつ仲間のあつまる自助グループのメンバーである。
そして、仲間を見て、仲間の親御さんの話を聞いて感じる仲間を通して、悩んでいた。どんなグループだったら参加したいと思ってもらえるのか。

このことに関しても自身の「リカバリー」「回復」への捉え方に変化があったことでヒントを得たのでまとめたい。

―仲間のために今の私にできること。自分の経験や思いを伝えること。

私にとって重要なのは「薬物依存症から回復すること」=「薬物を手放す、もう二度と使わないこと」ではなかった。

重要なのはこれまでも、これからもずっと続く「自分の人生を生きること」。

「生きること」は私にとってはかなり苦しいこと。今も昔も、これからも。
苦しい、しんどい、もう消えてしまいたい。何度も考えたし、自殺未遂も度々あった。でも死ねなかった。臆病だから死ねなかった。

―生きるしかなかった。
―生きるには薬が必要だった。
―薬に頼らずに生きる方法が分からなかった。
―薬に頼らずとも生きていく方法が知りたかった。

精神科病院で数年間身体を休めて、自助グループで仲間に出会い、ソーシャルフットボールでもチームメイトやスタッフと出会い、温かい愛情や優しさ、自分が楽しいと思えることや生きる喜びに触れることができた。
これまで自分の思いを言語化できずに苦しんだこと、自分の障害や弱さに蓋をするためにオーバードーズを頼ってきたが、自助グループやソーシャルフットボールを通してそうじゃない方法を学んできた、新たな生き方を模索し、活用できるようになってきた。

この回復(薬物を止める過程ではない回復)の過程で私は自分の人生をより良い状態で生きていきたい、幸せや喜びを感じる生活を続けたい、そのための選択をしていきたい、そう思えるようになった。そして、この過程の経過で気づけば薬物も手放していた。それは、この回復の過程で、薬に頼らずとも生きていく方法を学んでいっていたからだった。

私という人間は一人しかいなくて生まれた時から一定変わらない体質を持ち、育ちの環境で身に付けた思考を持ち、ある時降りかかったトラウマを持ち、もちろんストレングスも持つ。

私という人間は一人しかいなくて私の歩む人生の道も一本しかない。途中で休憩することはあっても、後ろの道が途切れることはない。
過去のトラウマや躁鬱という障害、0-100思考が、ある日私という人間から切り離されることはない。

私は自分の抱える生きづらさに対処し、それでも生きるために、家出やオーバードーズを使ってきた。それで生きることができた。人生のコマを進めてきた。

私の回復に必要なのは、私がこれからも生きていくには、生きづらさを抱えつつも、それでも生きていく方法を探し、学び、自分のものにしていくことだった。

これらにアクセスできた時、自分の中にあるモヤモヤを、一人で抱えてきた悩みを言葉にすることを覚え、仲間からの共感に癒されることに気づき、他者を頼ってもよいこと頼り方を知り、生きづらさと共存することができた。
その過程の中で今も自分の人生を歩んでいる。
自分の人生をリカバリー、ううんディスカバリーの方が近い。自分の人生を、心をあっちへこっちへ揺らしながら、あゆむ道もぐねぐねだけど、ディスカバリーしていってる。

これらの私の経験や気づきを仲間と共有したい。
そして私が必要としたものに他の仲間も誰もが気軽にアクセスできるようになれば良いなと思う。仲間とディスカバリーをともに分かち合いたい。
それができる自助グループだと来たいと思って貰えるのではないか。
そんな自助グループに参加すると私も仲間と出会えるのではないか。

○○

いろんなものが絡み合って生じた「生きづらさ」。この「生きづらさ」を背負いながらもそれでも「生きるため」に私たちは薬物を頼る。

私たちは薬物を手放した後も、一定変わらない「生きづらさ」とともに自分の人生を歩まないといけない。

私たちが必要としているのは、私たちが生きていくために必要なのは「薬物を手放すため」の治療や環境調整、物質的な支援、回復プログラム‥(だけ)ではない。

私たちは「これから先どうやって生きていけばいいのか」。それが知りたい。それを自らが学びたい。

こっから先、生きていくのは自分であって、親じゃないし、支援者でもない。だから自分が生きていく力をつけたい。

それは学校へ行き、社会に出て学んでいくのが普通なのかもしれない、でもそこではつまづいた。
でもサポートがあれば生きていく力はつけられるかもしれないし、これから先どうやって生きていけばいいのか、自分で答えを見つけられるかもしれない。

○○

―自助グループの活動を通してできること

先日、私たちのグループの情報を地域の広報誌に載せたいと取材依頼があった。事前に質問内容が分かっていたのでグループのメンバーみんなと答える内容を考えた。

―このグループはどんなところか、グループの意義。
もともとよく話してたことだった。オーバードーズを止めるのは難しい、オーバードーズをしてもそれでも活動日にここにいることがすごいし、クリーンタイムよりも活動に継続的に参加することの方が大事だし、難しいといったこと。
話し合う中で、このグループは「薬物を手放していく場所」ではないことをはっきり伝えることにした。
このグループは、
①休けい地点:しんどくてもそれでも毎日生きる私たち。週に1回は、仲間と一緒に夜を過ごす、その時間は薬と離れられるかもしれない。そうする事で身体も休まる。無事に一日を終えれたと心に安心感が生まれる。仲間と一緒に安全に休めたる場所であったらいいな。
②成長のための踏み台:このグループが人生のゴールではないし、薬物を手放すことが人生のゴールではない。この先どうやって生きていくのか、少しずつ見つけていく場所。
これまで言葉にできなかったことを仲間のなかで言葉にすることを学ぶ。仲間に大切にされて自分を大切にする感覚を知る。しんどくなりすぎる前に仲間や支援者に相談してみることを学ぶ。グループの活動の中で人間関係を練習してみる。グループ活動の中で自己有用感を身につける。自然と、だんだんと、オーバードーズ以外のお助けアイテムに気が付き、そちらを選択できるようになれたらいい。それらの成長のために一人一人がこのグループを利用できたらいい。

この2つの想いを私たちは大事にしている、大事にしていく。この2つが提供されるグループをみんなで作っていく。そして当事者の方や関係者の方、地域のみなさんにもこの想いや活動を伝えていく。
一緒に歩んでいこうと声をかけたい。かつて私がそう仲間に声をかけてもらったように。人生の回復を分かち合っていく。
このことが自助グループに行く心のハードルを下げること、仲間の人生の回復のきっかけに繋がるといいな。

〈余談〉また、この2つがあるグループとはどんなグループなのか理想に近づくことができるようにしたいねとも話した。
私はグループの活動の大方を一人でやる。会議の議事録も会計も。人と関わるのが苦手だから、一人でもやれるしとやってしまう。仲間の成長も奪っていたし、自分の成長(他者と関わる練習の機会)も奪っていた。ここの意識も個人的にも、グループの仲間とも、変えていきたいなと思う。基本的なことだけど、情報共有から始めてる。

○○○

―ディスカバリーカレッジがやりたい

何度も繰り返す。大事なのは「オーバードーズ」「薬物依存症」「障害・病気」なのではない。もっと自分自身のこと、ご家族さんのこと、目の前の当事者のこと、広い視野で見てほしいし、広い視野で見たい。
みんなみんな自分の人生を生きていて、病気よりも、生きることの方がよっぽど大事で大変で、時にその部分でサポートがほしい。

病気という穴や欠陥を薬や治療や支援で埋めるサポートではなくて、苗木のようなものに水をやり成長していく感じ。私たちはこれまでも成長してきたし、これからも成長していく。生きていく。その成長に私たち自身が利用できるサポートがほしい。

10代、20代のためのリカバリーカレッジ、ディスカバリーカレッジがあったらいいなと思う。

―私たちは「これから先どうやって生きていけばいいのか」。それが知りたい。
このヒントをつかむことができる場所。
学校の授業や塾では学べない、保健室や心理カウンセリングにもない、フリースクールや居場所支援は利用経験がないから分からないのだけど、病院や警察所でも教えてもらえなかった学ぶことができなかった。

自分と向き合う時間や、仲間の思いを聴き自分を振り返る、気持ちや感情を言葉や芸術で表現してみることを覚えたり、、、

「生きづらさ」を抱えつつもそれでも「自分の人生を生きていく」ための知恵や学びをつかむことができる場所。ありのままの姿で同じくありのままの仲間と繋がることができる場所。安心できる仲間や大人とともに成長できる/コ・プロダクションできる場所。

そんな場所があれば参加したい。そんな場所でなら私ももっと成長できるだろう。そんな場所で私は同年代の仲間との関わり合いを学んでいきたい。

すぐに何か動けるのかと言えばそんなことはなく何も動いていない。私は一人でなんでもできる人間ではない。人の前にでて何かできるタイプでもなく自分の殻に閉じこもるのが得意なタイプ。だから仲間を見つけたい。仲間となら何かできるかもしれない。ディスカバリーカレッジがやりたいと書くこと、伝えることで似たような経験や想いを抱える仲間と繋がることができたらいいなと思う。話を聞くだけでも、気になった方がいたら10代20代のメンタルヘルスに関心ある方でも、大人の方でもコメントください!


10,000字越え。。長くなりました。何度も繰り返し同じことを書くから長くなるんだろうなとも思いつつ書いてしまう。相変わらず誰かが読むときのことまで考えてない。。。反省。最後まで読んで下さった方、いつも読んでいただきありがとうございます。


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