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どこにいても、私は私らしく

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映画ライターの成川彩さんがこれまでの韓国生活で経験し、感じたこと、考えたこと――。日本の社会とは違う韓国の一面も、その違いの背景も含めて、肌身で感じた韓国の姿をお届けします。
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記事一覧

『どこにいても、私は私らしく』【番外編】:書籍化に向けて 著者・成川彩さんへのイ…

◆連載初回の記事では、映画漬けの日々を送ろうと韓国に3度目の留学をされたことが書かれてい…

釜山映画祭常連の是枝監督 日韓関係に左右されない(「どこにいても、私は私らしく」…

是枝裕和監督の映画「ベイビー・ブローカー」は釜山から出発するロードムービーだ。助監督の藤…

「東京裁判」を通して、戦争責任について考える(「どこにいても、私は私らしく」#47…

「日本では敗戦と言わず、終戦と言うんでしょう?」と韓国で何度か聞かれたことがある。そうい…

ピンチはチャンス 自然をデザインする(「どこにいても、私は私らしく」#46)

そろそろコロナ禍の長いトンネルを脱して、日韓両国で旅行者の受け入れが始まりそうだ。最近会…

韓国で2人目の女性監督(「どこにいても、私は私らしく」#45)

今年の全州国際映画祭(4月28日~5月7日)では、韓国で2人目の女性監督、ホン・ウノン監督…

韓国も日本も地域によって様々(「どこにいても、私は私らしく」#44)

大学院の授業などで「日本人はどう思う?」と意見を聞かれることがよくある。そういう時、「私…

李鳳宇さん招いた在日コリアン映画祭(「どこにいても、私は私らしく」#43)

2019年11月には「在日コリアン映画祭」を東国大学で開いた。主催の東国大学日本学研究所の一員として、会う人会う人に宣伝したが、「在日コリアンって何?」と聞かれることも多かった。「ロッテの会長みたいな人?」と言われたことも。ロッテの会長も確かに在日なのだが、思った以上に在日について知らない韓国の人が多いのに改めて驚いた。 「在日コリアン」という言葉が聞き慣れないのかもしれない。研究者の間では「在日朝鮮人」という言葉を使うことが多いが、韓国では一般的には「在日同胞」「在日僑胞

東国大学での在日コリアン研究(「どこにいても、私は私らしく」#42)

2017年に朝日新聞を退社してソウルの東国大学の修士課程(映画映像学科)に留学したのは映画を…

日本人は蝶のバッジを付けられない?(「どこにいても、私は私らしく」#41)

2018年夏、2ヶ月間にわたって計8回、韓国のテレビ番組に出演したことがある。tvNの「外界通…

「金のスプーンをくわえて生まれた」世襲議員/(「どこにいても、私は私らしく」#40…

「最後の最後まで分からない」と先輩記者が言っていた通り、韓国大統領選は与野党大接戦、投開…

「釜山映画祭の父」キム・ドンホさん/(「どこにいても、私は私らしく」#39)

日本に一時帰国中、キム・ドンホさんから電話をいただいた。キム・ドンホさんは釜山国際映画祭…

映画「主戦場」が言いたかったこと/(「どこにいても、私は私らしく」#38)

ミキ・デザキ監督のドキュメンタリー映画「主戦場」をめぐって、出演者が監督と配給会社に上映…

『半沢直樹』で知る日本/(「どこにいても、私は私らしく」#37)

来韓した知人の宿所、景福宮近くの韓屋(ハノク、韓国の伝統建築様式の家屋)のゲストハウスを…

「冬のソナタ」から「パラサイト」へ/(「どこにいても、私は私らしく」#36)

2020年1月、ポン・ジュノ監督の映画「パラサイト 半地下の家族」の日本での公開に合わせ、福岡を訪れた。「パラサイト」上映後の劇場トークの依頼を受けたためだ。韓国から福岡への飛行機代は国内と変わらないくらい安いのでそれほど負担ではなかったが、ありがたい知人の配慮で、韓国観光公社福岡支社と西南学院大学でも講演をすることになった。2017年に朝日新聞を退社して韓国へ留学するまではほとんど福岡と縁がなかったが、退社後初めて連載を始めたのが朝日新聞福岡版だったのがきっかけで、韓国から